HSPと「こども時代の家庭環境」 | おかえり、私!〜HSP のHSPによる HSPのためのブログ〜

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人にばかり優しくしていたら、自分が誰なのかわからなくなってしまった…。
人生のあちこちで 迷子になったままの本当の自分を迎えに行く。そんなブログです。

 

HSPとは?

 
HSPは 生まれつき敏感で、周りからの刺激を過度に受けやすい人のことでDOESという4つの特性をもつ。

 

1996年にアメリカのアーロン博士が発表するまで、世の中で認知すらされていなかった。

 

HSPの4つの特性 DOES

 

D:Depth of Processing

  考え方が複雑、深く処理をする

 

O:Overstimulation

  過剰に刺激を受けやすい、敏感で疲れやすい

 

E:Emotional response and empathy

  全体的に感情の反応が強く、共感力が強い

 

S:Sensitivity to Subtleties

  些細な刺激を察知する、あらゆる感覚がするどい

 

 
 

私を脅かす存在

 
 
社会に出た時
「成績よりもコミュニケーションが大切」と思った。
 
コミュニケーションは取れていた。 
誰彼構わず話しかけてたくらいだ。 
 
でも、数年後
自分の立場を脅かす存在が出現する。
 
 
 
 
私が、じんわり
時間をかけて温めた場所を 
 
一掃してしまうくらい
大きな声で、大きな態度で
 
「あ、ここはだいたいこんな感じね」
みたいな、ざっくりした判定で入り込んでくる人。
 
 
ずかずか土足で踏み荒らすような人たちに
過敏に反応する。
 
 
 

彼らにあって、私にないもの

 
私は、若い頃から 
同年代の子みたいに 
何にでも勢いよく飛びついて
盛り上がることは出来なかった。 


 
過敏性腸症候群に苦しんだせいあるけど
楽しそうな人の輪に入れない自分を
俯瞰して見ていた。
 
 
何か違うなって思っていた。
でもそれは、私だけ
他の人は楽しそうなのだから、私がおかしい。
 
劣等感を感じていた。
(今思えば、HSP で人と感じ方が違っただけなのだ)
 
 
そして、そういう時必ずこう思った。
 
 
「どうせあなたたちは、
 幸せな家庭で大切に育てられたのでしょう? 
 
 だから、自由な発言をして
 人を傷付けるのでしょう?」と。
 
 
 
 
こういう態度が取れる人は


人の気持ちを重視しない。
少数派を置いていく。 
ものごとを浅くしか見ない。


何より
 
自分が正しいかどうか関係なく
堂々としていて恐れがない。自信がある。


たぶん、親に受け入れられて
自由に育ったのだろうなと思った。 
 
 
そういう人には敵わないということを
私は知っている。
 
 
だから、そういう幸せに育った
人生楽々モード
みたいな人に対する対抗心から
 
 
その人たちが持ち合わせていないであろう
 
手先が器用だとか
理解が速いとか
洞察力が鋭いとか 


そういう「繊細さ」で対抗しようとした。
 
「私は、あなたたちとは違う」と。
 
 

怖れが見せる「偽物」の世界

 
でも、「繊細さ」は弱い
そもそも、気付いてくれる繊細な人も少ない。
 


立場を確立したり
居場所を確保するのが難しい


と、感じている私にとって
こういうタイプは脅威でしかなかった。
 
これまで、よっぽど嫌な目に遭ったんだろう。
 
「そんなに簡単なら、お前が他へ行け」とまで思う。
 
 
 
だけど、これは全て
 
怖れの感情を通して見た
 
偽りの歪んだ世界だ。
 
こんなふうに見えているのは、私だけなのだ。
 
 
 
 
 

家庭環境がHSPに与える影響

 
HSPは育った環境によっては
真っ直ぐに育ち、その才能を発揮する。
 
自分の苦手なことは、上手に回避しながら
人間界で上手に生きていける。
 
息子を見ていてそう思う。
 
 
 
調査を開始してすぐ、私は「二種類」の H SPがいることに気がついた。うつや不安を訴える人と、訴えない人である。このふたつのグループの違いはかなりはっきりしており、のちに私は、うつや不安を訴える H SPの大半が、子供時代に問題を抱えていたことを知る。同じように問題のある子供時代を過ごしても、非 H SPは H SPほどうつや不安を示さないし、健全な子供時代を過ごした H SPについても同様である。」
 
—『敏感すぎる私の活かし方 高感度から才能を引き出す発想術』エレイン・N・アーロン
 
 
 
 
私は、祖父母のことはよく知らない。
でも、少なくとも母から続く
ネガティブの連鎖を、私は断ち切れたと思う。
 
 


居場所を奪われるのではないか
立場を追われるのではないか


 そういった、存在意義に関わる不安。

 
こどもの頃、自分の存在を
親にまるごと受け入れて
もらえなかったことから来る不安。

 
こんなにも長く人生に影響している。

 
こどもの頃って重要。
大切にしてあげてほしい。


 
そして、こどもを育てる親にも
経済的、精神的にも
ゆとりのある世の中であってほしいと
切に願う。