(※調子にのって書いてたら原稿用紙9枚半くらいになっていたので分割しました。)
第5局 名古屋大学
考えられないミスだった。まぁ大丈夫でしょ, などと思っていた局面で読み抜けがあることに気付いたが, 駒から手を離した直後では遅かった。これまで最序盤で押し切られた2局は, 軽微な傷をピンポイントで突かれて大きく崩される展開だったが本局は違う。ただただ私が取り返しの突かない失敗をして, ただただ悪くしただけだ。「開始15分が経過しました。戦型チェックの方は退室してください。」のアナウンスで退室しようかなどと思った程だ。王座戦に参加されている方々に, 王座戦への参加を辞退せざるをえなかった方々に, 大学将棋に関わられる全ての方々に, そして何よりも一緒に戦ってくれている6人に対して, 自分自身が本当に失礼で不誠実だと思った。
27(日) 最終日
泣いても笑っても, どうしようもない気分になろうとも最後の日が来た。
第6局 福岡大学
多くの方は優勝争いにしか目がいかないだろう。かくいう私もこれまではそうだった。だが自分がフル出場するということになると最下位争いを気にしていた。福岡大学さんとは少し交流があるようで, 対局開始直前, 着席直後の後輩の子と対局相手の方との会話で, お相手は福岡大学さんの中でも特記戦力の1人だと分かった。
序盤は完封したと思っていた。しかし, うまく手を作られて自玉は寄せられてしまった。こちらが良さそうなものの, 具体的に寄せる手となると思いつかず, 取り敢えず自陣を埋めることにした。藪蛇だった。相手の持ち駒は歩しかなかったはずなのにどんどん金銀が増えていった。それでもまだこちらが勝ちだと思っていた。「なんで負けたか分からない」という声が聞こえた。3-3残しで本局だけなのかもしれない。「詰んでたと思うんだけどなぁ~」という声が聞こえた。直前に勘違いで悪くしてしまっていた。観客が徐々に増えていった。またなのかと思った。また私は重要な対局で, 残り1勝がすべてを決める対局で逆転負けしてしまうのかと思った。最後の最後, なんとか勝ち切ることができた。蓋を開けてみれば5-2での勝ちだった。おそらく前述の二つの声は他の対局のことだったのだろう。内容的には褒められたものでなかった。
第7局 京都大学
変に気弱になって先受けした手がダメだった。相手の方の流れるような攻めが決まり負けた。局後, 他の人から育成オーダーだったようだと聞いたがそれでも格の違いを思い知らされた。
第8局 立命館大学
あの立命館の最終局の相手をできることを, 冗談でもなんでもなく, 光栄なことだと思った。自力でないものの優勝の可能性を残した最上位校の, 絶対に負けられない対局の相手を経験する機会などまずないからだ。
戦型は知っている形だった。昨年, 豊島名人(当時)が指されていたものだった。ただし,その時の豊島先生は先手番で, 本局の私は後手番。これまでにあまりなることがなかったため, 自分が先手番で持つ可能性は考えていても, 後手番で持つことはあまり考えていない形だった。序盤では相手の主張を通してしまったものの, 緩みをついて確実なポイントをあげることができた。だがそれだけだった。私が詰めろをかけると相手の方は飛車を切ってきた。王手馬取りで局面を収めようということかなどと呑気に考えていたら自玉が詰んでいた。結局, 最初から最後までお相手の掌の上で踊っていただけなのかもしれない。本局での課題はいくつも見つかった。それでも私は満足できる, 納得できる将棋を指せたと思う。これが大学将棋最後の対局になるのなら本望だとさえ思う。
全体を通しての成績は団体が1-7, 個人が2-5だった。
パッとしない成績ではあるものの,それでもこの三日間は充実したもので——何よりも楽しかった。
久しぶりに, 将棋を続けていてよかったと思えた。
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最後に
本記事を読まれている方の中に, 勝てなさ過ぎて将棋を辞めようかと思われている方がいらっしゃるかもしれません。私自身, 何度そう思ったかわかりません。ですが, できることなら細々とでも続けてみてほしいと思います。続けてさえいれば, 続けていて良かったと思える対局や人々との出会いがあるからです。部の先輩方や同級生, 後輩の子たちをはじめ, これまで将棋を通じて知り合ってくださった皆様, 本当にありがとうございました。
匿名希望@勇気とは1分長く恐怖に耐えるということ