白岩廃集落のはなし | 姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断、改名を行っている岡田健慈の日々のひとり言を書いていきます

   



   

最近埼玉県飯能市の旧名栗村の鳥首峠へ行く機会がありました。

20歳頃に初めて行った時以来7.8度行った経験があります、

最後に行った時から、15年ぶりに、先月登りました、






















白岩部落の由来は、白岩詰り、石灰岩の事で、部落全体が

石灰岩に覆われています。

見える山より地下に石灰岩が有り今でも工場は稼働して

います。


部落の入り口には、石灰鉱山が有り「鋼管鉱業武蔵野鉱業所」

という処です、

坑内に向かうトロッコが有り、線路も今も有ります。


昔は辺り一面真っ白で、石灰の粉が登山道まで、白く

なっていました。


鉱山の駐車場入り口の処に白岩部落の墓地があり

今では旧部落関係者は、このお墓参りに

訪れる程度だそうです。


















鋼管工業より、登山して、右に登り鳥首峠に向かいます、


若い頃鉱山の山道を鳥首峠から下山途中に鉱山関係者

に遭遇した時、「今から鉱山の中に発破を仕掛けるので

危ないから、特別許可でジープに乗ってください」

と言われ車が走る道が見えなかったのに、道内には、車が

通れる道が存在していて、あっという間に下まで

降りた経験があります。



余談ですが、その道内は、鍾乳洞が有り石筍が

沢山垂れ下がていて、その中をジープで行く

奇妙な光景が思い出されます、その時

「この石筍も壊すのですか」と

「そうです」

「なら、石筍を一本ください」と言ったら

「どうぞ好きなだけ」

道内に落ちている石筍を一本頂きました。



それは、以前正倉院展で石筍を削り胃の薬としていた

のを、目の当たりにしていたので、前から興味が有ったので

頂いたのです。


帰宅後、長いので半分に切った時、金鋸で簡単に切れた

ので、拍子抜けしたのを覚えています。

切り口は、年輪が有り随分と長い時間をかけて出来たもの

と言うのがハッキリと分ります。


そんな事を思い出しながら、振り向くと鉱山が

随分と小さくなった。
























暫く歩くと、廃家が見えた、



  







又暫く行くと数軒の廃家が有る処に来た、




       


   







はじめてこの部落に来た時は、にぎやかで、子供の

遊ぶ声がしたり、山に住んでいる人は声が大きい

ので、遠くから声が聞こえたものです。

一番手前の右側の家には、お年寄りのご夫婦が住んで

いました、良く声をかけると、「お茶を飲んでいきませんか」

と声をかけていただいた、


それから暫く経って、周りの家の人は下の町の方に

引っ越されて、ご夫婦だけになってしまった。


お爺さんの方が少し年を取っていたので、よく

お祖母さんに大きな声で注意されているのを遠くから

聞こえて「また、お爺さんが怒られている」と笑ったものです、

近くに行くと先ほどの事は聞こえなかったと思っているらしく

挨拶を交わした時は、たいそう仲良し夫婦を演じていました。


それも暫くすると、お祖母さんだけになり、

その内に、お祖母さんも、町の方に引っ越されて

この白岩部落には、誰もいなくなり、廃屋となった。


家の前には畑が有って、大根、なす、スイカなどを

作っていた、皆さんが住んで居た時は、鹿、イノシシ

熊など、民家の近くで見かける事は無く、格家には

犬やねこを飼っていたので、畑も荒らされることもなく

平穏に住んでいた、



水も、上の方300M程の滝から配管して

蛇口から絶えず水が流れていた、

石灰岩から湧き出る水で美味しい水だった、

よく部落の人に、飲み終わり蛇口を止めて怒られたものです

都会に住んでいると蛇口は、締めるものと決まっている

のですが、山から採取した水は、蛇口を止めると、

ゴミが詰まるので、蛇口は、締めてはいけないのです。


  























今、畑は雑草が生い茂り、ススキや雑木まで生えて

イノシシが一族でネズミでも探したのか

彼方此方にイノシシが堀荒らした穴だらけ


はじめて来た時は、上の方に行くと「りらとり」という名の

お店まで有った、品数は少なく、サイダー、オレンジジュース

とか売っていた。

























そんな事を思い出しながら

あの人達は、何処に行ってしまったんだろう、、、、


かえらない昔をヒシヒシと感じました。