本当に長女も次女も素敵な先生に恵まれ感謝です。
必死に向き合ってくれた人って覚えていませんか❓
私はすっごい厳しくて、でも優しい先生を今でも覚えています。
長女も次女もそういう点では一生記憶に残る先生に出会えたんじゃないかなと
思っています。
田舎の学校で教育云々大丈夫だろうかと思う方もいると思いますが、
少人数なので
気持ちの面では、本当に丁寧に見てくれます。
学校の先生ってとっても大変だと思いますが
少人数だと結果が分かりやすいので、先生自身にとってもすごく励みになるような気がします。
また学校の先生や、保育士さんや役場の仕事に就いていると、表だって褒められるようなことってないと思うんです。
例えば、営業とかであれば営業成績が良ければ表彰されるというように、数字が明確に表してくれますよね。
営業成績で全てが決まる世界って、ある意味ありがたい。
そういう数字で表せない世界って世の中にいっぱいあって、田舎は特にそれが強い。(どんなに仕事できてもちょっと生活態度に粗相があるとだめとか、ちょっとでも失敗したら一生言われるところとか、声高に言う人の意見が全て受け入れられるところや、ある意味権力や、噂重視なのはやめたほうが良いんじゃないかと、本気で思う。)
保育園や小学校や役場の皆さんにしてもらったことって、
後々思い返して、
ありがたかったな~って。。。何年後、もしくは何十年後に気づくんです。
つまりはボディーブローのように後から効いてくるんですよね。
でもそれって個人の心の奥底のうずきであって、本当はあんなに素敵な先生なのにとか、あんなに頑張っている人なのに全然評価されないっ❗てことが多々ある。
やっぱり私は頑張っている人や、一所懸命な人は評価されうるべきだし、もっとそういう人達を拾うことも必要だと思います。
私も小学校の頃の竹内先生にお礼を言いたいと思っているけど、もはやどこにいらっしゃるかわかりません。
だからこそ、
良いと感じたものはすぐさま伝えるように心がけています。
邑南町の我が子が通っている保育所と小学校には
感謝でいっぱい。
邑南町の誇りです。
結局はそういう誰かの一所懸命さが
子供たちに
「私も邑南町で暮らしたい」
っていう意識に繋がる気がします。
日常のそこかしこに邑南町の良さは溢れていて、その伝え方で子供たちが戻ってきたいと思うんじゃないかなと。
良い町であることに気づき、それを発信することってすごく大事だなと思います。
家庭内から町政は変えられるというのが私のモットーです。
つまりは嫌な町よ
って言っていれば、子供は出ていきたいと思うし、
良い町だと良い続ければ良い町だと思う。ってことなんですが、
いやいや
これは
ある意味
洗脳だね。
適度に良いことは良い
悪いことは悪いと言うことが大事ってことで。
それでも
清廉潔白な人間っていないですから。
37年間生きてきて
私は。。。
たった一人だけ。。。
清廉潔白な人に出会ったのは。
ま~
一人でも見れたことがすごいんですが。
皆それなり汚れを落としながら生きているでしょ?
人の汚れをつつくのは、私自身が汚れだらけだから怖くてつつけない。
友達がくれた燻製のベーコンで春キャベツとベーコンのパスタ。
手作りの燻製はさっぱりしていて、コクがあるのに後味スッキリ。
不器用で武骨で無愛想だけど、優しさが伝わる
彼 そのもの って感じです。
見かけで判断するんじゃなくてそういう心根で判断できるような人間になりたい。