自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~ -35ページ目

自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分で決めて、自分で生きる。
自分を愛して、自分を生きる。

今日は、森の家でのカフェ朝食なので、散歩は森の家のその先にある原生林へ。


こんな森の中。





足元には、こんな小さな芽(?)
ちゃんと紅葉している。
まわりに落ちているのは、昨日の夕食でも使われてた朴葉(笑)。






今日は、今まで行ったことのなかった、「原生林のてっぺん」まで。






里の家から森の家までも、山道を登るのでかなりハード。
さらに原生林の「てっぺん」までは、岩をよじ登ったり、水辺を渡ったり、正直、そりゃあもうハードなんてもんじゃなかった~。
日ごろ、運動していない身にはこたえました。
ゲスト同士、手を貸しあって助け合って、なんとか目的地まで到着。
途中、転ぶ人もいたり、私は川を渡る際にすべって、右足水没。
冷えた足の指がつる寸前。
なんとかそっとだましだましで到着出来て、良かった(~_~;)



森の家のカフェに戻り、朝食までしばしくつろぐ。
空はきれいに晴れて、こんな不思議な形の雲が流れていく。





そして、今日の朝食。



お皿に空白があるのは、後から来た焼きたてのピザの分のスペースです。
パンももう1種類あったので、「これだけ~?」という心配は無用(^_^;)

ピザもパンも、小麦の味しっかり。
デッキでぽかぽかの日差しを浴びて食べるご飯。
のんびり幸せな時間。




カフェでのんびりしたあと、午後からはまた散歩。
川に下りて、ひとりで過ごす。




川の流れる音だけ。







カラダが冷えきったので、森の家へと戻る。

森の家のホール。




久しぶりに見るこの空間。
こんなに小さかったっけ?
ここで7,8人で雑魚寝したことがあったっけ。
あるワークショップに参加して、森の家に泊まったのだけれど、寝るときになったらなぜか突然のノリで、布団を部屋から引っ張ってきて、ここでみんなで寝た。
(ワタシ、わざわざ割増料金払って個室希望してたのに(爆))

あれは何年前かな、と思う。
あのときは、まだなんにもわかっていなくて、この空間もとても広く大きく感じられて。
今はここがなんだか狭く感じられる。
あれから何年たったんだろう。
あれからずいぶん遠いところまで来たなぁ、と思う。
自分がこんなふうに変わっていくとは、夢にも思っていなかった。
こんなに豊かで幸せな自分になっているとは、あの頃の自分はまったく理解できないだろう。
でも大丈夫、あなたはちゃんといいところにたどりついてるよ、と、あの頃の自分に言ってみる。

今までに出会ったたくさんの人たち
たくさんのもの
たくさんの出来事
たくさんのたくさんのあれやこれや全部。

ありがとう。
もう全部全部、ありがとう。






そして今日の夕食。




デザート。
雑穀のぜんざいです。



先週、3泊4日で穂高養生園に行ってきました。
去年は行けなかったので、2年ぶり。

やっぱり穂高に行くとほっとする。
「ただいま~」って言いたくなるくらい、ほっとする。
単純に自然の中に行くから嬉しいのかと思っていたけれど、今年、長野県の別の場所に行ったときに、そこは同じように自然の中、山の中なのにまったく嬉しい気持ちになれなかった。
自分に合う合わない、土地との相性っていうのもあるんだなって初めて知って驚いた。


滞在中、ときどきツイッターで写真共々つぶやいてみたりしていたけど、自分の記録のために、こっちにもまとめてみます。
写真、ぼけぼけばかりだけれど(^^ゞ


山の中なので、携帯の電波状態はあまり良くないということもあるにせよ、不思議なことに、このblogへの記事のアップもツイッターもメールも、送信したのになぜか全部消えてしまうということが、しばしば発生。
それは消えていい文章、なのだと理解して、再度書き直すということはしなかった。
多分、本当じゃない言葉とか、外に出さなくていい言葉は消えていったのだと思う...。



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(のっけから、なんですが(^_^;))
松本駅に到着すると、駅のあちこちにポスター発見!!
そういえばそうだと思いながら、いきなりテンションがあがってしまいました(^_^;)

ポスターの横に、つりさげられていたパンフレット。
他のパンフレットは、棚に入っていたり、平積みされているのにこれだけが無い。
もしかしたら、大量に持っていかれるのを防ぐために、どこかに置いてあるのか?
基本、「モノには手を出さない」主義だけど、こんなレアものをゲットしないでどうする、自分!
と、旅の恥はかき捨ての気持ちもあり、意を決して観光案内の窓口で聞いてみたところ、はい、ありました~。



ロケ地の案内も含め、10ページもの立派なパンフレットでした。

そういえば、同じように「おひさま」の真央ちゃんのポスターもあり、(「おひさま」は見てないけど、一応、花男つながりだし)「をお!」と思っていたんですが、この次の日に紅白の司会の発表記者会見があったんですよね。
会見でも「チーム松本として頑張りたい。」というコメントがあったようで、なんとなくタイムリーで勝手に嬉しかったりして(^^ゞ





さて、一日目の夕食

2年ぶりの養生園ごはんで、嬉しい!!
メインは朴葉焼き。




オープン♪




野菜がどれもしっかりした味で、甘くて美味しかった。


そして、デザートは赤いんげん豆のモンブラン。

いらない食器は、ちょっと前に捨てたのだけれど、気に入らないけど必要な食器はお気に入りに出会うまで使い続けざるを得ない。
好きじゃないのに使い続けている器の第一番が、醤油の小皿。豆皿っていうの?
これをなんとかしたくてしょうがなかった。

で、今日、近所で年に1回開催されるいろんな作家さんが出店するイベントがあったので、「これだ!」という意気込みで行ってきました。
絶対に、お気に入りの醤油の小皿を買う!と(^^ゞ

結果、こんなに買っちゃっいました~。


豆皿だけではなく、白の丸いお皿もずっと欲しかった。
友達が集まったときに、取り分けに使うちょうどいいお皿が無かったので。
長年使っていた、中鉢もひびが入ってしまったので、同じくらいの大きさのものが欲しいと思ってた。
そんなこんなのニーズを8割方満たすお買い物をしました♪


20代の初めに、初めてちゃんとした器を買った。
当時の自分にとっては、ビタクラフトに次ぐ、高価な買い物だった。
ちょっといい器に盛ると、なんでもない料理も少なくとも3割増しで美味しそうに見える。
たったひとつの器で、こんなに食卓が豊かになるんだ~、と驚いた。
その器も含めて、結局、今、毎日使っている器はみな、20年・30年選手(^^ゞ
私はモノ持ちが、非常にいいらしい。
これだけ長く使うのだから、結局、非常にお得な買い物になっている。

さっそく新しい器の置き場所を決め、ときめかない器は捨てた。


新しい器にさっそく盛ってみた、今日の夕ご飯。

お刺身2点&かぶと柿のサラダ


しめサバ


白菜のきのこクリーム煮



近所に立ち飲み居酒屋が出来て、店頭で非常に安くお刺身を売っていたので、つい買いすぎてしまいました。
だって、お刺身は1つ200円。〆サバにいたっては150円。
(〆サバってそんなに好きじゃないのに、買っちゃった。)

もちろん、今日は焼酎をいただきます♪


「断捨離」と言ってみて、なんとなく家の片づけを始めたものの、なんとなく始めたものはなんとなくフェイドアウトした(笑)。

先日、偶然テレビでみたこんまりさん。

名前と漠然とした内容は知っていたけれど、
「ときめき、って言われてもさー。」
「乙女、って言われてもさー。」
というイメージ先行で、正直、侮っていました、わたし。
ごめんなさい。
ぼーっと見ていたテレビだけど、「もしかしたらこの人、凄いかもしれない。」となんか思いました。
私の中で、「ちっちゃい人は、実はものすごい根性がある。」という定説があるんですが(爆)。
一見小柄でかわいらしい女子に見える人は、実はすごく気が強かったりする、というのが今までの人生経験上、あったりします(^_^;)
なんでしょうか、あれは。
ぎゅっと凝縮されているんでしょうか。

というわけで、普段は買わない本を本屋でさっそく購入。
読んでみると、俄然、やる気。

人生に一度の片づけ祭り、始めました。
目標は年内。
最悪、旧暦で年内。
なにしろ、一生に一度のことなので、期間はそのくらいは必要ってことらしい。
「祭り」だから、非日常。
完璧に、まず、捨てる。
とりあえずここで宣言して、挫折しないよう、自分にプレッシャーをかけてみる(笑)。

そういえば、断捨離をやりかけたときに、まず食器の類を相当捨てたのだけれど、それから食器の出し入れのストレスがまったく無くなって、それはもう今まで何をやっていたのか?と笑っちゃうくらいの変化だった。
この快適さが、家中に広まったら、そりゃあ人生変わるな、という予感はする。

まずは衣類から片づけ。
まだ始めて3日なのに、「もうどこにこんなにあったんだ!」と思うくらい、出てくる出てくる。
それほどモノが多いわけではない、と思っていたけれど、それでも、もう捨てても捨てても減った実感がわかないくらい、いらない洋服が山と出てくる。
もう何やってんだか!と思うくらい、出てくるもんです...。


新品同様で捨てるに忍びない服たちは、こんなところに引き取ってもらう予定です。
断捨離やら片づけする方、しようと思ってる方、ご参考までに。

WE21ジャパン
(洋服以外も寄付できます。)

ツーハンズ
(着払いで送って、買取りもしてくれます。買取り代金を寄付することも出来ます。)



少し大変な日々が続いていた。

わかったことは、「私は強い。」ということだ。
そして、強いということは、時にはソンだなぁ、という感情も現れる。

もう子供のように、「助けて!なんとかして!私を見て!私を救って!」というところは自分の中に無い。
そうしてみたい、そう出来たらラクだろうな、と一瞬は思う。
でも、本当に自分はそれをやりたいのだろうか?そうしたら本当にラクだろうか?と、考えれば、それはまったくの『NO』だ。
そうやって得られるものは、一時の助けになったとしても、本当の意味での助けにはならないということを知っている。
だからもう、それを欲しいとは思わないし、必要とはしていない。

自分でなんとか出来る、ということもわかる。
それは、助けが必要であれば、きちんと「今、少し大変な状況なので助けていただけませんか?」と、頼むことも出来るし、適切な頼む相手をみつけることも出来るということも含む。

それでも、生身の人間である私の感情は痛むところもある。
怒りもくやしさも悲しみも寂しさも感じる。
そして、それを感じることも、自分に許せる。
人間だから、感じて当たり前。
そして、いつか消えていくことも知っている。
だから、ただじっと受け止める。


久しぶりに引いたOshoの今日の一枚。
めずらしく説教では無く、Oshoにほめられた気がした。
わたしがたどりついたところは、「従うことは出来ない、しない、けれども争うこともしない。」だった。
全部、受けとめよう。


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再誕生




禅では、あなたはどこからも来ていないし、どこにも行かない。あなたはまさに今、ここに在る。来ることもなければ、行くこともない。あらゆることが、あなたのそばを通りすぎていく。あなたの意識はそれを映しだす、が、それと一体化することはない。
ライオンが鏡の前で吠えると、その鏡も吠えると思うかね? あるいは、そのライオンが行ってしまい、子どもが踊りながらやって来ると、鏡はライオンのことなどすっかり忘れて、その子といっしょに踊りだす――鏡は子どもといっしょに踊る、そう思うかね? 鏡はなにもしない、ただ映しだすだけだ。
あなたの意識は鏡にすぎない。
あなたは来ることもなければ、行くこともない。
ものごとは来ては去っていく。
あなたは若さを迎え、年を取る。あなたは生き、死んでしまう。
こうした状態はすべて、意識の永遠のプールに映しだされたものにすぎない。


解説:
このカードは、フリードリッヒ・ニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』で述べている意識の進化を表わしています。彼は駱駝(らくだ)、ライオン、子どもという三つのレベルを語っています。駱駝は眠たげで、怠惰で、自己満足しています。自分はお山の大将だと考えて妄想の世界で生きていますが、実は、あまりにも他人の意見を気にしすぎて、自分自身のエネルギーはほとんどありません。その駱駝から現われ出るのがライオンです。これまでずっと生を見逃してきていたことがわかったとき、私たちは他人の要求に対して「ノー」と言いはじめます。集団から抜け出し、独りで、誇り高く、自分たちの真理をうなりをあげて吠えるのです。しかし、これで終わりではありません。最後には、おとなしく従うこともなければ反逆することもなく、それでいて無垢で、自発的で、自分自身の実存に真実である子どもが現われ出ます。まさに今、あなたがどのようなスペースにいようとも——眠くて憂欝であろうと、あるいは吠えながら反逆していようと――それを許しさえすれば、それはなにか新しいものへと進化していくのだということに気づいていましょう。



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最善というのは、「あなたが考える最善」ではない。

数日前にふと、そんな声がした。
最善とは、宇宙の意図に沿うこと。
自分の意図も全部手放して、全てゆだねること。

次のレッスンが始まった気がする。