自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~ -33ページ目

自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分で決めて、自分で生きる。
自分を愛して、自分を生きる。

自分の性格上、支離滅裂な文章は書きたくないと思ってしまう。
outputするものは、筋道立って、他人が読んで理解出来るものでありたいと思う。
たとえば、こんな出来事があって、こんなことを感じて、結果、こんな理解に達したよ的な。

でも、ここのところさっぱり文章がまとまらない。
そして出来事はどんどん起こり続け、どんどん古くなっていく。
でも、outputしたいという気持ちが強い。
自分の中に溜まったことを、外に出さないとバランスが悪いような気がして落ち着かない。

twitterを始めてみて、その瞬間に思ったことはそこに出して、すっきりすることもある。
でも、140文字の制限は窮屈で、やっぱり本当にすっきりはしなかった。
中途半端なままで終わっているような。

でも、誰にわかってもらいたいんだ?
自分の考えの整理のためだから、順序だってなくたっていいじゃん。
基本は自分のため。
そして、「私が書きたいと思うってことは、世界のどこかに読みたいという人が存在するということ」ってことだ。

それに、うそが混じっている言葉は、絶対に許可が出ないことを知っている。
どんなにきれいな言葉を並べても、それが自分を正当化したいがためのものだったり、遠まわしに誰かを批判したいものだったり、そんな気持ちが少しでも混じっていれば、自分の中でoutputする許可はおりない。

だから、ちゃんと筋道だって書くことを、放棄してみます。

と、宣言してみないと落ち着かない、面倒な性格(~_~;)
もう重荷をおろすときが来た。

あなたが背負っていると思っていた重荷など、存在していなかった。
(今ならそれがわかるだろう。)

あなたが私を見つければ、それは消える。
私は初めからあなたとともにあった。

あなたが私を見、そして(見たということを)認めた今、
「ともにある」ということの意味を理解出来ただろう。

あなたは既にそれを体現している。
多分、「今が一番しあわせ」だと思う。
とりあえず、無理にやらなければいけないことは何もないし、好きなこと・やりたいことだけやっていればいい。
時間に縛られることも何も無い。

それなのに、何かがフィットしない。
だから落ち着かない。
焦る?というより、もどかしい、という感じ?

こんな状態がそう続くわけは無い、とかいう幸せに対する抵抗感(?)でもない。
こんなんでいいんだろうか、っていう無駄な不安感でもない。
何かしなくちゃいけない、っていう焦りでもない。
何もやっていない、っていう無力感(?)でもない。

ただ何かがしっくりこない。
何かがフィットしない。

ということだけは感じる。

いろんな変化が起きすぎてついていけないのかな、とも思うのだけれど、その考えもどうもしっくりこない。

わからない。

わかろうとしなくてもいい、とは思うけれど、とにかく落ち着かない。
表面上、いろんなことはうまくいっている。
嬉しいこともたくさんあるし、楽しいこともたくさんある。
それでも、どこかにあまり居心地がよくないところがある、本当は。
不満とか不安じゃなくて、「しっくりこないところ」がある。



書き出したら何か出てくるかと思ったけれど、何も出てこない(笑)。

とりあえず、今、私は、何かがフィットしていない、って思っています!

最近、人に会うと、「めまいがするほどヒマ」とつい言ってます。
「なにしてるの?」と聞かれると、「ご飯食べてる。」と言ってます。

本当に、毎日、ご飯食べるだけで一日が終わっていく。
週5日も会社に行って、朝から晩まで働いていたなんて信じられない。
「どうするんだろう、自分?」と思うのだが、とりあえずまだまだ、今までがっつり天引きされていた社会保障費、その恩恵にあずかる生活でいいんじゃないかとも思う。
まだ何か次へ動く時ではないような気がしているけれど、それは単なるなまけぐせ、甘えかもしれないと思ったりもする。
でも多分、そういう考え方自体が、サラリーマン時代の考え方のくせ、今までの価値観で、これからはそういうものとさよならして生きるのだろう。

会社員を辞めたら時間が自由になるから、今までは無理だったあれをしよう、これをしようという考えはあった。
でも、いざ、辞めてみたら、そのどれもそんなにやりたくなかった(笑)。
それは今まで、「成長しなくちゃ」とか、「前へ進まなくちゃ」とか、「もっと頑張らなくちゃ」とか、何かに急き立てられるような暮らしの中で考えていたことだったからだと思う。
結局のところ、「『何か』にならなくちゃいけない」という観念から来ていた。
「会社員」をやめたら、代わりの「何か」にならなくちゃいけない、と。
もちろん、経済的な理由で、そのうち何かはしなくちゃ困るのだけれど、職業としての「仕事」はもうしないだろうと思う。
「仕事」に関しては、やりきった感がある。
本当によく働いたと思うし、会社という組織の中で学べること、人との関係についても、あの場所で自分が学べることは全部やりきったと感じている。
だから、これから、「仕事で成功したい」とか、「高収入を目指す」とか、そういう夢や希望はまったく自分の中にみつからない。
(冗談で「余生」と言っているが、本当に隠居した老人みたいだ。)
巷でイメージされる「成功」や「高収入」とは程遠いけれど、自分の中で、ひとつの仕事をまっとうした、ときちんと思えているので、さらにそれをまたやりたいとも思わないし、やる必要も感じられない。

そういうせきたてられるものが一切無くなったら、何もやりたいと思わなくなった。
何もやりたくない、というより、「何か」になりたいという気持ちが無い、と言う方がしっくりくるかもしれない。
職業的な何か、手段としての何か、になる、ならなければいけない、という観念が無くなった。
自分を表現するための何か、ということさえも違うような気がしてきている。
ただここにいるだけじゃいけないのかな。
それでいいんじゃないかな、と思う。


足りない自分、欠けている自分、という観念も、もう薄れてきているようだ。
ダメなところはそりゃあ、まだまだあるけれど、それは何かが「足りない」わけではない。
そもそも完璧、完全に創られている、という考えがしっくりと肌になじんできたような気がする(^^ゞ

いろんなことが、もうプラスアルファに感じられる。
もうすでに十分で、そこにご褒美のように何かがプラスされていくような感覚。

「もっともっと」という考えが無くなって、「明日のために生きる今日」じゃなくなってきている。

明日の準備のための今日の苦行。
先の未来のための今日の我慢。

そういうものは、もう必要じゃないなぁと思う。

何かになる必要もなく、ただ、いまここで、わたしでいればいいだけ。


少し前の出来事。
やっと受け入れることが出来たから、ここにoutputしてもいいかな、と思う。



2か月ほど前、クラニオのセッションを受けた。
私にとってのクラニオは、瞑想のようなもの。
深い静かなところに行って落ち着きたいと思ったときに、セッションをお願いする。
私は、「観察者」がいてくれた方が、より深いところへ降りていける。


最初は息苦しさを覚え、突然、恐怖を覚えた。
とても、窮屈で「狭い」感じがして、これは母の胎内だな、と直感で思った。
バーストラウマが出ようとしているのかな、と思った。

でも、それを感じていても、息苦しさ、窮屈さにまったく変化がおこらない。
どうしたものかと思い、母の視点に移って見ようと試みた。
母のことを感じたら、そちらからの視点でみたら、何かが解消されるかもしれない。

でも、そうしているうちに、逆に母のことが感じられなくなった。
母と私はなんのつながりもない、という感覚が強く現れてきて、「えー、なんで?!」と戸惑った。
母の存在と私の存在に、大きな意味は無い?つながりは無い?

どんどん母の体も意識も消えていき、その外に何かがある、という感覚が強くなる。
肉体のレベルを超えたもっと向こう。
生まれる前の、あるいは生まれる前のそのまた向こう。

ただ、本能的に、それを見たくない、確かめたくない、と感じた。
怖くて見たくない。
でも、どうしようもない。
見たくなくても、それがそこにあるのをもう避けることが出来ないほどのパワーだった。
目を閉じていても、実際、肉体としての目は閉じているわけだけれど、そうではなくて見たくないという意志を超えて、それはもう勝手にやってくる。

それは、光。
ただ、光しかない。

白を超えた、ダイヤモンドのようなキラキラした光。
今まで一度も見たことのない光。
この世界、この地球の光では無い。

今まで知っていた「光」の概念を超えた光、だった。
光しかない光。


『こっちに来なさい。』


多分、そんな概念、が降りてきた。

そっちに引っ張られる、「持っていかれる」と思った。
もう全部まるごと、そっちに持っていかれる。

私の奥の奥の方、深い深いところにある私は喜んでいるのがわかる。

歓喜
至福


でも、生身の私の意識も存在し、それは強烈に怖がっていた。
なぜなら、そっちに行くのに、この肉体は持っていけないということがわかるから。
私が今、「yes」といえば、この肉体を捨てて、そちらに行くということ。
それは、この世界では死を意味する。

肉体を離れることに、なんの苦痛も伴わないことはわかる。
それでも、人間としての本能のようなものが、ひたすら怖がっていた。

行きたいのか行きたくないのか、わからない。
でもとにかく、ひたすら怖かった。
「yes」と言ったら、この3次元の世界では何が起こるのか?
ここで突然死されたら困るだろうなぁ、とか、そんなことを考えている自分もいるのだ。

結局、私は、意志の力と、肉体の感覚とを総動員して、自分のからだに戻った。



肉体を離れる、ということは、自分の意志で出来るのだ、ということが、あの瞬間わかった。
この世界を終わる、と決めた時に、自分で離れることが出来るのだと。


それまで私は、「アセンション」とかいう人を、冷ややかな目で見ていた。
全然、意味がわかんない!
そんなことあるわけないじゃん!
何、その選民意識!
ばっかじゃないの!
というくらいのアンチだった。

でも、でも、でも。

あの光は、この世界とはまったく別の世界だった。
ここと地続きでは無い。
明らかに、「シフトアップ」した世界。
波動・波長・次元の異なる世界、だった。

この世界の輪廻転生から抜けた世界。

その世界では、私はまっさらなまったく新しいいのちとして生まれる。
まったくの赤ちゃんとして、その世界に生まれる。


今までずっと、私はまだまだ何度でもこの世界に生まれ変わりたいと思っていた。
肉体があるこの世界を、まだまだ味わいたいと、強く思っていた。

でも、それこそが最後の一番大きな執着なんだとわかった。
いい加減、その執着を捨てろ、と。
もう、次の世界に行くとき。




やっと、この世界の神さまやらなんやらいろんなことに折り合いをつけて、穏やかに幸せだと感じて生きていけるようになったのに。
それはほんの束の間。
またさらに次の世界を見せられる。
どうしてほっといてくれないのか。

戸惑いとともに、そんな怒りが現れた。

頼んでないのに!
望んでないのに!







突然、夜中に気がついた。


「私、頼んでた...。」


いろんなメッセージなのかビジョンなのか、よくわからないものが、突然勝手にやってきて、そして放っておかれる。
まったく望んでいないのに。
起こったことを受け入れ、理解し、消化するのに、今までずいぶんと苦労してきた。
自分でコントロールすることも出来ないし、何かの役に立てるわけでもない。
そんな中途半端さに嫌気がさして、叫んだんだ。

「会社員を辞めたから、もうキャップをはずす!」
「行けるところまで行くから、もう見せられるものはとことん見せてちょうだい!」

そんなふうに、自分で宣言してたってことを思い出した。
宇宙はちゃんと願いを聞いていてくれたようだ...。