自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~ -30ページ目

自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分で決めて、自分で生きる。
自分を愛して、自分を生きる。

今の自分の感覚は「余生」なんだけれど、余生というと、あまりいい印象を持たれないみたいだ。
「いやいや、まだまだこれからでしょう。楽しみましょうよ。」みたいな。

別に世捨て人のようになるつもりもなく、楽しいことはしたいし、する。

ただ、「なんでも好きなことが出来る状態」になってみたら、「なかなか自由に好きなことが出来ない状態」で考えていた「好きなこと」や「やりたいこと」とか「楽しいこと」が、全部違っていたということがわかった。
出来ないと思うから焦って、「やらなくちゃ」「楽しまなくちゃ」と思ってやっていただけだった。
学ぶことも、遊ぶことも。
全部、「やらなくちゃ!!」「やるべき!」という焦りからやっていたのだとわかった。
こんなところにも、「世間一般」みたいな思い癖があったのだな、と気がついた。

「肉体を持っているからこそ」ということもわかる。
ただ、それで何をやるかは人それぞれで、今の私は、毎日のんびり普通の暮らしをしていることが一番の喜びなんだな、としみじみ思う。
忙しくて出来なかったこと、というのが、たとえば旅行に行くことや、何か新しいことを学ぶこと、学んだ技で開業して成功する、ということではなく、ぬか床を作るとか、手前味噌を仕込むとか、友達とゆっくり話をするとか聴くとか、はたまたACIMのワークブックをやることとか、こうやって文章を書いて自分をとことん味わってみるとか、そういうことだった。
そういう意味で、私は今をとても楽しんでいる。


まだやり残したことがあるのはわかっている。
一生、引きこもっていたいとは思っていないし(笑)。
この先、何かの形で人と関わっていきたいと思っている。

いつまで躊躇してるの!
いつまでブレーキ踏んでるの!

という思いがついよぎってしまうけれど、どうにも今はまだそのときではないような気がしている。

「余生」ではなくて、「春休み」なのかもしれない。
新学年が始まる前、宿題も無い、のんびり自由な時間。
でも、どこか中途半端で、新学年を前にちょっとだけドキドキ。


最近、いろいろと昔のことを思い出す。
今まで振り返る暇も、思い出す余裕も無かったみたい。
すっかり忘れていたことを、「そういえばそうだった!」と思い出している。
驚くほど重大なことを忘れていて、びっくりする。
いやな思い出ではなく、楽しかったこと、嬉しかったこと、感謝ばかりの出来事。
今思えば、なんだかすごくサポートされて導かれていたんだ、としみじみ思ったりする。


人生の棚卸し。

多分、まだこの作業が終わっていないんだろう。
次の学年に進級する前に、今までを復習・整理整頓。

春休みが終わったら、本格的な「余生」に突入するんだな、と、今、思った。

「第二の人生」じゃなくて、「余生」。
自分のためであって自分のためでないような。

どうか私を使ってください、と。
今日は、キッチンタイマーをそばに置き、15分に1回のワーク中(^^ゞ
やっぱり、会社員してたら無理だと思う。
無理だと思うから無理なんだろうけど、それでも会社員の私には無理だったと思う。

ワークは淡々と続いています。
いいのかいこれで?と思うこと、しばしば。
そのたび、これでいい、とキャンセルしてます。

ほとんど引きこもっているので、トリガーがひかれることに遭遇しないのかもしれない。
古い記憶が蘇ってくることも多いが、あまりそれで心が揺れることも無い。
すっかり忘れていたような昔のことを思い出す。
思い出しては、ああそうだったんだ、と確認して、また忘れる。

会社員のストレスが無くなったら、こんなに穏やかなんだなぁと思う。
今日、気がついたのだが、会社での出来事を思い出すことがまったくない。
しかもそれらは、その最中ではあんなに大変であんなにイライラしていたというのに、今では思い出してもまったく腹も立たない。
もうすっかり過去のこと、終わったことになっていて、まったく気にならない。
本当にやりつくして、味わいつくしたんだろう。
今まで、生活のほとんどの時間を占めていたというのに。

自分の中で少し分析してみれば、会社の中で起こること、腹が立つことは、自分の本質ではない、ということをある程度、意識できるようになっていたからだと思う。
あなたの仕事にNOと言っているだけで、あなたの人格にNOと言っているわけではない、と常に思っていた。
好き嫌いを言う人がいても、「好きとか嫌いはどうでもいい。仕事さえやってくれれば、なんの問題も無い。」と思っていた。
自分も相手も、仕事上の「立場」で、言うべきことを言っているだけだから、それに対して好き嫌いというような感情を持ちこむ感覚は無かった。せいぜい、「そのやり方は好きになれない。」程度の話だ。
あの仕事の出来ない僕ちゃんも、仕事さえきちんとこなしてくれればいいわけで、嫌っていたわけではない。
まあ、残念な気持ちはあったけど(~_~;)
それに、彼が私を嫌おうが、それは私にはなんの関係もないこと、私の本質にはなんの関係もないことだとも思っていた。

仕事に対する取り組み方、先の見通しとか判断の理由とか、親しく話をする子たちに、「そこまで考えている事、周囲の人たちは理解できませんよ。伝わっていませんよ。」ということを言われることがあった。
でも、自分がわかっているからいい、と思っていた。
私は私にとっての真実を生きているから、他の人がどう思おうとどうでもいい。

自分では何も隠さず、出し惜しみせず、全部説明している。
理解していないな、下手をすると全く聞いていないなと思うこともあった。
でも、今は理解できない人たちも、1年先か3年先か、もしかしたら10年先かもっと先かもしれないけれど、「そういえばあのとき、こんなことを言っていたなぁ。」と思い出すかもしれない。
年齢と経験を重ねたときに、今、一緒に仕事をしたことが何かの足しになっていれば、それでいいと思っていた。
反面教師として思い出されるのだとしても、それはその人なりのベストをみつけたということだから、それもまた喜ばしいことだ。
私のやり方がベストだとは思っていないし、方法はいくらでもある。
同じことをしなさい、私のやり方でやりなさい、と言っていたわけではなく、自分の頭で考えなさい、あなたはどうしたいの?と言い続けたつもりだ。






こうやって思い返してみて、思う。

あー、それも、もうどうでもいいなぁ(笑)。


ちょっと、微笑ましいな、自分、と思う。
うんよしよし、頑張ってたね。
よくやってたね。

それももう終わったことだ。

恐ろしく自信があったんだなぁ。
ブレが無い。
だから堂々とやってこれたんだな。

その自信の元は、毎日毎日、朝から晩まで続けてきたから。
最初から自信があったわけではなく、ずっと続けてきた、その経験から生まれたもの。



今、私の心を揺らすものは、日々の小さな人間関係だったり、これから先のことを思うことだったりする。
どれもこれも、自信が無いから。
いや、いわば初心者で経験が無い、自信があるとかないとか思う以前のところに、今はいる。
今までとはまったく違った生き方をしようとしている。
でも、自分が何をやるのか、何をやりたいのか、どうしたいのかが具体的にわからない。見えない。
自分の心が定まっていないから、ぶれる。揺れる。




『何よりも自分は見たいと望んでいる。』

今日のレッスンです。
うん、今、そう思うと、ちょっと怖かった(笑)。



クリスマスの日から始めたACIMのワークブック。
今日は、Lesson21。
つまり、3週間続いたことになる。
3週間続けば習慣になっているなどというので、習慣になったのかな。

今までやろうと思ってもまったく続かなかったのに、ごくごく自然に続いている。
とりかかる適切な時期、というのが、誰にもあるのかもしれない。

ワークを始めると自我が暴れるとか、抵抗が出てくるとか、その日のワークにあわせたような出来事が起こってくるとか、いろいろと聞いていたけれど、何も起きない(~_~;)
まったく何も起きないわけではないけれど、今のところ大きな抵抗に出会っていない。
あんまりにも淡々と進んでいくので、「私はちゃんとやっていないんじゃないか?」とか、「きちんと理解できていないんじゃないか?」とかそういう思考が出てくるけれど、それこそがエゴの声だと思って、人それぞれ、と思い直して気にしないことにして、とりあえず先に進んでいる。


朝起きてパジャマのままお湯を沸かし、1杯の白湯を飲みながら、ワークブックを読む。
(あ、その前にまず、インナーメッセーンジャーを読みます(^^ゞ)

1分間という時間はあまりにも短く感じる。
でも、1度にそれ以上はやるなと書いてあるから、やらない。

ワーク自体は1分間で終えても、その後、いろいろと想いをめぐらせることもあったり、ただぼーっと過ごすこともあったりする。
今朝は、「この前のコオさんの音声、ちゃんとがっつり聞いてみようかな」と頭に浮かんだ。
(非公開対談の音声ファイルの1つめ、『聖霊とつながるとき』です。)

「ちゃんと」と思ったということは、今まで「ちゃんと」聞いてなかったのかというツッコミもあるかと思いますが、まあなぜか今日は「ちゃんと全力で聞いてみよう!」という気がしたわけです。

しかしながら、瞑想はまったく苦手な人なので、聞いていても頭の中のおしゃべりは止まらない。
どんな感じかというと

「いつでも私に頼んで欲しい。」

頼んじゃう、頼んじゃう、頼んじゃうよ、イエス!

というまことにもって騒がしい、かつ何故か今日は異様に軽いノリの私の頭の中。
お恥ずかしい限りです(~_~;)

いつも私は朝起きたときが一番疲れている。
寝方が悪いのか、枕があっていないのか、寝ている間に下敷きになったあっちこっちが痛くなっていたりする。
今日は特に長時間眠っていたので、カラダがバキバキって感じだった。

それで、思った。

このカラダの痛み、バランスが悪くて居心地が悪いの、これなんとかして、消して~。

ほんの一瞬そう考えた。
頼んだことも意識にのぼらないくらい。

しばらくして気がついた。

え?
カラダがラクじゃん。
さっきあった痛みが全部消えている...。

いつ無くなったのかさえ気がつかない。
気がついたら無くなっている。
まるで、最初から痛みなんかなかったように。
ただ、無い。

え?
え?
え~~~~~?



『奇跡とは認識の誤りを正すこと』

『奇跡に大小は無い』

『奇跡に時間は関係ない(奇跡は瞬間に起きる)』



カラダが痛い、バランスが悪いという誤った考え。
いや、そもそも、私は肉体だというのが誤り。
まちがった思考が、瞬時に消された。
誤りは正された。


そういう意味?
そういうことですかー?!


3週間続いたご褒美でしょうか。
もー、やるじゃん、イエス!と言いたくなる。
あくまでも軽いノリの今日でした(*^_^*)
行ってきました。
終わっちゃいました。
ただいま、祭りのあと状態。

いや、でも、私は「始まるまでが超楽しい」タイプなので、意外に普通かも。
本番になると、自分でもびっくりするくらいふつーに冷静。
去年初めて行った時も、行くまでは「メンバー登場を見たら泣くかも!」くらいの勢いだったのに、全然そんなこともありませんでした。
なにしろ遠くて(~_~;)
終わってみたら、まったく記憶がとんでいて、「なんで~?あたままっしろ状態でも無かったのに」とずっと不思議に思っていたのだけれど、わかった!
去年は見えてなかった!
単純ヽ(^o^)丿

今年もまた1階スタンド席で、距離は去年の東京ドームの方が全然近かったけれど、今年はほぼ正面。
ステージ全部、会場の空間全部が見える。
去年は距離は近いけれど、ライトの内野と外野の境目くらいの位置で、ステージを見るのに相当の角度があって、何やってるのかどうもよくわからなかった。
スクリーンも角度があって見にくかったし、映像とのからみも正面じゃないから、いまいちよくわからない。
で、あんまり記憶に残らず、だったのでしょう。
今年は全体が見えるから、そりゃあ肉眼では小指の先くらいで、しかも近視だから誰が誰だかよくわからないくらいだけど、でも状況はつかめる。
双眼鏡ももちろん持って行ってるので、要所要所で見てます見てます(*^_^*)
(そうだ、ライティングだって特効だって、今年はばっちり目に焼き付いてるけど、去年は特効の熱さは感じたが、ライティングとかまったく覚えてない。あの角度ではちゃんと見えないのだな。)

バックステージに来るとかなり近い!
ムテキはバックステージで踊ってくれたので、もーもー、ステキ!
こういうのを超絶かっこいいって言うのー!!って感じ(*^_^*)
肉眼でも見える。
ただし、近視の私にはよくは見えない(;_:)
普通の視力があれば、かなりよく見えたと思うなぁ。
昨日ほど、おのれの目の悪さを悔んだ日は無かった...
(見える眼鏡にすれば見えたかもしれないけれど、動くとうっとうしいのでコンタクトにしちゃいました。)


客電落ちた瞬間のペンライトの海のキレイさとか
後ろの席の女子高生の盛り上がりっぷりに思わず爆笑とか
a day~と感謝カンゲキ、初めて聞けたんだよ、やっぱ私これ好きなんだよ~とか
すみません、C&Rついていけてません、没頭するとつい忘れちゃう、アイドルファンはそれじゃダメダメとか
センターステージだと、音とダンスがずれちゃうくらい遠いんだよとか
双眼鏡、センターステージとバックステージと、ピント合わせが大変とか
音かなり悪かったです、残念とか
マイク入ってない?モニター聞こえてない?って場面もあったよね、とか
いろいろあるけれど、それはまあここであまり述べなくてもいいだろう(笑)。



ベテランおねえさまの適切な判断でさくさくと順調に帰れて、最終の新幹線を予約してあったのが8時台の新幹線で帰宅。
お茶飲んでほっとして、お風呂に入ってるとふと思った。

なーんか、普通だったなぁ。
普通の人だー。

なんじゃこれ?なんじゃこれ?って自分でも思ったんだけど。

決して悪い意味じゃないんです。
そりゃあもうステージの上でキラッキラに輝いてるんですよ。

特別な存在なんです。
でも、「特別」じゃないんです。

テレビやDVDとかで見る、切り取られた加工されたものじゃなくて。
アイドルとして演出された作られたものじゃなくて。
等身大の人間として頑張ってるそのまんまの姿。
一生懸命な姿、楽しんでいる姿、喜んでる姿、たまにずっこけてる姿。
なーんかそんなのを見た気がする。
この目でちゃんと。

すごいプロ意識で「お仕事やってる」っていうのもわかるし。
特別なんだけどね。
でも、決して人間として特別、なんじゃないんだよね。
うまく説明できないけど。

あー、普通なんだ。
普通の生身の人間なんだねー。

だから彼らにとっても、ライブは特別なものなんだね。
「嵐が見たい嵐はここにある」って、去年ニノが言ってたなぁ。
今ごろ、理解した...(*^_^*)



終了直後、後ろの席の女子高生が、「あ~、来年もまた来ようねぇ~!!」って叫んでたけど、来年、じゃなくて多分今年だよね、次のライブ。
「当たるといいよねぇ。」って、まわり中が思ったと思うな。
次回も行けますように。
出来れば、東京ドーム希望ですが(笑)。
名古屋も充分有りってことがわかったので、名古屋でも!
(ただし、音響はもうちょっとなんとかしていただきたい、です。)
ただいま、絶賛予習中ヽ(^o^)丿
昨日カラオケに行ったら、「ありゃ?」と、もにょっちゃう曲がぽろぽろ。
夏が終わってから、新しいアルバムはちょっとご無沙汰していたかもしれないと反省しました。

というわけで、明日はとうとう、とうとう、名古屋ドーム行ってきます!!

本当に、「人生、何が起こるかわからない。」と、つくづく、つくづく、思う。
まさか自分が、アイドルのファンになって、名古屋まで追っかけしちゃうとは?!
まあ、追っかけと言っても、単純に少しでも当たる可能性の高いところを選んだ結果ですが。

人生の後半でこんなことが起きるなんて、本当にもう自分が一番驚いている。
(だって、昔は頭脳警察とか行ってた人だよ(~_~;))

先入観とか、世間の常識、みたいな、ありそうで実はまったく実体の無いものがぼろぼろ落ちていったら、もう単純に単純に「これ好き!」って言えるようになったんだと思ってる。
半ばネタのようになってきていますが、それもこれもやすらぎの部屋のヒーリングクラスに通ったおかげ、と自分的には感じている。
クラスに通って、自分の内側を見て、許して癒して、自由になっていった。
それの一番わかりやすい変化の表れが、これなわけです(^^ゞ

今までレッテル貼ってちゃんと見ていなかった。
そういうのが無くなって、本質を見れるようになっていったら
「なに~。こんなところにこんな頑張ってる子たちがいたの~?!
 しかもキラキラしてるしー! ファンの子たちもみんな心底幸せそうだし!!」
って、なりました。
ライブのDVDを初めて見た時、とにかく客席のファンが本当に幸せそうな顔しているのに驚いた。
本当に7万人の幸せオーラ全開が半端無い!
もうぐわーって引き込まれて、びっくりして、泣きそうになって、ノックダウン(*^_^*)


しかし思い返してみれば、なぜか友達にファン(しかもかなり初期からの)がいたということが驚きなわけで。
そういえば、ライブのために上京した折には、一緒にご飯を食べたりしていた。
でもそのころは、「へぇ~、そういうの行くんだ(@_@;)」って。
「いまどきのアイドルは凄いんだよ。」って言われても、「ふ~ん」とまったく興味の外。
ライブ終わりだったのに、まったく話に乗ってあげられなくてごめんなさい、と今なら思う。

それから何年もたって、そういえばもしかして?と思い出した。
「実はファンになったんだよね。」とメールしたら、「一緒にコンサート行こうね!」と誘ってもらって、「えぇ?!」って最初は驚いた。
さすがに、ひとりで行くのはハードル高かった。
というか、行く・行けるとは思っていなかった。
ハードル高すぎて、行きたいとか思う以前の問題だった。
さすがに、そこまではしないでしょ、出来ないでしょ、と。
だって、若い子に混じってひとりで行くのは怖いし。しきたりとかわからないし。
女子高生に「うぜーよ。」とか言われたらどうしよう、とか(笑)。

彼女がいなかったら、コンサートに行くことなんて、絶対無かったと思う。

本当にいろんなところでいろんな人に助けられているなぁ。
いろんなところでいろいろとちゃんとお膳立てされている?、とも思うけれど(^_^;)

ファンになったおかげで、こんなにワクワク楽しい思いをさせてもらってる。

それだけじゃなくて、いっぱいいろんなきっかけももらってもいる。

今年の24時間テレビのパーソナリティに決まったって、元旦に発表があった。
ネットを眺めていたら、「ハードディスク増強しなくちゃ!」といきなりにぎわっていた中に、
「やらなくちゃいけないことは、HDの増強でしょうか?今、発表した意味を考えたら、やらなくちゃいけないこと、自分に出来ることは他にあるんじゃないでしょうか?」っていうようなつぶやきを見つけた。
こういうファンがいるってところが、凄いなぁ、好きだなぁって思う。
異例の元旦の発表は、これから冬の寒さが本格化する東北のために、今日から活動を始めるため。
それをちゃんと酌むのがファンの務め!忘れちゃいけない。
ぼーっと過ごしている日常の中に、時々こんなふうに、ガツンと一発、やってくる。

父のことを、戦争を考えるきっかけをもらったこともある。

これまた、ネタになりつつあるが、さくらっぷでも覚醒、みたいなこともあった。

無駄な先入観を無くすだけで、こんなにいろいろなきっかけが訪れ、世界が変わっていく。




しかし、自分の昔の文章を読むと面白いなぁ。
妙に熱かったり固かったり。
いやー、わかったふうに語ってるけど、全然わかってないな、とか。
逆になんでこのころこんなにちゃんとわかってたんだろ、とか。
今よりわかってるじゃん、とか(~_~;)