一日中眠かった。
1つ前の記事を書いたあとも、また眠ってしまった。
目が覚めて、ここ数日、意識の中にある「問題点」を考え始めた。
自分自身と対話してみた。
はっきりと意識するために、ノートに書いてみた。
また眠った。
目が覚めたら、日付が変わっていた。
誰か必要としている人がいるような気がするので、その一部を書いてみます。
・
全ての人を愛せないのが苦しい。
愛せない自分が苦しい。
無理に愛さなくてもいい。愛せなくてもいい。
愛は絶対だと、愛は部分ではなく全体だと、そう知ってしまったはずなのに。
それを実践できない自分。
愛を生きられない自分が苦しいのです。
どれだけごまかしても、どれだけ平気な顔をしても、根本で幸せになれないのは、常に幸せではいられないのは、自分をごまかせないから。
自分は愛を生きていない、愛には程遠い状態であることを自分が知っているから。
どうしてこんなに不完全に創ったのですか。
不完全ならば、不完全なままで、いい加減な愛だけ知って満足したかった。
どうして完全な愛を、究極の愛を見せたのですか。
どうしてそれを体験させたのですか?
それを知らない方が良かったのか?
またそれを知らない生を、生きたかったのか。
それは、飽きた。
見えないまま生きるのは、もうあきた。
でも、苦しい。
その苦しさも幻。
それはない。
手放せば、ない。
手放せないから、苦しい。
この世界は、苦しい。
この世界は本当に苦しいのか。
苦しくない。
この世界は美しい。
それなのに、苦しい自分がいる。
苦しい自分が見ているから、この世界は美しい。
この欺瞞。
この偽りの構図。
そこから私を出してください。
苦しい私でいなくても、この世界が美しく見えるように。
もうこの構図の中にいるのは、イヤダ。こんなのはズルイ。
どうしてこんなふうに創ったのか。
苦しくなくても、美しく感じたい。美しさを見たい。
「苦」という定義はなんだ?
あなたのいう「苦」とはなんだ?
限定。限られたもの。この肉体、時間、空間という檻。
限定。無限でないこと。閉じ込められた生。
死に向かう生。
生・病・老・死。
全ては死に向かっている。
向かう死、とはなんだ?
死の向こうには、何がある?
それを何故、私に聞くのか?
逆だろう。私が聞きたい。
聞いたことがあるのか? 私にそれを。
今、聞く。聞きたい。
死とは何か。その先に何があるのか。
死は恐怖ではない。
体験する死は、恐怖ではない。
想像する死が、恐怖であるだけ。
それならば、「限」は? 無限は? 有限は?
どれがあなたの恐怖なのか?
どれも、ない。
無限も有限も区別が無い。
無限という言葉のパラドックス。
無限が存在するならば、それはすでに無限ではない。
無限という言葉を知っているのならば、すでにそうなのだ。
あなたはすでにそうなのだ。
焦点を当てると、意識を向けると、そこに像が創られる。
焦点の外にあるものは輪郭がぼやける。形があいまいになる。
つまり像を結べない。
存在しなくなる。
私の世界に存在しなくなる。
それは悲しいか?
存在しないものに、悲しみを抱きようはずがない。
それは苦しいか?
「ない」ものに対して、苦しみようがない。
すでに、苦しみすら存在しようがない。
ならば、その世界に生きればよい。
そこにある自分になればよい。
苦しみも悲しみも、すでに存在しない世界。
限界が無いとは、大きいことではない。大きさが無いこと。
目盛りは無い。
大きさという概念が無いこと。
それが無くとも、変わらずに世界は存在し続ける。
世界秩序は崩壊しない。
この世界は、変わらず、存在し続ける。
私がそのように意図しているから。
・
目覚めることの矛盾。
目覚めたあとも、世界は続いていくことの不安。
それを手放した?
世界は壊れない。
私も壊れない。
安定して存在し続ける。
目を閉じなくても、自分の知覚を広げることが出来る。
目覚めたまま、この世界で生きることが出来る。
新しい私。
おめでとう。
55. 手放し

存在にあっては、優れている人はひとりもいないし、劣っている人もひとりもいない。一枚の草の葉も大きな星もまったく平等だ……。
だが、人間はほかのものよりも高い位を占めたがる。自然を征服したがる。だからこそ、人間はたえず戦わなければならないのだ。この戦いからあらゆる複雑さが生まれる。無垢な人とは、戦うことを放棄した人のことだ。より高い位を占めることにはもはや興味のない人、自分は特別なのだということを行動で示し、証明することにはもはや興味がない人のことだ。一輪の薔薇(ばら) の花のように、あるいは蓮の葉の上のしずくのようになった人のこと、この永遠の一部になった人のこと、溶け、溶け去り、大海とひとつになり、まさにひとつの波になった人のこと、「私」という考えがない人のことだ。「私」の消失こそが無垢だ。
Osho The White Lotus Chapter 6
解説:
早朝のこの蓮の葉のイメージを見ると、一滴のしずくが落ちたばかりだということが水の波紋からわかります。それはかけがえのない瞬間であり、強く私たちに訴えかけてくるものがあります。重力に任せて葉から滑り落ちることで、そのしずくはそれまでの自己確認(アイデンティティ) を失い、下の水の広がりに加わります。落ちる前にしずくは震えたに違いないということは、想像できます。すでに知っているものと、知ることのできないものとの瀬戸際で--。このカードを選ぶということは、なにかが終わっている、なにかが完結していることが確認されたということです。なんであれ--仕事、関係、あなたが愛してきた家庭、とにかく、これまで自分とは誰なのかをはっきりさせるための助けとなってきたに違いないもの--それを手放し、去って行かせる時です。しがみつこうとせずに、どんな悲しみも受け容れて--。より大きななにかがあなたを待っています。発見されるべき新しい次元がそこにあるのです。あなたはもはや戻ることのできない地点を越えてしまい、重力が働いています。それと共に行きましょう--それは解放を意味しています。
--------
「迷走中」
そんな言葉が自分の中から出てきていた。
どうも、よくわからない、感じが自分の中にあった。ここ数週間。
無理して行動してみても、消えない何か。
筏を捨てる
しばらく前に受け取った、このメッセージが、
また自分の中に、浮かんでいた。
『しがみつこうとせずに、どんな悲しみも受け容れて』
OSHOでも、悲しみを感じることがあるんだな(笑)
もうそれは必要ないとわかっていても、
古いもの、慣れ親しんだものを手放す時の、悲しみ。
あるいは、
覚醒した魂では、何もない、とわかっていても、
人間としての「私」が感じる、悲しみ。
私は本当に手放せているんだろうか。
確かに、「戦う」ことには、もうまったく興味が無い。
『私は私の戦いを終わらせる』
そう決めて、ずいぶんたった。
最後の怖れを手放す時が、来たのかもしれない。
でも、それを私は手放せるのだろうか。
落ちる前にしずくは、震える。
確かに、いま、震えています。
-----
対話セッションのご案内

存在にあっては、優れている人はひとりもいないし、劣っている人もひとりもいない。一枚の草の葉も大きな星もまったく平等だ……。
だが、人間はほかのものよりも高い位を占めたがる。自然を征服したがる。だからこそ、人間はたえず戦わなければならないのだ。この戦いからあらゆる複雑さが生まれる。無垢な人とは、戦うことを放棄した人のことだ。より高い位を占めることにはもはや興味のない人、自分は特別なのだということを行動で示し、証明することにはもはや興味がない人のことだ。一輪の薔薇(ばら) の花のように、あるいは蓮の葉の上のしずくのようになった人のこと、この永遠の一部になった人のこと、溶け、溶け去り、大海とひとつになり、まさにひとつの波になった人のこと、「私」という考えがない人のことだ。「私」の消失こそが無垢だ。
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お金があれば
仕事があれば
才能があれば
パートナーがいれば
子供に恵まれれば
旦那の理解があれば
ものわかりのいい親ならば
親友がいれば
ソウルメイトに出会えれば
幸せになれるのに!
と思う幸せは、
手に入れたらきっとまた、次の
○○があれば、
が出てくる。
ただ、幸せになりたい。
幸せになる。
だけじゃ、ダメなんだろうか?
幸せならば、○○は勝手についてくる。
あるいは、○○があろうがなかろうが、どうでもいい。
そういう「幸せ」をなぜダイレクトに欲しがらないんだろう。
本当は一番簡単な「幸せ」を欲しがらないで、
どうして条件付きの「幸せ」を欲しがるのだろう。
どうして、幸せを外に求めるのだろう。
○○がなければ成立しない幸せじゃなくて、
ただ、幸せであることを望めばいい。
たったそれだけのシンプルなこと。
順番が逆なんです。
ブロックをはずしたから、幸せになれるんじゃなくて、
幸せだってわかったら、ブロックなんか無かったってわかるんだよね。
ブロックなんか無いんだから、なーんだ、とっくの昔から幸せだったんだよね。
10年前、5年前?
いや、3年前の自分にそう言ってあげたいな~。
-----
あなたが本当に欲しいものは、なんでしょうか。
対話セッションで、あなたの目覚めのお手伝いをします。
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1日好きなだけお金を使っていいとしたら?
そんなことを、先日のシェアリングの会で考えてみた。
その後も、その問いが自分の中でずっと続いていた。
もし、いくらでも使っていいキャッシュカードを渡されたとしたら?
きっと、値段を見ないで物を買うだろう。
お金で買えるものはなんでも手に入る。
それはつまり、「お金」の意味が消えるということ?!
「買う」という言葉の意味がなくなる。
なんでも買える、なんでも手に入るということは、つまりもう全てのものを持っているということ。
この世界に存在する全てのものは、もうすでに自分のものなのだ。
その世界にいる自分をイメージしてみたら...
なにもいらない。
手に入らないと思うから、人は欲しくなる。
いつでもなんでも手に入ると思ったら、豪華な服やアクセサリーも、もうわざわざ欲しくはならない。
特別なものはいらない。
着心地のいい服と、ごく普通の美味しいご飯が食べられれば、それでいい。
それで十分だ。
なんだ。
それなら今の生活となんら変わりない。
無限に使えるキャッシュカードをもらったって、結局、おんなじだ。
「お金のブロック」とか、あるいは「豊かさ」ということを考える時、その根底には「たくさんあればあるほどいい」という価値観が感じられて、違和感があった。
うまく説明できない違和感。
そりゃあたくさんあった方がいいけれど、それにしても、「より多い方がより成功している」みたいな無意識的な了解と言おうか、前提といおうか。
もっと、ベタな言い方をすれば、大金を稼いでいる方がエライ、みたいな。
宇宙には無限の豊かさがある、といいながら、どうして、もっともっとと欲しがるのだろう。
あれも欲しいこれも欲しいと。
多くを欲しがらない自分は、やっぱり「お金のブロック」があるんだろうかとか、豊かさを受け取る準備が出来ていないのだろうかとか、器が小さいんだろうかとか、思うこともあった。
足りないものはない。
そう感じられるようになれば、お金の意味など消えていく。
本当の豊かさとは、足りないものはない、と感じて生きていくこと、なんじゃないのかな。
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あなたにとって、本当の豊かさってなんでしょう。
対話セッションで見つめてみませんか。
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今まで、こういうことを言うのはあんまりどうなのか、という想いがあった。
勘違いじゃないの?とも思う。
で、結局のところ、「無かったこと」にしてきたことが、どんだけ多かったか。
そんな反省も込めて。
また「無かったこと」にしないように、ちゃんと覚えておくように、outputしてみることにした。
光を見ることが多くなった。
以前から見えることがあったけれど、それこそ「気のせい」と片づけていた。
自分は極度の近視で目が弱いから、チラチラするだけ、と。
誰かと話をしているとき。
その周辺に、ピカッというのか、チラッというのか、はたまたくるっとした感じといおうか。
光が飛ぶ。
青か紫のような小さな光。
ごく稀に、白い光。
セラピストとしてセッションを始めたら、セッションの最中、その光をしょっちゅう見るようになった。
話しているクライアントさんの周辺に、チラっと光る。
それでも、「気のせい」「視力のせい」と否定して、気にしないようにしていた。
でも、その光が現れると、セッションがうまく行っているという合図として、どこか安心して先へ進むことも出来た。
今朝、目が覚めてそろそろ起きようかなーと、ベッドの中でぼーっと天井を見ていた。
光が見えるのって、これがもしかしたら(天使や聖霊がそばにいるという)サインってこと?
とぼんやり頭に浮かんだ。
すると!
天井に、白い長方形の光がチカ!チカ!と2度現れて消えた。
蛍光灯を小さくしたような、白く細長い光が。
まるで、「そうだよ」と返事をしているみたいに、チカ!チカ!と。
いつもよく見る小さな光とはまったく違うもので、わざわざ違う形にして、わかりやすくしてくれたかのような。
ああ、そうだ!
もうちょっと、わかりやすく教えてくれてもいいんじゃない?
って、昨日、思った!!!
確かに思った!
忘れていた。今の今まで!
(-_-;)
一応、部屋中を見渡して点検しましたよー。
あくまでも、疑り深い性格だし、検証したいタイプなので(~_~;)
窓には遮光カーテンも引いている。
そのすきまから何かの光が入ってくるとしても、寝室は北側にあるので、午前中に太陽光が入ってくることは無い。
(たとえば、車のライトのような)人工的な光が、外から入ってくることはない高さ。
工事も何もやっていないし。
だからなんだ?!なんですけどね。
あれだけ頭の固かった私が、光を見るようになった。
光が見えるということを、受け入れられるようになった。
これは、私にとって奇蹟以外の何ものでもない。
surrender以外の何ものでもない。
人生は面白い。
そして、この世界は美しい。
-----
良かったら、会いに来てください。
対話セッション・からだからの対話
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