自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~ -16ページ目

自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分で決めて、自分で生きる。
自分を愛して、自分を生きる。

ごく稀にだけれど、思わず口にすることがある。

かみさま...

ほとんどの場合、「お願い、助けて!」という状況だったりするのだけれど。(当たり前か。)

でも、自分の中に「神さま」はいない。
「神さま」という単語・言葉には、リンクされた何かのイメージがあって、それは自分なりのイメージで、人それぞれのものだとは思う。

私が「神さま」という言葉でリンクしているものは、あまり自分にはなじみが無いものだ。
「神さま」というと、逆になんだか人間くさくて(笑)
その反面、どうしても、自分の外にあるもの、手の届かないどこか果てしなく遠いところの存在、のようにも感じる。
まったく見知らぬ他人、のような、実在の人物じゃないような...?
「神さま」に対して、「実在の人物」というのは、まったくおかしな話だけれど、それくらいなじみがない感じがする。
だから、「神さま、助けて!」と言った瞬間に、なんだか願いは遠くなる。
届かない想い、になってしまうみたいだ。


逆に。


自分の中に感じる「何か」
自分の中に、奥に、感じる「それ」は、
とてもなじみ深く、なつかしい。
確かに、そこにいる。
いるというより、むしろ「在る」。
内でも、外でも、上でも、下でもない。


それを、「神さま」と呼ぶことにはためらいがある。
その言葉は、しっくりこない。



「神さま、じゃないよね。」

ふと、そう思ったら、笑った。
からだがゆるんだ。

名前などない。

最初からそうだった。

それでいいじゃない。

ねえ(笑)



もう言葉にとらわれるのは、やめよう。

とらわれは、囚われ。

心の自由を無くすこと。



今まで、遠ざけてきてごめん。
これからは仲良くしよう。


自分の奥、でもないのかもしれない。

もう、誰、それ、これ、ではなく。



ただもう、ともに。

自、他、ではなく。


私が笑えば、笑う。
そう、今もそれは、楽しそうに笑う。


おかえり。






確か、20代の初めのころよく聴いた曲。
今思い出しても恥ずかしいけれど、当時でさえ、気恥かしかった。
あまりにストレートすぎて、笑っちゃうほどきまじめすぎて。

でも好きだった曲。
よく聴いた曲。


今日はどうにも頭が重く、いったん起きたけれども、何も食べずにまた眠った。
その眠りから覚めたとき、頭の中にこの曲が浮かんだ。



もしも君にたよれば 弱くなってしまう

人に頼ること、甘えることが苦手だったのは、この思いがいつも自分の中にあったから。

いつも強くいたかった。
強い自分でいたかった。
誇り高く、強い自分。

だからほっといてくれ 一人で上手くやれるさ

そうやって、独りでなんでもかんでもやってきた。
中途半端な手助けならいらない。
いい加減な同情や、うわべだけの理解なんてまっぴらごめんだった。

結局「いつかきっとなんて」やってこないと、現実の生活の中で失望を重ねていた。


あるとき、ある人が、ある場所を去って行く場面の時、
「電話するから。また会おうね、絶対!」と言った。
「うん、そうだね。」と、あいまいに笑いながら答えた私に、

「絶対、連絡なんかしてこないって思ってるでしょ?
 会いたい人には私は、自分から会いに行く。
 会えない、って思っているのはあなたの方でしょ!
 会いたかったら、自分から連絡すればいいじゃない!」

最後まで辛口で、ズバッとした彼女だった。
その彼女とは、その後も数年間の交流が続いた。
でも、今はどこで何をしているか、知らない。

変わっていく中で、卒業する関係もある。
それを、「成長」と呼ぶのかもしれない。

でも、あのときの彼女は、こうして今も私の中にいる。

変わらないものを求めるけれど、
しかたなく、何もかも変わっていく。
それでも、その瞬間の想いに嘘はない。
ならば、その瞬間は永遠なのだろう。



20代のころより今は、人に頼ることも出来るようになった。
でも、その「加減」が私にはわからない。
どこまで頼っていいのか、どこからが「依存」で「うざったい」の境目なのか。

そしてやっぱり、心の奥には

もしも君にたよれば 弱くなってしまう

この思いが根強くあるらしい。


頼る相手は誰なんだろう。
頼れるのは自分だけ。

でも、その意味が、今は違う。

自分の中にある○○
名前の付けようのない『何か』
(それに、神とか源とか名付けてしまうことさえ、私にはしっくりこない。)

『それ』に繋がること、頼ることが、
同じく『それ』の表現である(肉体を持った)他者とも、真の意味で繋がること。


少しカッコよくいい過ぎたか...(笑)

そう思う自我の声が、私はとても好きです。




ECHOES - Alone



ALONE

歌 エコーズ
作詞 辻仁成
作曲 辻仁成

最近 涙を流したことがない
きっと元栓を きつく締めすぎだね
蛇口を開いて 泣きたくなる時もあるけど
その蛇口さえ 錆びてしまって動いちゃくれない

誰か俺の名前を覚えているか
あまり目立つことのない 小さな俺のこと

厚い電話帳で君を探した
昔 一度だけ 話したこと覚えているかい

今度電話するって 約束したはずさ
いつかきっとなんて ごまかさないでほしい

きのう一人で街をふらついてた
あふれる人達 かきわけて歩いた
夕日が 摩天楼包み込んできれいだった
それを誰かに 伝えたくて張り裂けそうさ

誰が俺の話を 信じてくれる
作り話ばかりで 食いつないできた俺

今度ばかりは少しこたえたよ
どしゃぶりの涙 よける傘の持ちあわせがない

だけどほっといてくれ なぐさめないで
どうかほっといてくれ 一人にしてほしい

もしも君にたよれば 弱くなってしまう
だからほっといてくれ 一人で上手くやれるさ

誰か俺の名前を覚えているか
あまり目立つことのない 小さな俺のことを





・・・・・・・

頼るのは私ではなく、あなたの中のあなた。
あなたの中にある『それ』に出会うお手伝いが出来ます。

セッションメニューはこちらです。


『聖霊に預ける』ということが、ずっとわからなかった。

頭の理解でしかなく、実際には自分はわかっていない、ということだけはわかっていた。

それは、『聖霊』というものがよくわからない、なじみがない、自分にしっくりこないから、ということも多分にあった。



自分がセラピストとしてセッションを始めた当初、

「まったく無意識に相手を傷つけたらどうしよう」

という怖れが自分の中にあった。


自分自身が、セッションやセミナーに行って傷ついて帰ってくる、という経験をしたことがあったから。
心が開いている状態での「ひとこと」の怖さを知っていたから。

それを自分がやったら、どうしよう、と。


そういう出来事も、結局はそれも必要な経験、そこから多くのことを学んだ、とは思う。
それでも、つらいものはつらい。
出来ればそんな思いはしたくはなかった。
無いに越したことはない。
そう思う。


私のひとことが、その人の人生を変えてしまうかもしれない、ということも怖かった。

「変えよう」という意識はないけれど、結果として変えてしまう可能性もある。

それは、悪い方向ではなく、いい方向だとしても、「自分がそんな大それたことをするなんて!」という怖さがあった。
自分がそんなことをしていいのか、その責任をとれるのか、と考えていた。



それから何ヶ月かたって。



今はわかる。

あのころ、そう思っていたことこそが、『傲慢』だったのだと。

私には何も出来ない。
出来ようはずが無い。

私は何もわからないし、何もしていない。
私は、ただのきっかけにすぎない。


目の前に現れる人は、みな素晴らしい人ばかりで、「生きる力」を持った人ばかりで。

みながみな、自分の力で、自分が何者であったか、に気がついていく。

自分の存在の素晴らしさに目覚めていく。


『聖霊』という言葉は、今もまだしっくりとはこないけれど。

私は何を心配する必要もなく、ただ安心してこの場所にいればいいのだということは、わかる。

何も怖れる必要は無く、この世界は安全で安心できる場所だとくつろいでいればいい。

すべてがおさまるところにおさまっていく。

この世界を信頼している。

それが、『聖霊に預ける』ということだと思う。




『奇跡』はとても穏やかで静かな強さを持ったもので。

そして、とても楽しい。

わくわくします。



セッションメニューはこちらです。



自分が何を選ぶか、でしかなくて、

選ぶことで、自分、が決まる。



笑っちゃうくらいいろんなことが、ものすごく「あらかじめ計られて」いたかのようで。

無意識の自分は、全部知っていたかのようで。



試されている、って思うことが何より嫌いだからか、

試されている、って思うしかないようなことばかりが起こって。



それもまた、自分の解釈でしかなくて。



私は今、幸せなんだか、不幸せなんだかわからない状態でいます。

ただこのまま、成り行きにまかせるしかない。



ごめんなさい。

私は私の生き方を全うします。



我を張っているようにも思え、

全てをsurrenderしているようにも思える。



この場所がまだ必要みたい、とつぶやいた理由がわかった。

私は間違っているんじゃないか、と不安になる。

いや、そんなことはない。
私は間違っていない。大丈夫、ちゃんとやっている。

自分に問いかけて、自分の奥の奥で感じて安心する。


でも。

どっちも、同じことだって気づいた。
間違っているかいないかを気にしている時点で、どちらも同じこと。

そういうことを全部捨てて、全部忘れて。

ただ、私は私でいたい。

いや、これまたそう思う時点で違うよね。

私は私でしかない。

どうころんでも、私は私。

ただ、私がいるだけ。

ただのわたしが。


ただいるだけ。

それだけ。



本当の私はもう何もいらない。
何も欲しくない。

もう全てあるから。

ただただ、ここにいるだけ。

それだけでいい。

それだけがいい。







-----


こちらは私のモノローグ。

ダイアローグが忙しくて、更新しない日々でした。

それでも私は、ここを閉じる気にはなれないでいます。
この場所がまだ必要みたいです。

ひっそりと置いてあるこの場所に、ひっそりと訪問して下さるあなた。
どうもありがとうございます。
ひっそりとこれからもよろしくお願いします。


癒しから目覚めへ。
『対話』であなたが目覚めるお手伝いをします。

セッションメニューはこちら。