自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~ -13ページ目

自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分で決めて、自分で生きる。
自分を愛して、自分を生きる。


戦わないことを、

戦い続けているアタシ



ははははは~

かわいいじゃん(~_~;)



戦わない、をするのではなく

戦いを止める。




YESを言い続けよう。

この世界にYESを。



歌いながら

笑いながら

この世界を、肯定し続けよう。






君にキスを 愛し続けよう
泣き出しそうな 毎日でも
とまどいながら 目の前に広がる
新しく心に描く 情熱の花を


hitomi - キミにKISS






歌ってあげよう 愛してあげよう
明日に笑う花になろう

『お花畑すと養成講座』始めました。




~ 大統領様 ~

作詩:Boris Paul Vian
作曲:Harold Bernard Berg
訳詩:高石ともや

大統領殿 お暇があれば
読んでほしい この手紙を
僕は今 戦場へ行く
徴兵カードをもらったところ

僕は逃げる 戦いたくない
哀れな人を殺したくない
大統領殿 腹を立てないで
聞いてほしい 僕は逃げる


父は昔 戦争で死んだ
子供達は泣きじゃくってた
女手ひとつ 苦労をしていた
母も今はお墓の中

爆弾を もてあそび
僕の心を奪っていった
旅に出よう 明日の朝にも
僕の住み慣れた家を後に


世界中の すべての兄弟
僕は行こう 言って歩こう
人生を大切にしなさい
僕らはみんな 兄弟だ

血を流すなら あなたの血を
猫っかぶりの偉いお方

僕は逃げる 武器は持っていない
憲兵達よ 撃つがいい
撃つがいい





さっきお風呂に入っていたら、ふとこの曲が頭に浮かんだ。

この曲を知ったのは、20代のころ。
小山卓治がアルバムの中で歌っていた。


こんな曲を聞いていたから、こんな人になった(笑)のではなく、
こんな人だから(爆)、こんな曲を聞くのかもしれない。



きっと、ずっとずっと昔からそうだったんだろう。

私は、もう本当に本当に戦いたくない。

戦いたくないのです。





「戦争」は、常にまず心の中にある。

目に見える形の「戦争」でなくとも

自分の心の中の「戦い」。



徴兵カードを無理やり手渡されるような、日常に出会うこともある。


でも。

僕は逃げる。
戦いたくない。



父も母も

そのまた父も母も

そんな戦いの中にいたのかもしれない。



これもまた連鎖。

そんな連鎖を断ち切りたい。

今、この時代に。



今、新しい時代だというのならば。



爆弾をもてあそび
ボクノココロ
を奪っていく

そんな世界からは旅立ちたい。



そして、
世界中の兄弟に言おう。

人生を大切にしなさい。



もう戦うのはやめないか?

それより花を植えよう。

たくさんの花を植えよう。



それが、私の見たい世界。

私が選択する世界です。





---

この世界に花を植える人を。

『お花畑すと養成講座』始めました。



久しぶりに、奇妙な夢をみた。

最初は、犯罪を犯した夢(-_-メ)

誰かを殺してしまって、死体の処理をどうしようか、誰かに罪をかぶせようかと、「完全犯罪」を必死で考えているところだった。

どう考えてもひとりでは運べないし、解体(~_~;)も無理だし。
指紋を消して、知らないふりをしてこの場を立ち去ろうとしているところで目が覚めた。

重苦しい気分で目覚めて、「なんでこんな夢を見るんだよ(-"-)」と思いながら、また眠ってしまった。


それからしばらくして(というのも変だけれど)

最初の夢の続きなのか、やっぱり何か犯罪か、どうしようもない失敗なのかをしでかしちゃった自分がいた。

森といおうか、山の中?
自然に囲まれた大きな家の中で、たくさんの人と一緒にいる。

からだの丸い胸の大きな女で、カラフルな布で作った服をまとっている。
でも、その「何かしでかしたこと」のおかげで、ふらふらでボロボロで、上半身半裸状態で椅子にぐったり座っている。
黄色の草木染めのような布をたくさん上半身にかけてもらっている。

周囲の人たちは、気を使って見て見ぬふりをしてくれている。

その状態が居心地が悪くて、その場所に自分がいることがよくない気がして、ふらふらの足取りで戸外に出ていく。

驚いて止めようとする人もいるけれど、戸外に出ると、からだじゅうに力がみなぎって走り出し、誰も追いつくことが出来ない。


林の中の道を走る。
からだじゅうに歓喜が満ちる。

畑のようなところで、踊る。
ありえないくらいの跳躍や旋回。踊り。


「アドレナリンが出まくっているから、肉体を無視して動かしている」

夢から覚めているような、もうひとりの自分が解説をする(笑)

心配して駆け付けた人々も、遠巻きにあきれて見ている。

あれは止めることが出来ない...と。



それでも、追手(?)がやってくることに気が付き、私である女は逃げる。

走って走って、茂みの中を抜け、海が見えるところに出る。

とても降りることの出来ないような崖だけれど、そこを駆け降りた(ようだ)。



広い広い大きな海。

太陽の光がキラキラと降り注ぐ。


波にもまれながら泳ぐ。

クロールで波を掻き分け、沖に出ると、
なぜかバタフライで、がっしがっしと海岸線に並行に泳ぐ。


自分の筋肉を感じる。

昔、スイミングスクールで習った通りに、
(そのときには出来なかった動きなのに)
ドルフィンキックで、腕の使い方、手のひらの掻き方までしっかりと。
頭も脚も、綺麗に、なめらかに、波に乗って泳いでいく。


時に俯瞰して、自分の泳ぐ姿を上空から見ている。
時には、海の中、波で舞い上がる砂、濁る水、その中を動く自分の手まで見える。


ミクロもマクロもあるね。
波のエネルギーに乗ってるんだよね。

解説者の自分もいる(笑)


そう、波のエネルギーに乗って、水の上を、中を、すごいスピードで、でもなめらかに、なんの苦労もなく進んでいく。

筋肉は疲れて悲鳴をあげる。

でも、からだじゅうにエネルギーが満ち溢れているので、止められない。

アドレナリンが、筋肉を動かしている。
実際の筋肉の限界を超えて、バリバリと古い殻が剥がれ落ちていくみたいだ。

その後から現れている、自分の筋肉を、からだを、たくましいからだを感じ続けている。


機能している筋肉、その動き。
その細胞のひとつひとつまでもが、エネルギーに満ち溢れている。

動くことの歓び、生きることの歓びに満ち溢れて、光り輝いている。


泳ぐ。泳ぐ。泳ぎ続ける。


波のエネルギーをもらっている自分。

すべてと一体化して、ただ泳いでいく。


動く私のエネルギー。

動く波のエネルギー。

海のエネルギー

太陽のエネルギー

空気も水も光も...



ああ、「大地の母」なんだ...


唐突に、そう頭に浮かぶ。


「私は大地の母となる」






やがて気が付くと、
ゆったりとしたクロールで泳いでいる。

ワンストローク・ワンキック。
たくさん泳いだ後の整理運動のための泳ぎ。

ゆっくりとからだがのびて
ゆっくりと呼吸をする。


海水に浮かびながら、

ふかーい呼吸。

とても長く、ふかーい呼吸。




実際に深い呼吸を繰り返している自分に気が付いて、目が覚めた。

胸が広がり、背中、肩甲骨も広がり、たくさんの空気が入ってくるのがわかる。

目覚めたまま、そのままの呼吸が繰り返されていく。

体中の実際の筋肉も、しっかりストレッチをしたあとのようなすっきりさ。

新しく生まれ変わったようなすがすがしさ。



半覚醒のまま、体中を伸ばし、曲げ、自分の全身を味わう。

胸郭が広がり、からだに入る空気の量が昨日までと全然違う。
最近、呼吸が浅かったのかもしれない、とふと思う。

手の先、足の先まで、血がかよっている感覚を味わう。
全身をめぐっている。




深い呼吸

広がり。


今もそれは続いている。




特にオチはない(笑)
この夢が何かを意味するのか???
まったく、わからない。

でも、この感覚をなるべく忘れないため。
自分のためのメモです。

あしからず(^_^;)







かつて、

言葉だけの理解

だったことが、


今は、

まったく違った理解

になっていることを感じる。



だから

「かつては言葉だけの理解だった」

ということがわかる。



かたちのないもの

その確かさ。


形が無い、というより

かたちを超えたもの。



それを、言葉という形に閉じ込めること。



まさに、道楽(笑)



楽しすぎて、笑いたくなる。









この笑い

あのときに出会った「彼」のもの!!!



そっかー!

そうだったのか。


こんな真夜中に

なんでわざわざパソコンに向かわなくちゃいけなかったのか。


こういうことだったのか。





ずっとずっと前に、「彼」と会った。

名前の無いそれは、「彼」としか呼びようが無かった。



100%の愛。


ただそれだけだった。

私の知っている100%を超えた、100%。


完全な

純粋な








突然の出来事に、

圧倒されて

コミュニケーションのとれない私に、

高笑いを残して去っていった。


大笑いして。


あのときの笑い。




去っていったのか?


それはもうどうでもいい。


今、それは、私と共にいる。

私のすぐそばに。

私になって。

もうどれだかわからないくらい

すぐそばに。

ここに。

いる。


やっと、出会えた。

やっと、かえってきたんだね。



おかえり。

ただいま。




セラピストのお仕事は、日を重ねるごとに

「道楽だなぁ」

と、ますますしみじみ思う。


「道楽」という言葉を使うと

なんだか不謹慎
いい加減

と思われてしまうかもしれない。


こっちは真剣なのに、「道楽」でやってるのか?!

みたいに。


でも、「道楽」という表現が、勝手に出てきてしまう。
目の前のお客さまに対する尊敬と感謝の念とともに、そう思う。
とても嬉しく幸せにそう思う。


でもこれ、言葉だけだといいイメージじゃないよなぁ。
そうじゃないんだけどな、とぼんやり考えていたら、


『道を楽しむ』でしょ?

と、頭に浮かんだ。


そう!
それそれ!!


そういえば、「道楽」の語源ってなんだろう?

と思って、調べてみると。



そもそもは、仏教用語で、

「道を解して自ら楽しむこと」



悟りの楽しみ
法悦の境地

を表す言葉なのだと。



『生活の中の仏教用語 道楽(どうぎょう)』
道楽という語は、もとは仏道を求めるという意味である。仏教では「ドウギョウ」と読む。楽は願と同義で、仏道を楽(ねが)うのが道楽の原意である。この「道楽(どうぎょう)」の意味が転じて、例えば『法華経』に「道を以て楽を受く」と説くように、道を修めて得られる「楽しみ」「悦び」を表すようになる。仏典に「今、已に道楽を得る」と説いているように、もと仏の道を求めることを意味した道楽が、道を修めて得られる結果の法悦を表すようになる。



俗楽ではなく、道楽。

俗世間の快楽、刹那の快楽ではなく、
確かな道を求める悦び。


ああ、本当にその通り!
だから、尊敬と感謝が湧いてくるんだね。



自分をみつめること。
自分を感じること。
自分を思い出すこと。
自分に還ること。

それが、よろこびでありますように。

苦しい道のりではなく、
悦びの過程であるように。


それを伝えることが、

私の道楽です。