もうひとつ、わかっていなかったこと。
癒しと目覚めは、どうやら別カテゴリーらしい?
今まで、わざわざ別々に、区別して考えたことも無かった。
ただ私はラクに生きられるようになりたかっただけで。
それを一生懸命探し求めるているうちに、いつしかスピリチュアルと呼ばれる領域に足を踏み入れるようになり、どうやらそれは「癒し」というカテゴリーらしかった(笑)
ただ私はひたすら幸せに生きたかっただけで。
「癒し」と呼ばれるものを追求し続けていたら、どうやらいつの間にか「目覚め」という状態に入っていたらしい(笑)。
だから、「癒し」の先に「目覚め」があるのかと思っていた。
地続きだと思っていた。
でもどうも世の中のカテゴリーとしては、別々みたい???
「目覚め」は、「哲学」や「思想」のカテゴリーに入るようで。
もしかしたら、「癒し」の人は、哲学はいらないのか?!哲学に興味が無いのか?!
それがなくても、癒すことは出来る、のか???
どうりで、今まで話が通じなかったはずだ、とこれまた思った。
ものすごく、どうでもいい話をしているような気もするし、
逆に、何か核心をついているのかもしれないという気もする。
でも、どうでもいいや(笑)。
自分がどうしたいか、ということだけ。
カテゴリーも何も必要無い。
「癒し」だろうが、「目覚め」だろうが、どうでもいい。
私はただ、幸せに生きる、ということだけを伝えていきたい。
生きることは素晴らしい。
それだけ。
死んだ後のことや、来世のことを考えたってしょうがない。
今、いかに生きるか。
それだけしかない。
だって、何が起ころうと、世界はこのまま続いていくのだから。
ものすごい神秘体験が起こって、突然、あなたが「覚醒」しようと、世界は何も変わらずに続いていくのです。
以前と同じ日常を、覚醒したあなたは生きていく。
世界は全く違ってみえるかもしれないが。
それでも、ご飯食べて、トイレ行って、お風呂入って、掃除も洗濯もして、働いてお金稼いで、生きていく。
ただ生きていく。
確かなことはそれだけ。
だから、
生きることを素晴らしいと思いたい。
誰もがみな、
生きることを素晴らしいと思えるように、
本当の自分自身に繋がって生きる
新しい哲学を
新しい考え方を
伝えていきたい。
誰もがみな、最初から、素晴らしい存在であり、
いまこの瞬間もそうである。
だから、足りないのではなく、すでにもう充分ある。
だから、奪い合うのではなく、分かち合う。
勝ち負けの世界の外へ。
そして、
そもそもひとつだからこそ
それぞれの個性を発揮して生きる。
そんな世界を見たい。
それが、私ののぞみです。
僕はただただ黙々と
DREAMと書いて 「目標」と読む
想像の向こう 向こうへと
go go and go で on and on
(We can make it! /Rap詞 櫻井翔)
黙々と掃除をしていたら、こんな曲が頭に浮かんで。
思った。
夢を見るという夢を、みてみようかな。
なにもかもが夢で
なにもかもあり。
ならば、あえて、
夢を見て、
夢をかなえる。
そんなドラマを演じてみようか。
そんなゲームをしてみようか。
創造の向こうへと。
自分が、ずいぶんといろいろなことをわかっていなかった、ということが、最近、やっとわかってきた。
たとえば。
ずっと自分のことを、考えすぎでアタマが固くて左脳バリバリの人、だと思っていた。
周囲の人たちからも、そう言われ続けてきた。
でも、相当な直感型だということに、ようやく気が付いた。
「睦子さんみたいに、直感で動く人はそんなにいませんよ。」と言われたことが、一度だけあった。
でも、なにしろ「あなたはアタマが固い。考えすぎ。」と言われ続けた人生だったので、全く意味がわからなかった。
そんなわけないだろ、と思った。
「みんなだいたいこんなもんだろう」
自分のことしかわからないから、いつも自分が基準で、「世間のみなさん」も、だいたいこんなもんだろうと、いつも思っていた。
冷静に、振り返ってみれば。
最初の会社を辞めたのも、入社して1年半くらいのとき。
課長に呼ばれて話をしているときに、突然、「もう辞めます。」と宣言して、辞めた。
次のことなど、何も決まっていなかったし、辞めるつもりがそんなにあったわけでもかった。
寿退社でなく辞めた人間は初めてだと、後日、知った。
たとえそれが嘘であったとしても、「結婚準備のため実家に戻ります。」という表向きの理由をつけて、上司の経歴にも傷が残らないように穏便に辞める、という暗黙の了解があったらしい。
そういう時代だったし、そういう環境の会社だった。
その後の転職は、きちんと計画して、次を見つけたうえでの退職だったけれど、最後の会社を辞めたのは、これまた突然の行動だった。
ただ、「終わったな」という感じがやってきて、辞めた。
「普通は」あまりこういうことは、やらないらしい(笑)。
何かのセッションやらを受けに行くのも、「この人に会っておこう」だった。
何をやっている人なのか、あまり把握しないで行くことの方が多かった。
悩んだ末に申し込んだものは、たいていが「ハズレ」だった(笑)。
「あ、これ。」と。
きちんとした理由も無く、直感だけで、動いていた。
そして、益々、その傾向は強くなっている。
思考バリバリだと思っていたけれど、実はいつも先に体験や、ばくぜんとした理解があって、それを表現するために、きちんと理解するために、思考を、言葉を使っていた。
考えてわかる、のではなく、体感でわかっていることを理解するために言葉で考える。
実は、あとからついてきていたんだ、言葉や思考は。
私の「思考」は、おそらくそんな、感じ。
「感じ」という言葉をよく使うように、感覚の人間だったんだよね。
今ごろ、自分のことがわかってきた。
だから道理で、いろんなところで、いろんなことがわからなかったはずだ、と思う。
「考えすぎ」と言われたのも、「考える」の意味が全く違っていたのだと思う。
考えるな
思考を止めろ
アタマのおしゃべりをやめろ
とよく言われるけれど、苦手だった。
アタマのおしゃべりを止めなくても、「それ」を感じることが出来るから。
この表現はヘンかな?
いわゆる「アタマのおしゃべり」は止めるけれども、その奥には気付いている自分の気付き、とでもいうものが存在する。
それは見ることを止めはしない。
だって、止まっていることに気が付くのならば、それは止まっていないってことになる、論理的には。
気が付いている自分、がいるのだよ。
見ている自分がいるのだよ。
本当に止まる、止めることが出来るのならば、全てが止まり、全てが消える。
止まった時点で。
その瞬間、何もわからなくなる。
わかる存在が消えるのだから。
だから、それはありえない。
わかったことすらわからなくなる。
「分かる」ことの意味すら消えるから。
一瞬、垣間見るだけなんだよね。その片鱗を。
努力して、それを再現しようとしたり求めたりすることほど、不毛なことは無い、と私は思う。
気が付いている自分がいる程度の気付きで、私は充分。
それ以上のことは、気付いたという誤解だと思う。
何度も言うけれど、論理的にありえないのだから。
私は、「見ている自分」が、それこそ物心ついたころからいた。
だから、あまりに当たり前で、それを指して「アタマのおしゃべり」と言っているのだと思っていた。
それを、消し去れ、ということだと思って、努力していた。
だから、全く出来なかった。
「見ている自分」が消える瞬間は、寝てしまった、と思っていた。
実際、寝ていたのかもしれないが、それじゃあ、「寝る」ってことはどういう意味なんだろうか。
こういうことを指して、きっと、「考えすぎ」って言われるんだろうな(笑)。
でもこんなのは全く論理的じゃなくて、私の理解は体感型の全く漠然としたものだって、最近、わかったのだ。
言葉の人だと思っていたけれど、全く言葉になっていない。
論理的に、言語化して説明できていない、表現できていない。
それがわかってきた。
なんてあいまいなんだろうか、私は!
それがわかってきたことが、嬉しいんだよね。
今まで「固い固い」と言われ続けて生きて来たから、その反動?
なんだ、私ってこんなに漠然としてるじゃないか!って。
なぜか嬉しい。
世の中には、すっとキレイに言葉で説明できる人がいて、そういう場面に遭遇すると、本当にすっきりする。
それが楽しくて嬉しい。
ものごとがきちんとおさまっていくのが、心地よい。
そういうことを味わえる余地がたくさん、それこそたくさん(笑)自分の中にある、ということの発見かもしれない。
たとえば。
ずっと自分のことを、考えすぎでアタマが固くて左脳バリバリの人、だと思っていた。
周囲の人たちからも、そう言われ続けてきた。
でも、相当な直感型だということに、ようやく気が付いた。
「睦子さんみたいに、直感で動く人はそんなにいませんよ。」と言われたことが、一度だけあった。
でも、なにしろ「あなたはアタマが固い。考えすぎ。」と言われ続けた人生だったので、全く意味がわからなかった。
そんなわけないだろ、と思った。
「みんなだいたいこんなもんだろう」
自分のことしかわからないから、いつも自分が基準で、「世間のみなさん」も、だいたいこんなもんだろうと、いつも思っていた。
冷静に、振り返ってみれば。
最初の会社を辞めたのも、入社して1年半くらいのとき。
課長に呼ばれて話をしているときに、突然、「もう辞めます。」と宣言して、辞めた。
次のことなど、何も決まっていなかったし、辞めるつもりがそんなにあったわけでもかった。
寿退社でなく辞めた人間は初めてだと、後日、知った。
たとえそれが嘘であったとしても、「結婚準備のため実家に戻ります。」という表向きの理由をつけて、上司の経歴にも傷が残らないように穏便に辞める、という暗黙の了解があったらしい。
そういう時代だったし、そういう環境の会社だった。
その後の転職は、きちんと計画して、次を見つけたうえでの退職だったけれど、最後の会社を辞めたのは、これまた突然の行動だった。
ただ、「終わったな」という感じがやってきて、辞めた。
「普通は」あまりこういうことは、やらないらしい(笑)。
何かのセッションやらを受けに行くのも、「この人に会っておこう」だった。
何をやっている人なのか、あまり把握しないで行くことの方が多かった。
悩んだ末に申し込んだものは、たいていが「ハズレ」だった(笑)。
「あ、これ。」と。
きちんとした理由も無く、直感だけで、動いていた。
そして、益々、その傾向は強くなっている。
思考バリバリだと思っていたけれど、実はいつも先に体験や、ばくぜんとした理解があって、それを表現するために、きちんと理解するために、思考を、言葉を使っていた。
考えてわかる、のではなく、体感でわかっていることを理解するために言葉で考える。
実は、あとからついてきていたんだ、言葉や思考は。
私の「思考」は、おそらくそんな、感じ。
「感じ」という言葉をよく使うように、感覚の人間だったんだよね。
今ごろ、自分のことがわかってきた。
だから道理で、いろんなところで、いろんなことがわからなかったはずだ、と思う。
「考えすぎ」と言われたのも、「考える」の意味が全く違っていたのだと思う。
考えるな
思考を止めろ
アタマのおしゃべりをやめろ
とよく言われるけれど、苦手だった。
アタマのおしゃべりを止めなくても、「それ」を感じることが出来るから。
この表現はヘンかな?
いわゆる「アタマのおしゃべり」は止めるけれども、その奥には気付いている自分の気付き、とでもいうものが存在する。
それは見ることを止めはしない。
だって、止まっていることに気が付くのならば、それは止まっていないってことになる、論理的には。
気が付いている自分、がいるのだよ。
見ている自分がいるのだよ。
本当に止まる、止めることが出来るのならば、全てが止まり、全てが消える。
止まった時点で。
その瞬間、何もわからなくなる。
わかる存在が消えるのだから。
だから、それはありえない。
わかったことすらわからなくなる。
「分かる」ことの意味すら消えるから。
一瞬、垣間見るだけなんだよね。その片鱗を。
努力して、それを再現しようとしたり求めたりすることほど、不毛なことは無い、と私は思う。
気が付いている自分がいる程度の気付きで、私は充分。
それ以上のことは、気付いたという誤解だと思う。
何度も言うけれど、論理的にありえないのだから。
私は、「見ている自分」が、それこそ物心ついたころからいた。
だから、あまりに当たり前で、それを指して「アタマのおしゃべり」と言っているのだと思っていた。
それを、消し去れ、ということだと思って、努力していた。
だから、全く出来なかった。
「見ている自分」が消える瞬間は、寝てしまった、と思っていた。
実際、寝ていたのかもしれないが、それじゃあ、「寝る」ってことはどういう意味なんだろうか。
こういうことを指して、きっと、「考えすぎ」って言われるんだろうな(笑)。
でもこんなのは全く論理的じゃなくて、私の理解は体感型の全く漠然としたものだって、最近、わかったのだ。
言葉の人だと思っていたけれど、全く言葉になっていない。
論理的に、言語化して説明できていない、表現できていない。
それがわかってきた。
なんてあいまいなんだろうか、私は!
それがわかってきたことが、嬉しいんだよね。
今まで「固い固い」と言われ続けて生きて来たから、その反動?
なんだ、私ってこんなに漠然としてるじゃないか!って。
なぜか嬉しい。
世の中には、すっとキレイに言葉で説明できる人がいて、そういう場面に遭遇すると、本当にすっきりする。
それが楽しくて嬉しい。
ものごとがきちんとおさまっていくのが、心地よい。
そういうことを味わえる余地がたくさん、それこそたくさん(笑)自分の中にある、ということの発見かもしれない。
気が付いてみれば、こちらのブログの更新がずいぶん止まっていました。
あちらのブログで書けないひとりごとをこちらで書く、というスタンスだったけれど。
あちらとこちら(笑。しつこい)の区別が無くなってきたのかな、統合されてきたのか(これまた笑)などと思います。
もうこっちは閉じようかなぁ、とも思ったけれど。
やっぱり、ここが好きです、ワタシ。
誰も読んでないかもしれないけれど、だから自由気ままに書ける(^_^;)
「そういうのってどうなの?」などというエゴの声は置いといて。
そういえば、最近の私は、こういう「エゴ」をとってもかわいいと思ってます。
今までずっと、めっちゃくちゃ「エゴ」を敵対視して、それを消そう、無くそうと「しなければいけない」にはまっていたんだと思う。
そんなの、ムリじゃん。
ってことがわかった。
それでいいじゃん。あたりまえ。
それが心底わかったといおうか、自分の中で腑に落ちたら、とてつもなくラクになった。
こういうことを、あちら(だから、しつこいってば!)で書こうとすると、もっと丁寧に、わかりやすく解説しようと努力する。
それはそれでいいんだけれど。
それはそれで好きなんだけれど。
それには、かなりのエネルギーが必用だったりもする(^_^;)
そればっかりだと、正直、疲れる...。
なにやってるんだろ、アタシ?とか思う時もある。
もうちょっと軽く、思っていることそのまんま、outputしたいなぁ、と思った。
そんなわけで、ちょっと今までと方向性を変えて、ここを使おうかなと思います。
「解説」はしません。
きれいにまとめることもしません。
もしかしたら、あちらの下書き用になるかもしれない。
ぐだぐだ考えていたことをきれいに(?)まとめると、あんな感じになるんだ、って面白いかもしれない。
そういえば、会社員のときも同じことをやっていたなぁ。
SEという仕事は、「仕様書」というものを書く。
完成形にたどりつくまでに、いろいろ調査して、いくつもの案を考えて、メリット・デメリットを検討して、やっと「これでいこう!」というものがまとまる。
だから、数ページの仕様書の裏には、その何倍・何十倍の思考錯誤がつまっているわけです。
で、その思考錯誤を見せることを、ほとんどの人がいやがる。
ほぼ絶対、完成形しか、見せない。
理系男子の特性なのか、ぐちゃぐちゃしているものを見せるのは恥ずかしいと強力に思っている。
私はあるときから、それも全部見せることにした。
自分のディスク内で仕様書を作らないで、最初から共有サーバー内で作業することにした。
(普通は、自分のパソコン上で作業して、完成品をサーバーに上げる。)
仕事が忙しすぎて、完成形になるのを待たせていると、納期に間に合わなくなる、っていう状況に追い込まれていったこともあるけれど。
思考過程を見てもらいたい、と思った。
どういう経路(思考)をたどって、この結論に達したのか。
それがわかっていると、後々の理解が早い。
間違いが少ない。
迷わなくなる。
基本思想がわかっているから。
メリット・デメリットも理解しているから。
と言っても、ぽーっと生きている子は、「完成形じゃないから、まだ読まなくていいや。」と思うらしく効果は無かったけれど(-"-)
仕事出来る子は、さらに仕事が早く、出来るようになる。
(まあ、そもそも仕事出来る子は出来るわけですけどね(^^ゞ)
意思の疎通がラクになって、先回りして仕事をこなしてくれるようになる。
なんでこんなことを書いているかっていうと。
『基本思想がわかっている』
これが重要なんだよなぁ、とつくづく思うから。
「言葉」だけに踊らされている人が、すんごく多いって思う。
本当の「意味」もわからず、その「言葉」使ってませんかー!
ってことを、すごくすごく感じるわけです。
このお仕事を正式に始めてから、特に。
「本当の」なんて言うと、なんでお前がわかるんだ?!になってしまうんだけれど。
少なくとも、それがあなたを苦しめている原因です、ってことはわかるわけです。
ご本人も、「言われてみれば」、納得されます(^_^;)
正しい・正しくない、じゃなくて、苦しくならない別の方法も、別の解釈もありますよ、こんな考え方はどうでしょうか、ってことを私は伝えたいって思うわけです。
そんなわけで。
どんな方がこちらを読んでくださっているのかは、わかりませんが。
こんな雑な感じで、こっちは更新していこうかな、と思っております。(今のところ)
物好きな方、読んでください(笑)。
一応、こちらでも告知しておきます。
その1
ヒーラー高田大輔氏との2回目のセミナーを開催します。
前回は、「聞く」立場に専念していましたが、今回はもう少し「話す」立場にいこうかと、ひそかに闘志を燃やしております(^_-)-☆
(ヒーラー高田はこっちは見ないと思うので、「ひそかに」宣言(^^)v)
今度のテーマは、「癒しの最終章」です。
良かったら、じゃなくて、ぜひ!いらしてください(爆)。
3月30日(土)神保町駅からすぐの会議室です。
大野木研究室『生きる知恵』第2回セミナー「癒しの最終章」
その2
上につらつら書いたような『基本思想』を理解していくための講座を始めました。
マンツーマンで、『生きる知恵』を学ぶコースです。
最低3回から、気が済むまで(^^ゞお付き合いします。
詳しくは、こちらをどうぞ。
『お花畑すと養成講座』
その3
三大設定ヒーリング始めました。
「今ごろ?」という声をぶっちぎって、今ごろやっと、開始しました(^_^;)
なんで今ごろかは、あちらにくどくど書いていますので、のぞいてみてください。
3月10日まで、モニター料金となっています。
【3月10日まで!モニター募集】メールでお届け・三大設定(R)ヒーリング
あちらのブログで書けないひとりごとをこちらで書く、というスタンスだったけれど。
あちらとこちら(笑。しつこい)の区別が無くなってきたのかな、統合されてきたのか(これまた笑)などと思います。
もうこっちは閉じようかなぁ、とも思ったけれど。
やっぱり、ここが好きです、ワタシ。
誰も読んでないかもしれないけれど、だから自由気ままに書ける(^_^;)
「そういうのってどうなの?」などというエゴの声は置いといて。
そういえば、最近の私は、こういう「エゴ」をとってもかわいいと思ってます。
今までずっと、めっちゃくちゃ「エゴ」を敵対視して、それを消そう、無くそうと「しなければいけない」にはまっていたんだと思う。
そんなの、ムリじゃん。
ってことがわかった。
それでいいじゃん。あたりまえ。
それが心底わかったといおうか、自分の中で腑に落ちたら、とてつもなくラクになった。
こういうことを、あちら(だから、しつこいってば!)で書こうとすると、もっと丁寧に、わかりやすく解説しようと努力する。
それはそれでいいんだけれど。
それはそれで好きなんだけれど。
それには、かなりのエネルギーが必用だったりもする(^_^;)
そればっかりだと、正直、疲れる...。
なにやってるんだろ、アタシ?とか思う時もある。
もうちょっと軽く、思っていることそのまんま、outputしたいなぁ、と思った。
そんなわけで、ちょっと今までと方向性を変えて、ここを使おうかなと思います。
「解説」はしません。
きれいにまとめることもしません。
もしかしたら、あちらの下書き用になるかもしれない。
ぐだぐだ考えていたことをきれいに(?)まとめると、あんな感じになるんだ、って面白いかもしれない。
そういえば、会社員のときも同じことをやっていたなぁ。
SEという仕事は、「仕様書」というものを書く。
完成形にたどりつくまでに、いろいろ調査して、いくつもの案を考えて、メリット・デメリットを検討して、やっと「これでいこう!」というものがまとまる。
だから、数ページの仕様書の裏には、その何倍・何十倍の思考錯誤がつまっているわけです。
で、その思考錯誤を見せることを、ほとんどの人がいやがる。
ほぼ絶対、完成形しか、見せない。
理系男子の特性なのか、ぐちゃぐちゃしているものを見せるのは恥ずかしいと強力に思っている。
私はあるときから、それも全部見せることにした。
自分のディスク内で仕様書を作らないで、最初から共有サーバー内で作業することにした。
(普通は、自分のパソコン上で作業して、完成品をサーバーに上げる。)
仕事が忙しすぎて、完成形になるのを待たせていると、納期に間に合わなくなる、っていう状況に追い込まれていったこともあるけれど。
思考過程を見てもらいたい、と思った。
どういう経路(思考)をたどって、この結論に達したのか。
それがわかっていると、後々の理解が早い。
間違いが少ない。
迷わなくなる。
基本思想がわかっているから。
メリット・デメリットも理解しているから。
と言っても、ぽーっと生きている子は、「完成形じゃないから、まだ読まなくていいや。」と思うらしく効果は無かったけれど(-"-)
仕事出来る子は、さらに仕事が早く、出来るようになる。
(まあ、そもそも仕事出来る子は出来るわけですけどね(^^ゞ)
意思の疎通がラクになって、先回りして仕事をこなしてくれるようになる。
なんでこんなことを書いているかっていうと。
『基本思想がわかっている』
これが重要なんだよなぁ、とつくづく思うから。
「言葉」だけに踊らされている人が、すんごく多いって思う。
本当の「意味」もわからず、その「言葉」使ってませんかー!
ってことを、すごくすごく感じるわけです。
このお仕事を正式に始めてから、特に。
「本当の」なんて言うと、なんでお前がわかるんだ?!になってしまうんだけれど。
少なくとも、それがあなたを苦しめている原因です、ってことはわかるわけです。
ご本人も、「言われてみれば」、納得されます(^_^;)
正しい・正しくない、じゃなくて、苦しくならない別の方法も、別の解釈もありますよ、こんな考え方はどうでしょうか、ってことを私は伝えたいって思うわけです。
そんなわけで。
どんな方がこちらを読んでくださっているのかは、わかりませんが。
こんな雑な感じで、こっちは更新していこうかな、と思っております。(今のところ)
物好きな方、読んでください(笑)。
一応、こちらでも告知しておきます。
その1
ヒーラー高田大輔氏との2回目のセミナーを開催します。
前回は、「聞く」立場に専念していましたが、今回はもう少し「話す」立場にいこうかと、ひそかに闘志を燃やしております(^_-)-☆
(ヒーラー高田はこっちは見ないと思うので、「ひそかに」宣言(^^)v)
今度のテーマは、「癒しの最終章」です。
良かったら、じゃなくて、ぜひ!いらしてください(爆)。
3月30日(土)神保町駅からすぐの会議室です。
大野木研究室『生きる知恵』第2回セミナー「癒しの最終章」
その2
上につらつら書いたような『基本思想』を理解していくための講座を始めました。
マンツーマンで、『生きる知恵』を学ぶコースです。
最低3回から、気が済むまで(^^ゞお付き合いします。
詳しくは、こちらをどうぞ。
『お花畑すと養成講座』
その3
三大設定ヒーリング始めました。
「今ごろ?」という声をぶっちぎって、今ごろやっと、開始しました(^_^;)
なんで今ごろかは、あちらにくどくど書いていますので、のぞいてみてください。
3月10日まで、モニター料金となっています。
【3月10日まで!モニター募集】メールでお届け・三大設定(R)ヒーリング
目覚めたあとも、世界は続いていく。
今までと全く同じ世界が。
最初はそれにとまどった。
受け入れられなかった。
相変わらずの現実の世界に。
相変わらず、怒りも焦りも感じる自分に。
だから、自分は「目覚めて」はいないのだ
とも思った。
でも、あるとき
ただ、ふっと、
「それでも世界は続いていく」
と、頭に浮かんで。
納得した。
不思議なことに
こういうことは、何というきっかけがあるわけでもなく、
歯磨きをしているときに
シャンプーの泡を流している最中に
じゃがいもの皮をむいているときに
散歩をしているときに
洗濯物を干しているときに
突然、ふっとやってくる。
(私の場合は。)
エックハルト~スピリチュアルな目覚めは人生を楽にするのですか?
「人生において
あなたを完全に満たしてくれる状況に
出会うことはなくなります。」
「この形ある世界にいる限り。」
私の中にある
どうしようもない寂しさ、は
きっと、そこから来ていたのだろう。
きっと。
もう、癒しも、目覚めも、
どうでもいい、と思う。
ただ、生きていくこと。
それだけが大事だと、今はおもう。
生きることを素晴らしいと思いたい。
めぐりめぐって
結局、ここに還る。
今までと全く同じ世界が。
最初はそれにとまどった。
受け入れられなかった。
相変わらずの現実の世界に。
相変わらず、怒りも焦りも感じる自分に。
だから、自分は「目覚めて」はいないのだ
とも思った。
でも、あるとき
ただ、ふっと、
「それでも世界は続いていく」
と、頭に浮かんで。
納得した。
不思議なことに
こういうことは、何というきっかけがあるわけでもなく、
歯磨きをしているときに
シャンプーの泡を流している最中に
じゃがいもの皮をむいているときに
散歩をしているときに
洗濯物を干しているときに
突然、ふっとやってくる。
(私の場合は。)
エックハルト~スピリチュアルな目覚めは人生を楽にするのですか?
「人生において
あなたを完全に満たしてくれる状況に
出会うことはなくなります。」
「この形ある世界にいる限り。」
私の中にある
どうしようもない寂しさ、は
きっと、そこから来ていたのだろう。
きっと。
もう、癒しも、目覚めも、
どうでもいい、と思う。
ただ、生きていくこと。
それだけが大事だと、今はおもう。
生きることを素晴らしいと思いたい。
めぐりめぐって
結局、ここに還る。