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Future Cafe

音楽レビューのようなもの〜TECHNO、JAZZ、BREAKBEATS etc

「The More I See You」CHRIS MONTES

 

 

 クリス・モンテスというシンガーは、もともとはロックンロールシンガーで、お洒落でポップなイメージの本作はむしろ例外的な作品らしい。なるほど試しにベスト盤を聴いてみると、オールディーズの哀愁に本作につながる要素はあって、ギターをかき鳴らしたり、マリアッチよろしく巻き舌でおたけびをあげてみたり、筆者の求めるクリス・モンテスとは何だか様子が違う。1996年にA&Mから本作をリリースすることになったさい、その創立者であるハープ・アルバート自らが制作に当たったため、ポップスあり、ソフトロックあり、ラテンありのA&Mサウンドのプロトタイプのようなアルバムになったという。カフェ・アプレ・ミディやサバービア・スイート周辺で神曲としてあがめられた「コール・ミー」が素晴らしいのは言うまでもないが、このアルバムの本当に凄いところは手あかのついたスタンダード曲を飽きさせることなく聴かせる技術にある。「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」、「ザ・シャドウ・オブ・ユア・スマイル」、「ワン・ノート・サンバ」、「デイ・バイ・デイ」・・・普通ならタイトルを聴いただけで、おなかがいっぱいになりそうなラインナップなのに、まるで初めて耳にするかのようにみずみずしい感動がある。クリスがの中性的なヴォーカルの魅力に加え、ピアノやフルートなど楽器の一つひとつが粒立ってきこえてくる。特別なアレンジが加えられているわけでもないのにかけがえのないものに思えてくる音楽の奇跡。こんなアルバムを前にすると、言葉を失ってしまう。

 

 

 

 

「Live At Joshuazz Tree」The Yussef Dayes  Experience

 

 

 2020年にユセフ・デイズ・トリオ名義でリリースされた『Welcome To The Hills』がとんでもなく素晴らしかったドラマー、ユセフ・デイズによるエクスペリエンス名義のライブ盤が発表された。コロナ禍を経て、南ロンドンのジャズシーンが勢いを失っているように見えていただけに嬉しいニュースだった。ライブ盤ではあるが、『Welcome To The hills』もライブ盤だったからむしろ望むところだ。ヨシュア・ツリーと言えばU2のアルバムが有名だが、PVを見ると屋外で演奏している。ヨシュア・ツリーとはアメリカ南西部の砂漠地帯に生えるユッカの樹のこと。アルバムには客の声や拍手も入ってないし、そもそもそんな名前のライブハウスなど存在しないのかも知れない。

 まず、1曲目の「Raisins Under The Sun(Desert Version)」は、コズミックで繊細な電子音が印象に残るナンバー。ユセフのブレイクビーツにサックスが絡む展開はオーソドックスだが、味わい深い。②「Odyssey」は前作にも収録されていたナンバーだが、エッジを抑えたダウンテンポな楽曲へとアレンジされている。続く③「Golden Hour」、④「Mystics」も、どこか感傷的でアブストラクトな作品だ。似ているわけではないのだが、DJカムのアブストラクトヒップホップを思い出した。③にはユセフ・デイズ・トリオのロッコ・パラディーノがベーシストとして参加している。⑤「Rhythm Of Xango」はアフリカを意識した」ドラムソロ。ユセフ・デイズ版『限りなきドラム』(マックス・ローチ)かと思いきや1分58秒で終わってしまった。次はどんな曲かと待っていても、いっこうに次の曲にならない。

 じつは本作は収録曲6曲、収録時間17分のミニアルバムだったのだ。最長の曲で4分21秒。これは詐欺ではないのか。コロナ禍で満足なレコーディングも、ライブ活動も出来なかったからと言って、ミニアルバムをフルアルバムのように見せるのは反則ではないだろうか。

 それでもユセフ・デイズほどのドラマーは貴重だから、許してあげよう。

 思うにロバート・グラスパーやクリス・デイヴ、マーク・ジュリアナ、マカヤ・クレイブンなどのUS新世代ジャズドラマーは、Jディラを始めとするヒップホップの影響を受けてはいるがクラブ・ミュージック全般に通じているわけではない。その点、ユセフ・デイズ、リチャード・スペイヴン、モーゼス・ボイド等、UKジャズドラマーはブロークンビーツやベースミュージックなどの洗礼を浴びている。どちらが優れているというわけでもないが、筆者がUKジャズドラマーの方を求めてやまないのは、テクニックはさておき、UKでしか生まれ得ないセンスがあると信じているからだ。

 

 

 

 

「Could We Be More」KOKOROKO

 

 

 久しく音沙汰が無かった南ロンドンのジャズシーンから、ココロコのデビューアルバム『Could We Be More』が届けられた。ジャイルス・ピーターソンがコンパイルしたUKジャズのショーケースアルバム『We Out Here』(2018年)に収録された「Abusy Junctttion」によって、ココロコの名前は既に知られていたのだが、アルバムが発表されることはなかった。翌19年に「KOKOROKO-EP」がリリースされたが、アーシーなリズムにUKならではのエクレクティックな感性を溶かし込んだようなジャズだと思った。

 メンバーはトランペット、サックス、トロンボーン、キーボード、ギター、ベース、パーカッション、ドラムの8人編成。シーラ・モーリスグレイ(tp)、キャシー・キノシ(sax)、リッチー・シーヴライト(tb)の女性3人のホーン奏者をフロントに据えた布陣が特徴的だ。一時期はギタリストのオスカー・ジェロームが在籍していたこともあったが、どうやらメンバー交替があったようだ。

正直なところ、デビュー作である本作にはそれほど期待してなかったのだが、オープニングの①「Tojo」を聴いて、その独特な世界観に引き込まれてしまった。まるで水の中で演奏しているかのような浮遊感のあるトラックで、女性たちによる3ホーンが眩しい。③「Ewa Inu」や⑤「Dide O」は、ミニマルなアフリカンリズムにトランペットが映える。③は現代版オン・ザ・コーナーといったところか。⑥「Soul Searching」は、もっともモダンで洗練されたアフロビートの一つとしておこう。⑦「We Give Thanks」は、アフロビートとカリビアンミュージックを融合させたようなサウンドが印象的だ。ウクライナ戦争を意識したのか、⑩「War Dance」は踊れない鎮魂歌風のピースフルな楽曲となっている。⑪「Interlude」はタイトルとは裏腹に、何故かアフロビートの効いた本格的なフュージョン作品。⑫「Home」も「War Dance」同様に世相を感じさせるナンバーで、ヒーリングミュージックの趣を持つ。後半はLove&Peaceな展開で、終盤の⑬「Something's Going On」は、タイトルも、曲調も、マービン・ゲイの不朽の名作「What's Going On」へのオマージュに違いない。

 女性ホーンといい、アフロ・カリビアンなサウンドといい、多様性の時代にふさわしいココロコだが、だから持ち上げるというのは少し違うと思う。時代性を抜きにしても鑑賞に十分に耐えうる音楽。それが、ココロコの音楽だ。とにかく、まずはホーンを聴いて欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「What do the stars say to you」RON TRENT

 

 

  アメリカ・シカゴのディープハウスマイスター、ロン・トレントによる新作がリリースされた。

ロン・トレントといえば、アンソニー・ニコルソンと共作したUSGプレゼンツ・アフリカン・ブルース名義のハウスアルバム『Color In Rhythm Stimulate Mind Freedom』(1999年)が有名だが、既に20年以上の歳月がたっている。もちろん、今聴いても少しも古びておらず、むしろ新しさを装った多くのダンスミュージックを沈黙させる熱量に溢れた傑作なのだが、もはやディープハウスの時代でもないだろう。

 コロナ禍を経験したわれわれは、薄暗いクラブ空間でウィルスの如き変容(サンプリング/リミックス)を繰り返すことで肉体に憑依して、伝搬していくようなタイプの音楽を求めていない。むしろわれわれを特定の空間から連れ出してくれるような音楽こそが求められているのではないか。そうした視点で捉えるならば、本作はまさしく現代にふさわしいアルバムだといえよう。ビートよりも上物を重視した展開は、物語性に富んでいて、ある意味フュージョンのようだ。

 ジャズ界のロバート・グラスパーたちがフュージョンへと辿り着いたのとは違う別のルートから登攀して、結果的にフュージョンに辿り着いたともいえるのではないか。アジムスが参加しているのも嬉しいが、最近はアジムスがゲスト参加しているアルバムが増えている気がする。それもメロウグルーブを求める気運の高まりを象徴しているのだろう。アートワークのイメージ通り、室内にいながらにして世界を旅しているような気にさせてくれるアルバムだ。

 音楽的には退行しているのかも知れない。アフリカ・ブルースの再来を求める向きには、退屈な音楽だろう。しかし、刺激を内在化させて新しい世界を謳歌するにはわれわれは疲れすぎている。今しばらくは、ロン・トレントの甘美なサウンドに身を委ねていようと思う。なお、アルバムはフランソワーズ・ケヴォーキアンによるミックスアルバムの体裁がとられており、日本で採取したと思われる環境音も聞ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラストアルバム」ラストアイドル

 

 

 秋元康の企画によるオーディション番組「ラストアイドル」(テレビ朝日)がスタートしたのは、2018年8月のことだった。毎週新たな挑戦者が、7名の暫定メンバーの中から1名を選び、歌とダンスで対戦を挑み、挑戦者が勝てばメンバーが入れ替わるという内容で、4名の審査員がいるにもかかわらず、勝敗を決めるのはたった1人の審査員という理不尽極まり無いシステムが用意された。途中、不動と思われた暫定センターが敗北するといった番狂わせがあったり、SNSでの炎上を狙ったであろう疑惑の判定があったり、サバイバルエンターテインメントとしては良くできていた。審査員は、大森靖子や吉田豪、中森明夫、AKBグループを持ち上げていたことで白眼視されがちだった評論家の宇野常寛までが担当し、サブカルチャー色の強い人選だった。付け加えるなら日本大学総長の林真理子も審査員だった。挑戦者として、青森のご当地アイドル、りんご娘の王林が出演していたのも、今にして思えばバラエティ進出への布石だったのではないかと勘繰ってしまうのだが、かつてのプロレスみたいなものでとやかくいっても仕方ないだろう。

 オーディション自体は良かったが、その後の展開が良くなかった。オーディションから脱落した者同士が、救済策としてセカンドユニットを次々に結成し、シングルの表題曲を賭けて、それぞれが大物プロデューサーとタッグを組んでの楽曲で競い合うのだが、秋元康や指原利乃はともかく、小室哲哉、つんく♂、織田哲郎の起用はやり過ぎだと思った。往年のJ-POPファンなら、小室VSつんく♂の対戦を見てみたいのだろうが、筆者は小室哲哉もつんく♂(一部の楽曲をのぞいて)も世間で言うほど作曲の才能がある人物とは思えなかったので、さすがに秋元先生も遊びが過ぎると思ってしまったのだ。結果的には予想外の仕上がりだったが、感覚の古さは否めず、作曲を丸投げした秋元康プロデュースのみ新鮮に聞こえたのは、これもまた番組の戦略だったのだろうか。レジェンド対決はその後も1度行われ、近田春男やかつておにゃんこを手がけた後藤次利も参加することとなった。単純に筆者の好みの問題かも知れないが、工藤静香にテクノまがいのシンセをぶち込んだ感のある後藤次利の楽曲「Everything will be all right」はアイドル歌謡の可能性を切り開いている気がした。因みに、小室哲哉は近年、乃木坂46への楽曲提供やSKE48のプロデュースなど、秋元康とのつながりを深めている。

 オーディションを勝ち抜いたはずのラストアイドルが、セカンドユニットと戦わされる。それだけでも理不尽なのに、仕舞いには総勢50数名の巨大なアイドル集団として過酷な行進パフォーマンスや殺陣アクションまでやらされる。見ているこっちはどこからどこまでがラストアイドルなのか分からなくなってくる。その後はオーディションバトルに回帰したらしいが筆者も追いきれていない。

 果たして、彼女たちがオーディションを勝ち抜いたメリットとは何だったのか。彼女たちは戦うためにアイドルになったのか。何のために戦うのか。エヴァンゲリオンさながらの不条理さである。これがあらかじめ仕組まれたシナリオだとするなら、〈戦闘少女としてのアイドル〉という文脈が透けて見える。バトルこそが彼女たちの存在意義に他ならない。あらゆる実験がやり尽くされた廃墟でアイドルとして生き延びるためには、生半可な差別化ではいけない。彼女たちがラストアイドルと名乗った理由もそこにあったのだろう。彼女たちの曲に「愛しか武器がない」や「大人サバイバー」という戦闘のメタファーが多いのも、おそらくそうした理由による。

 今年5月、ラストアイドルは、『ラストアルバム』という1枚のアルバムを残し、コロナを口実に解散となった。これを犬死、または無駄死と言わずしてなんと言おう。ラストアイドルが解散した本当の理由は分からないが、ガチの戦闘(オーディション)を前面に出したNiziUが韓流とのコラボレーションで人気を博したこととも無縁ではないだろう。韓流がアイドルの最後の砦だったともいえるが、声優や歌い手が最前線に居並ぶ中、NiziUとて安泰とはいえないだろう。