Future Cafe -33ページ目

Future Cafe

音楽レビューのようなもの〜TECHNO、JAZZ、BREAKBEATS etc

「EARTH ONE」 MICHELLE SHAPROW





デビューアルバムの前作「PURPLE SKIES」が、とんでもなく素晴らしかったミッシェル・シャプロウ。その3年半ぶりとなる2nd「EARTH ONE」は、ポップソングの小品集といった印象の前作とは打って変わって、壮大なスケールのコンセプト・アルバムだ。
オープニングを飾る①「EARTH ONE」は、なんと前のアルバムのエンディング曲「PURPLE SKIES」からはじまる意表を突いた展開。宇宙からオンエアされる架空のラジオ番組「EARTH ONE」というのが本作の設定なのだが、リスナーとDJの交信ボイスがファンタジックなムードを盛り上げる。
③「LOST IN THE STARS」は、今作最大の収穫のひとつ。しっとりとしたメロディーが魅力の楽曲だ。また、ドラムンベースを取り入れた④「FLY TO YOU」は、アルバム前半のハイライトともいえる1曲であり、ドラマティックな展開にイマジネーションが掻き立てられる。続く⑤「HONG KONG」は、ミディアムテンポの高揚感あふれるナンバーで、コーラスが耳に心地良い。
本アルバムでは、随所にストリングス・アレンジが施されているのだが、⑩「LITTLE BIRD」を筆頭に、ミニー・リパートンのロータリーコネクションやアース・ウインド・アンド・ファイアー、テリー・キャリアー、マリーナ・ショウなどのアレンジャーとして知られるチャールズ・ステップニーを連想させる楽曲も少なくない。ミッシェルのヴォーカルも、どことなくミニー・リパートンを思わせる。続く⑪「RAIN MOVEMENT ONE」は、ピアノが主体の美しいトラック。⑬「LOVE WILL COME AGAIN」は、デニース・ウィリアムスを思い出させる涼しげで透明感のある歌声が印象的だ。
柔らかく軽やかな歌声を持つミッシェルだが、⑭「LOST IN THE STARS SWEET SWEET」では、カーリン・クローグさながらに、ジャジーで大人っぽいヴォーカルを聴かせてくれる。
じつに繊細で表情豊かなアルバムであり、まったくもって非の打ち所がない作品といえるのだが、唯一難点をあげるとすれば前作の「ALWAYS BELONG TO YOU」を凌ぐキャッチーなナンバーが存在しないことだ。しかし、コンセプト・アルバムということを考えれば、それも致し方ないのだろう。細部まで丁寧に作り込まれた一つひとつのサウンドからは、聴き込めば聴き込むほど、ふくよかな相貌が立ち上がってくる。


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前作より

「REALITY TESTING」 LONE





デトロイトテクノのようであるが、UKガラージのようなノリもあり、同時にバレアリックな色彩感覚も備えている。
英国ノッティンガム出身、マンチェスター在住のMATTHEW CUTLERによるプロジェクト、LONEの6作目のアルバムとなる「REALITY TESTING」は、前作の「GALAXY GARDEN」に比べ、ダウンテンポな楽曲が多く、やや大人しくなった感じもするが、そのぶん、夏の終わりが似合うアルバムとなった。
本アルバムではミディアムテンポなヒップホップトラックが多数フィーチャーされているが、ヒップホップとはいえ、サウンドはライトな印象で、BPMが高めのハウスサウンドとも違和感なく調和している。
また、デトロイトテクノから、アシッドハウス、ハードコアテクノまで、90年代初期のサウンドを自在にアプロプリエートしながらも、決して過去の模倣にとどまることなく、ドラムンベース、2ステップ、ダブステップを通過した者だけが有するポストダブステップ以降のしなやかな感性と鮮やかな手つきで、紛れもない現在の音楽へとアップデイトしている。
④「AURORA NORTHERN QUARTER」のイントロは、アンダーグラウンド・レジスタンスの「JUPITER JAZZ」のイントロを彷彿とさせるが、LONEのサウンドが黄金期のデトロイトテクノから多くを得ているのは指摘する必要もないだろう。また、ダウンテンポにおいてはデトロイトビートダウンからの影響もあるようだ。
それでも、LONE特有のカラフルで、多幸感にあふれたファンタジックなサウンドは、デトロイトサウンドからの影響だけでは語り尽くすことはできない。たとえば、シンセの音色が郷愁をくすぐる⑧「BEGIN TO BEGIN」から、流麗なエレクトリックピアノが美しい⑨「JADED」へと続く流れはイビサミュージックのようであり、ラウンジミュージック、チルアウトミュージックとしても十分に機能するものだ。とりわけ、⑧「BEGIN TO BEGIN」での2分を過ぎた当たりからの展開は見事というほかない。
こうした楽園指向は、808 STATEの「PACIFIC STATE」などからも聴いて取れるのだが、LONEがアシッドハウスの影響下で発展した80年代末のUKレイヴサウンドも視野に入れていることをうかがわせて興味深い。
さらに、4つ打ちの⑩「VENGEANCE VIDEO」から、ノンビートのアンビエント・トラック⑪「STUCK」を経て、賛美歌の如きコーラスが光彩を放つラストの⑫「CUTCHED UNDER」へと連なっていく終盤は、アフターアワーズ的なチルアウト感覚に満ちている。
メロディアスで洗練されたLONEのサウンドは「音楽なんて、気持ちよければいいじゃん」という人にもおすすめだ。ひたすら気持ちよく、甘美であり、いまどきのエレクトリックミュージックには珍しく「希望」や「ヒューマニズム」さえも感じさせてくれる。

















「僉(THE BOOTISTS)」 VA
「ROCK MUSIC」 hanali








Gorgeと書いてゴルジェと読むらしい。まったくノーマークだったが、インド・ネパールの山岳地帯のクラブ・シーンで生まれた新しい音楽ジャンルなのだとか。そもそもインド・ネパールの山岳地帯にクラブ・シーンなるものが存在しているのかどうかさえ怪しいのだが、ゴルジェの定義も奇っ怪きわまりない。オリジネーターであるDJ NANGAによって日本に伝えられたというゴルジェを構成する要素は以下の3つ。
1.Use Toms(タムを使うこと) 2.Say it "Gorge"(それがゴルジェと言うこと) 3."Don't say it "Art"(それがアートだと言わないこと)"
残念ながら、これだけではゴルジェとは何なのか、さっぱり分からない。ライブストリーミング番組のDOMMUNEでもゴルジェ関連のイベントを企画したりしているようで、一部では大いに盛り上がっているという噂なのだが、いくら調べても全貌が見えてこない。これもまた、情報が細分化されすぎてしまったインターネット時代ならではの現象なのだろうか。ライナーノーツを読んでみても、遅れてきたサブカルと言った感じの内輪受けジョークが鼻につくばかりで、どうにも実態がつかめない。カナダやアルゼンチンでも人気というが、じつに胡散臭いムーブメントなのである。
日本のゴルジェシーンを代表するクリエイターが一堂に会したというコンピレーションアルバムが、「僉(THE BOOTISTS)」だ。じつは、何の予備知識もなくCDショップの視聴コーナーで聴いたのだが、そのいかがわしくもグルーヴィーなサウンドに、一発でノックアウトされてしまった。ゴルジェのルーツには、Moebius, Plank & Neumierの「Zero Set」やポップ・グループなどのポストパンクなどがあるというが、昨今のノイズインダストリアルとも共振し合う部分が大きい。メタルパーカッションさながらに、スリリングで暴力的なタムの連打によって虚空を震わせるそのサウンドは、得体の知れなさも手伝って、我が耳を体験したことのない高揚感へと誘うのだった。
どの曲にもタムが使用されているため、トライバル色が強いのだが、曲によってはジュークやダブステップ、EDMなどからの影響を感じさせる。タムの音色が和太鼓に似ているからだろうか。本コンピレーションには和太鼓集団の鼓童を思わせるトラックも多く、わらべうたの「とおりゃんせ」や祭囃子を絡めたベタな楽曲も収録されている。ゴルジェは日本の伝統文化とも親和性の高いテクノであり、極めてヤンキー的である。(DJクラッシュ、若しくは入江悠監督の映画「サイタマノラッパー」の世界だ)。まあ、そんなことは筆文字によるアートワークを見れば一目瞭然なのだが‥‥。
日本初のフル・ゴルジェ・アルバムというhanaliの「ROCK MUSIC」(2013年)も遅ればせながら聴いてみたが、「僉(THE BOOTISTS)」 のように、わらべうたやハルカリ風日本語ラップ、あざとい携帯電話の音声ガイドや着信音のサンプリングが入っていないこちらの方が、きわもの的な印象は少ない。誤解のないように付け加えると「ROCK MUSIC」というタイトルだからといって、本アルバムは一般的な意味でのロックアルバムではない。ゴルジェには峡谷や山峡という意味があるが、恐らくは岩のようにゴツゴツした音楽という意味が込められているのだろう。
ゴルジェを取り巻く現象やコミュニティはカルト的(DOMMUNEもカルト的といえばカルト的だが)な匂いがするので、到底好きにはなれそうもないが、サウンドの方は意外とバリエーションが豊富で癖になる。中毒性の高さといい、ヤンキー度の高さといい、閉鎖的なコミュニティといい、何かに似ていると思ったら、ゴア・トランスだった。





「When Fiction Comes To Life」 BRIANA COWLISHAW
「Sideways」 LAUREN DESBERG








ブリアーナ・カウリショウ。オーストラリア出身のジャズ・ヴォーカリストらしいが、はじめて耳にする名前だ。「グレッチェン・パーラトやサラ・ガザレグなど、ジャズとポップスの垣根をこえて活躍する女性ヴォーカリストたち。その次世代を担うヴォーカリスト/コンポーザー」という紹介文句に惹かれ、新譜と間違え購入したのだが、よくよく見てみるとアルバムの発表年は2011年。どうやらジャケットを当世風に一新しての日本盤リリースにまんまと乗せられたたというわけだ。とはいっても、それは筆者の不注意に拠るものだから文句は言えない。帯には、2011年に発表され、翌年にはオーストラリア国内賞で「ベスト・ジャズ・ヴォーカル・アルバム」に選ばれたとはっきり明記されているのだから‥‥。
それでも、何か釈然としないのだ。グレッチェン・パーラトとブリアーナ・カウリショウは、確かに似たようなタイプのヴォーカリストだし、ピアニストのアーロン・ゴールドバーグをはじめ、NYジャズの新鋭がバックを務めているところも、グレッチェン・パーラトと近い立ち位置にいるミュージシャンといえるだろう。それでも、「グレッチェン・パーラトの次世代を担う才能」と形容されているからには、当然、パーラトの先を行く新しい展開を期待してしまう。
しかし、実際のところ、ブリアーナ・カウリショウの「When Fiction Comes To Life」は、パーラトの出世作である「The Lost And Found」と比べるても幾分オーソドックスなジャズアルバムといえるだろう。それもそのはず、本作がリリースされた2011年は、パーラトの「The Lost And Found」がリリースされた年であり、ブリアーナ・カウリショウはパーラトに似たタイプのヴォーカリストとして事後的に発見されたわけだから、いくら年齢的にパーラトよりも若くても、“次世代を担う”の宣伝文句はやはり眉ツバなのである。
最も、グレッチェン・パーラトのサウンドが斬新なサウンドかといえば、それもまたビミョーであるのだが、実験性=新しさという時代はとうの昔に終わっているということだけは強調しておいてもいいだろう。ニュアンスとセンスで聴かせるジャズこそが現代のNYジャズであり、シャープさの中にエレガンスを孕んだ近年のNYジャズに特有のサウンドは、ブリアーナ・カウリショウの作品からも感じとることはできる。
⑦「When Fiction Comes To Life」や⑫「No More Then, Only Now」でのトランペット、⑩「Just a Game」のドラムに表現されているように、饒舌でありながらストイックな感覚が、いかにも新時代のジャズといった風情を漂わせる。ブリアーナ・カウリショウのクセのない声質は、そのようなスタイルのジャズと相性がよい。エラ・フィッツジェラルドのような技巧的なスイング唱法でもなく、アニタ・オデイのような速射砲的唱法でもなく、ナチュラルなポップス的唱法といえるだろう。
メロディー・ガルドーやダイアナ・クラール、エリザベス・シェパードなど、近年活躍しているジャズヴォーカリストは、ポップス的唱法とまではいえないが、アクの強くない白人女性ヴォーカリストが中心だ。これは、グレッチェン・パーラトにもいえることで、現代NYジャズのヴォーカルが白人女性(アニタ・オデイは白人だが)を中心に回っているように見えるのは、現代ジャズとの相性のよさに起因するのではないだろうか。
そして、もう一人の白人女性ヴォーカリストが、グレッチェン・パーラトのプロデュースにより、5曲入りのミニアルバム「Sideways」をリリースしたローレン・デスバーグだ。パーラトのバンド・メンバーであるピアニストのテイラー・アイグスティやサックス奏者のダイナ・ステファンズに加え、アレンジャーに「Heroes & Misfits」でブレイク中の鍵盤奏者クリス・バワーズを招聘。これぞNYジャズといった洗練されたサウンドを聴かせてくれる。声の質や歌唱スタイルは、やはりグレッチェン・パーラトやブリアーナ・カウリショウにかなり近い。
ブリアーナ・カウリショウの新作ともども、フルアルバムのリリースが待たれるところだ。









「サンシャイン日本海」 Negicco





ピチカート・ファイヴの小西康陽の起用に続いて、今度はオリジナル・ラブの田島貴男ときた。
作詞・作曲・編曲に田島貴男を起用してつくられた新潟のご当地アイドルNegiccoの新曲「サンシャイン日本海」は、昭和歌謡と90年代渋谷系を融合したような不思議な楽曲だ。
「アイドルばかり聴かないで」を手がけた小西康陽といい、前作「トリプル!WONDERLAND」を手がけたシンバルズの矢野博康といい、「愛のタワー・オブ・ラブ」、「ときめきのヘッドライナー」でのノーナリーブスの西寺郷太の起用といい、Negiccoによる渋谷系およびポスト渋谷系の召還はとどまるところを知らない。田島貴男はピチカート・ファイヴのボーカルを担当していた時期(アルバム「女王陛下のピチカート・ファイヴ」)もあるから、ピチカート・ファイヴ絡みでは2人目の起用ということになる。
オリジナル・ラブの楽曲である「サンシャイン・ロマンス」のセルフパロディなのだろうが、そもそも「サンシャイン日本海」というタイトルからして、なんだか語義矛盾だし、横文字を使っているのに妙に演歌っぽい響きがあって怪しい感じだ。そして最大の謎は、ギターのカッティングやサビのメロディーが、オリジナル・ラブというよりは、ほとんどフリッパーズ・ギターのものであること。サビのメロディーなどは「偶然のナイフ・エッジ・カレス 」や「すてきなジョイライド」のサビに似ていなくもない。おそらく田島貴男が意図したのは、80年代の歌謡曲とアズテックカメラに代表される80年代ネオアコとのハイブリッドなのだろう。
そういえば、フリッパーズギターの小山田圭吾も、ピチカート・ファイヴの「ボサノバ2001」というアルバムに収録されている「クレオパトラ2001」を作曲しており、ピチカート・ファイヴ人脈の一人といってもあながち間違いではない。
つまり、小西康陽、田島貴男、小山田圭吾というピチカート・ファイヴ人脈がNegiccoというご当地アイドルを通じて再びひとつにつながったわけだ。「アイドルばかり聴かないで」の時は辛辣なことばかりを書いたが、渋谷系の再就職先としてアイドルがあるという構図には、捨てがたい魅力があることは否定できない。ミュージックビデオも、あの頃の空気感をじつに巧みに切り取っている。
渋谷系最大のヒット曲といえば、たぶん、小沢健二でも、フリッパーズ・ギターでも、カジヒデキでも、ピチカート・ファイヴでもない。ドラマ挿入歌としてチャート・インしたオリジナル・ラブの「接吻」と「プライマル」だろう。渋谷系にほとんど興味がない人でもカラオケで普通に「プライマル」を歌っていたりするように、最も下世話でメジャーシーンに近い渋谷系は、じつは田島貴男なのだ。そうした意味では、田島貴男とアイドルとのコラボは盲点だったといえるのではないか。決定的な名曲とはいえないが、確かにいい仕事をしている。
ほんとうは「ポイント」以降、「攻殻機動隊 ARISE」とか「デザインあ」のような玄人好みの実験的なアルバムばかりつくっている小山田圭吾にこそ、ポップスシーンに帰ってきて欲しいと思うのだが‥‥