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Future Cafe

音楽レビューのようなもの〜TECHNO、JAZZ、BREAKBEATS etc

「CO.LD」 V.A.





ダブステップのオリジネーターの一人、PINCHが設立したレーベル〈コールド・レコーディングス〉から、コンピレーション・アルバムがリリースされた。
シャックルトンとのプロジェクトを引き合いに出すまでもなく、いまやダブステップという狭い領域を越えて、テクノのダークサイドを象徴する存在ともいえるPINCH。そのPINCHが主宰するレーベルのショーケースである以上は、ポストダブステップの流れを決定づけるものとなるに違いない。本作を前にして胸をよぎったのは、そんな期待めいた確信だった。
「CO.LD」に収録されているのは、Pinchを筆頭に、Acre、Ipman、Batu、Elmonoという総勢5人のアーティストたち。最大の収穫は、何といってもAcreだろう。PinchやIpmanも悪くない。しかし、唯一、ポストダブステップ以降の新しい領域へと純粋に踏み込んでいると思われるのは彼だけだ。このAcreに比較すると、どうしても他の収録アーティストは過去に存在したサウンドのリサイクルに留まってしまっているように聴こえてしまう。具体的に言えば、ゴールディやソース・ダイレクトなどのダークコアドラムンベースやレイヴサウンドを縮減してダブステップ以降の鋳型に嵌め込んだという印象だ。残念ながら、“得体の知れない不気味さ”や“匿名の暴力性”を感じさせるには至っていない。一方で、Acreのサウンドには、そのような既視感は存在せず、カテゴライズを拒みながらも、実験的になり過ぎず、さりとてあざと過ぎない絶妙のバランス感覚がたまらない。
尤も、Acre以外のアーティストも、つまらないというわけではない。時折かいま見える、ハウスからの影響は、マーティンやアイカコニカにも共通しているポストダブステップの傾向のひとつだが、随所にインダストリアルな音響を取り入れているところなどは、〈コールド・レコーディングス〉ならではの特徴といってもよい。
本作を聴いてみて、痛感するのは、テクノの先鋭的な部分において、黒人音楽から白人音楽へ、ダンスミュージックからエクスペリメンタルミュージックへ、ファンキーからインテリジェンスへという流れが、ますます加速しているということだ。こうした傾向は、EDMの狂騒に対する反動といった側面もあるのだろうが、筆者自身、アンディ・ストットの登場以降、あえてグルーブにこだわらない現代音楽的な要素を持つテクノに関心を覚えるようになってきている。
ここに収録されているトラックの数々は、レイヴの幻影から完全に自由になっているというわけではない。しかし、エクスペリメンタルなサウンドへと引導を渡すという意味では、その存在意義は小さくないとえいえるだろう。

 




「MOSAIC」 TROEING SNOW





 ロンドンを拠点とするロス・トーンズのプロジェクト、スローイング・スノー。そのデビューアルバム「MOSAIC」 が〈Houndstooth〉からリリースされた。〈Houndstooth〉は、fabricのサブレーベルで、Akkordやスペシャル・リクエストなどをリリースする注目のレーベルだ。
 スローイング・スノーのサウンドは、ダブステップやドラムンベース、LAビーツなどの影響下にあり、いわゆるポスト・ダブステップの系譜に位置づけられるのだが、その一方で「THE TEMPEST」のミュージック・ビデオにも表れているように、ヨーロッパ的な美意識を強く感じさせるサウンドだといえるだろう。ヨーロッパ的という意味では、昨今のニュー・インダストリアルにも相通じる部分もある。
 それにしても、ここで聴くことのできるパンチの効いた重低音ビートと、チェロやハープの音色を思わせる優雅な装飾的サウンドの絶妙なバランス感覚はどうだろう。低音にアクセントを置いた楽曲の構成がダブを基調としたブリストル・サウンドを連想させるからか、トリップホップになぞらえる声もあるようだが、本作に横溢しているのは、深海を這うようなトリップホップの暗鬱な響きとは、明らかに別種のめくるめく高揚感に満ちたサウンドといえるだろう。乱暴に言えば、KMFHの「THE BOAT PARTY」やジュークのゲットー感覚に、ネオクラシカルの壮麗さを融合させたような1粒で2度おいしいサウンドだ。アルバムを通してこれほど気持ちよく聴けるベース・ミュージックは、フライング・ロータス以降、初めてかも知れない。
 ミュージックビデオにもなった②「THE TEMPEST」やKID Aとクレジットされた歌手を起用した③「HYPNOTISE」をはじめ、本アルバムにはビョークのようなボーカルがフィーチャーされたトラックが多く収録されているのだが、ロス・トーンズの描くサウンドスケープにじつによく馴染んでいる。それこそ、「ビョークのような」と形容されるボーカルが入ったエレクトロニカやテクノは、この世にごまんと存在し、食傷気味であるのだが、スローイング・スノーの手にかかると新鮮な耳で聴けるから不思議だ。
 このスローイング・スノーは、イギリス政府の資金援助を受けてデビューしたらしい。つまり、文化振興を担う人材として国から認められているわけだ。国が文化に関与するのはどうかと思うが、クールジャパン担当大臣相とやらが、レディー・ガガのツアーで前座を勤めることになったアイドルグループ、ベビーメタルを招いて海外での人気の秘密(!?)を聞いたというどこぞの国とはレベルが違いすぎると思い知らされた。


「WHILE YOU WERE SLEEPING」 JOSE JAMES
 




 ホセ・ジェイムズというジャズ・ボーカリストは、じつに節操がない。もちろん、いい意味でだが‥‥。
 ブルーノートの作品を逐一チェックしている分けではないので、あくまでも憶測に過ぎないが、ホセ・ジェイムズによるブルーノートからの第2弾となる「WHILE YOU WERE SLEEPING」は、ブルーノート屈指のロックアルバムといえるだろう。ノラジョーンズの「Little Broken Hearts」に象徴されるように、近年のブルーノートは、必ずしもジャズの枠組みにこだわっていないように見受けられるのだが、それでも本作「WHILE YOU WERE SLEEPING」は、フォーキーだとか、ロックテイストだとかいう次元を大きく逸脱して、オルタナティブ・ロックの領域にも足を踏み入れているから尋常ではない。ここまでロックを感じさせるブルーノート作品は希有なのではないだろうか。
 ジャズの分野でロックというと、リー・モーガンの「THE SIDEWINDER」などのジャズ・ロックを思い浮かべる人も多いかも知れないが、あれはファンキーであっても、決してロックではない。しかし、「WHILE YOU WERE SLEEPING」は、まごうことなきロックなのだ。インタビュー記事によると、フランク・オーシャンやジェイムス・ブレイク、マッドリブから、ニルヴァーナやレディオ・ヘッドまで、ホセ・ジェイムズが影響を受けた音楽を融合させたのだという。
 本作ではクリス・バワーズとベーシストのソロモン・ドーシーがキーマンとなっているが、クリス・バワーズは、今年リリースされたデビューアルバムの「Heroes+Misfits」においてインディ・ロックの影響を公言しているだけに、本作での起用は当然といえば当然なのだが、若手のジャズ・ミュージシャンが、ここへきてこぞってロックからの影響を取り入れはじめているのは興味深い現象だ。今作でホセが意識したというレディオヘッドは、「KID A」(2000年)以降、エレクトロニカとロックの融合を図ると同時に、チャールズ・ミンガス等のジャズにインスパイアされたロックを展開しているから、相互交流が進んでいるというべきか。
 フュージョンに代表されるように、過去にもロックとジャズの異種交配は存在したが、本作にはもはやジャズの要素は微塵も感じられない。詭弁かも知れないが、ネイキッドシティやペインキラーなどのユニットでハードコアパンクを武器にジャズの臨界点に挑んだジョン・ゾーンですら、本作に比べればまだまだジャズ度が高かったといえるだろう。
 本作を聴いて思ったのは、ジャズを聴く前に、当たり前のようにロックを聴いていた世代が、若手ジャズメンの主流になってきたという事実だ。そこが、事後的にロックに触れたジョー・ザヴィヌルやマイルス・デイビスとの決定的な違いだ。
 ①「ANGEL」は、ジミヘンやレニー・クラヴィッツを彷彿とさせるエレクトリックギターが印象的なトラック。ニューヨークで活躍する日本人トランペッター、黒田卓也をフィーチャーした⑫「SIMPLY BEAUTIFUL」は唯一ジャズを感じさせる(黒田卓也のトランペットソロは渋い!!)が、⑤「BODHISATTVA」や⑩「EVERYLITTLETHING」などは、エレクトリック・ギターが完全にオルタナティブロックのフレーズと音色を再現している。さらに、⑪「XX」はポストダブステップのインディ・ロックバンドTHE XXを意識してるのではないかと邪推してしまうようなサウンドだ。⑥「4 Noble Truths」はデヴィッド・ボウイあたりに歌わせたいフォークロックだ。⑦「DRAGON」では、ベッカ・スティーブンスとのデュエットが聴けるが、ベッカ・スティーブンスもどちらかといえば、純粋なジャズミュージシャンというよりは、フォーク/カントリー色が強いミュージシャンである。
 果たして本作がロック・ミュージックとしてレディオ・ヘッドのサウンドに拮抗しているかといえば、いささか物足りなさを覚える部分もある。また、ホセのヴォーカルがロック向きではないという問題もあるだろう。しかし、聞き込むと、どうしてこれがなかなか味のあるアルバムなのだ。ホセ本人によるソングライティングも悪くない。ひとまずは、ホセというアーティストが、ジャズ・ボーカルという狭いジャンルに分類されることを良しとしないアーティストであるということを再確認できただけでも、本作の持つ意義は小さくない。
 前作の「NO BEGININNG NO END」についてのブログでは、作品ごとに新機軸を打ち出してきたホセ・ジェイムズも、自らのルーツへと回帰していくギリギリの地点にきているのではないかなどとと書いたが、とんでもなかった。確かにルーツには回帰したのかも知れないが、それはジャズやソウルではなくロックだったのだ。
 日本盤にはボーナストラックとして椎名林檎とのデュエット曲「明日の人」が収録されているが、企画の意図がよく分からない。椎名林檎がホセのライブによく顔を出していたという理由らしいが、椎名林檎を引っ張ってきてホセに日本語で歌わせるとはレコード会社の戦略が鼻につきすぎて引いてしまう。確かに映画「さくらん」のサウンドトラックから派生した「平成風俗」などは、椎名林檎的ジャズアルバムの傑作だが、だからといってこのコラボは強引過ぎるのではないだろうか‥‥。








「LE POLAROID」 ANDRE SOLOMKO





 昨今のテクノ/エレクトロニカ/ロックを象徴するキーワードのひとつである“インダストリアル”。その対極に位置し、ジャズやR&Bの世界においてキーワードのひとつとなっている“メロウ”。ノイズミュージックをその起源に持つ“インダストリアル”も、フュージョン/AORから派生した“メロウ”も、70年代~80年代のリバイバルという意味では共通している。
 エコノミストの水野和夫氏によると、1970年代半ばにピークに達し、“終焉の始まり”を迎えたはずの資本主義を、アメリカが「電子・金融空間」を新たに創設することで、その後30数年に及ぶ資本主義の延命措置を施すことに成功したが、その延命策も近年では八方ふさがりで、いよいよ限界を迎えようとしているらしいのだが、なるほど、そうした時代背景が現在と70年代を結びつけているのかも知れない。
 そういえば、フランソワ・リオタールが1979年に発表した著書「ポストモダンの条件」により流行させたポストモダンという概念もまた、大きな物語の終焉の始まりを示唆する概念だった。消費社会の病理を象徴する“インダストリアル”と、現実逃避の象徴としての“メロウ”。つまり、“インダストリアル”も、“メロウ”も、“終焉の始まり”の音楽というわけだ。最も日本の場合、本格的なバブル景気は1986年以降に始まるのだが‥‥。
 いささか話が脱線してしまったが、ファーストアルバム「ウ・エチュ・マントゥノン?」が注目を集めたサックス奏者、アンドレ・ソロンコの2作目となる「ポラロイド」は、前作同様、アナログ録音にこだわった“メロウ”なチューン満載のアルバムだ。特筆すべきは、1970年代に活動していたフランスのプログレッシブジャズロックバンド、コルテックスのアラン・ミオンがピアニストとして参加していること。だから、どんなにメロウであっても、ただ甘いだけのサウンドとは違って、どこかプログレッシブな薫りが漂っている(コルテックスの音楽をプログレととらえることに抵抗のある御仁もいるだろうが‥‥)。アンドレ・ソロンコはフィンランド在住だが、同じ北欧のスウェーデンを拠点とするロマン・アンドレンがデオタードの現代版なら、こちらはコルテックスの現代版といえるだろう。
 アンドレ・ソロンコの音楽はフュージョン~AOR~シティ・ポップスと紹介されることが多いが、AOR~シティ・ポップスというよりはフュージョン/クロスオーバーと考えるのが妥当だろう。もちろんAORやシティ・ポップスのエッセンスも感じられないことはないのだが、AORやシティ・ポップスと呼ぶにはだいたい曲が長過ぎるし、1分40秒を過ぎてはじめてヴォーカルが出てくる曲もあったりして、世間でいわれているほどアーベインではない。少なくとも、田中康夫のAORガイド「たまらなく、アーベイン」でリストアップされているアルバムはもっとポップス然としているし、ボーカルが全面に出ている。だからといって、本作が退屈かといえばそんなことはなく、前述のロマン・アンドレンもそうなのだが、冗長なインストゥルメンタルなど、ポップミュージックとしてのバランスの欠如が、凡庸に堕する手前でギリギリ非凡な側に留まることに貢献しているといえるだろう。
 メロウミュージックのツボはきっちりと抑えられているし、フェンダーローズもしっかりと入っているし、70年代のフェイクにしては技術的に洗練されているし、これが15年ぐらい前なら狂気乱舞しでいるところだろうが、欲をいえばもう少し新しさのエッセンスを感じさせる部分があっても良かった気がする。しかし、フュージョンの中でもメロウな部分だけを抽出したような音楽を聴いてセンチメンタルな気分に浸りたいという時には、最高の時間を用意してくれるアルバムといえるだろう。





「AURORA」 BEN FROST





 マイ・ブラディ・バレンタインがギターによるフィードバックノイズを多重化させることで、ストリングスの甘美さへと奇跡的に接近していったように、本作でのベン・フロストもまた、轟音ノイズにより音の空間を埋め尽くすことで、ノイズミュージックでありながら、クラシックの荘厳さへと接近している。
 ベン・フロストは、オーストラリア・メルボルン生まれで、現在はアイスランド、レイキャビクを拠点として音楽活動を行っている。ティム・ヘッカーの傑作「Ravedeath,1972」と「VIRGINS」への参加や、サックス奏者コリン・ステットソンのアヴァンギャルドジャズ「NEW HISTORY WARFARE VOL.3:TO SEE MORE LIGHT」のプロデュースから、ビョークのリミックス、はたまたスワンズやブライアン・イーノとのコラボレーションまで、ジャンルを問わず幅広い活躍を見せているサウンドクリエイターだ。本作「AURORA」は、ベン・フロストにとって通算4枚目の作品となる。
 前作「BY THE THROAT」は、その寒々しいジャケットのアートワークの印象も手伝ってか、極寒のインダストリアル・ドローンとでも形容したくなる独特の世界観を呈していたが、「AURORA」という、いささか夢見がちなタイトルを冠された本作では、前作のように硬質で研ぎ澄まされた刃物のようにキリキリと肌を刺すような寒さの感覚や、極北の孤独感はやや薄まり、ドラマチックな高揚感が台頭してきているという印象を受ける。
 北極圏の近くに位置するアイスランドは、夏は白夜だが、12月から1月にかけては太陽が昇らない極夜の季節を迎えるという。10年ほど前に、オーロラの季節の1月にアイスランドよりも北極に近いノルウェーのトロムソを訪れたことがあるが、一日中太陽の光をまともに見ることはなく、まるで街全体が闇の中で微睡んでいるかのようだった。夏になるとクリストファー・ノーラン監督の映画「インソムニア」(2002年)でアル・パチーノ演じるLAの刑事が、慣れない白夜のアラスカで不眠症にかかり自意識を崩壊させていったように、澄み切った風景とは裏腹に、住み慣れない転入者たちは、どこか狂気めいた白日夢の中で現実感を喪失し、自らの輪郭を溶解させているのかも知れない。本来的には南半球の人であるベン・フロストのサウンドもまた、レイキャビクの微睡みの中で熟成されることにより、漆黒の輝きを獲得し得たのだろう。
 轟音の雲間から幻影のように現れる②「Nolan」で聴かれるポスト・クラシカル的展開や、④「Secant」から⑤「Diphenyl Oxalate」にいたる大伽藍に響き渡るようなサウンドなど、敬虔な雰囲気すら漂っている。さらに、極めつけは金属的なトライバルビートが炸裂する中、シンセの旋律が宙を舞う⑨「A Single Point Of Blinding Light」だ。
 しかし、これらの楽曲は、まさに異形のインダストリアルテクノとしかいいようがなく、カテゴライズを撥ね付けるようなその印象は、サウンドの緻密さとは別の次元で“ぶっきらぼう”とさえいえるものだろう。ティム・ヘッカー然り、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー然り、そうした漠然としたつかみ所のなさが、ひとつのムーブメントを形成しているというのも極めて今日的なフェノメナであるといえるだろう。