動物は鏡を見て自分を認識するのだろうか?
自分は飼い主と姿形が違うことを。
飼い主の家族、子供くらいに思っていた動物がいたら、かれは鏡を見て自分の容姿に少なからずショックを受けないのだろうか?
もちろん自分の体は鏡を見なくても手足や胴体は自分の目で見えるだろう。
『自分はなんか飼い主と違うぞ……』
それでも鏡を見れば完全に飼い主と違うということがわかるだろう。僅かな希望も吹き飛ぶはずだ。
『動物はそんな思考はない』
そう言われれば見も蓋もないが、その苦悩や葛藤を越えても飼い主に従順になれるのは、飼い主のことがとても好きなのだろう。そこには愛情があるのだろう。そう思えば余計にこちらも愛しくなれる。
見方、視点、目線。
善と悪。悪は視点を替えれば善になる。
捕食される動物の視点から見たら人間は悪だろう。だが空から異星人が攻めてきて人間を捕食したら?
もちろんそれも悪だ。
その異星人が母星を失い、やむを得ず地球人を捕食するものだとしても悪。
異星人の子供たちから見たら、かれらはヒーローであり正義なのに、地球の子供たちから見たら、ただの恐怖の対象で絶対的な悪でしかない。
どの立場から見るか。
学位の頃、三角柱の形を見させられ、
『上から見たらどう見える? 横から見たらどう見える?』
三角形に見えたり四角形に見えた。
見方によって形が変わることを学んだ。
『物事は一方的に見ないで全体を見るようにしなさい』
授業の最後に、そんな風に先生が言っていたことを思い出した。
今日は仕事が休みだったので次男と二人で実家へと出掛けた。車で30分くらいの距離。昼過ぎに着くと母親が出迎えてくれた。
『お腹すいてる?』
『うん、起きたばかりだから』
雑談をしながら近くの回転寿司へと向かう。ちなみに最近の会話は健康に関することばかりだ。
『水素水が良いらしいよ』
『玉ねぎのなんかを飲んでるわよ』
『活性酸素を……』
そんな話は勿論、次男には興味がないのだろう。ミラー越しに顔を覗くと窓の外をぼんやりと見ていた。
母親は月に一度は実家に呼んでくれる。お寿司をご馳走してくれて、食料品などを買ってくれる。たいてい一緒に子供を連れていくのだが、最近では用事がなくてもついてこない場合の方が多い。
帰り道は必ず両親に感謝の気持ちと申し訳ない気持ちが溢れてくる。いい歳をして至らない点が多々あるので両親には未だに心配、辛労をかけているためだ。
親と子って特別だと思う。自分に子供がいても親の前では自分が子供になる。その場にいる子供からみたら自分が親なのに。
何食わぬ顔で居酒屋の暖簾をくぐろうが、映画館のチケット売り場で大人の料金を払おうが、いくら外見が年老いても親の前では子供になる。そこには安心感があるのだと思う。
ほんの少し前まで洋服や靴を泥だらけにしながら家に帰っていた。家に帰れば温かいご飯が待っていた。夜になれば白い天井を見つめながら目を閉じる。両親の保護下にあった。手を伸ばせば届きそうな距離。昨日よりちょっと前のこと。
結婚して家庭を持ち、実家を出て何十年も経った。親と会うのは月一の数時間。自分の子供も家がベースになってはいるが、それぞれが日々を送っているので、昔みたいに一緒に遊んだり話したりする機会が減っている。
そう考えると親と子といっても一緒に過ごす時間って思いのほか少ない。
隣の街なのに月に一度。
一緒に住んでいるのに丸一日会話することもなかったり。
帰宅後、子供と一緒にやるためにps4の『マインクラフト』というゲームを買ってみた。
『三角ボタン押して』『L2ボタンを押すの!』その都度テレビのゲーム画面から視線を外してコントローラーをのぞきこむ。首と肩がなんだかもの凄く疲れた。
昔のゲームはボタンが少なかったのにな……。
『お腹すいてる?』
『うん、起きたばかりだから』
雑談をしながら近くの回転寿司へと向かう。ちなみに最近の会話は健康に関することばかりだ。
『水素水が良いらしいよ』
『玉ねぎのなんかを飲んでるわよ』
『活性酸素を……』
そんな話は勿論、次男には興味がないのだろう。ミラー越しに顔を覗くと窓の外をぼんやりと見ていた。
母親は月に一度は実家に呼んでくれる。お寿司をご馳走してくれて、食料品などを買ってくれる。たいてい一緒に子供を連れていくのだが、最近では用事がなくてもついてこない場合の方が多い。
帰り道は必ず両親に感謝の気持ちと申し訳ない気持ちが溢れてくる。いい歳をして至らない点が多々あるので両親には未だに心配、辛労をかけているためだ。
親と子って特別だと思う。自分に子供がいても親の前では自分が子供になる。その場にいる子供からみたら自分が親なのに。
何食わぬ顔で居酒屋の暖簾をくぐろうが、映画館のチケット売り場で大人の料金を払おうが、いくら外見が年老いても親の前では子供になる。そこには安心感があるのだと思う。
ほんの少し前まで洋服や靴を泥だらけにしながら家に帰っていた。家に帰れば温かいご飯が待っていた。夜になれば白い天井を見つめながら目を閉じる。両親の保護下にあった。手を伸ばせば届きそうな距離。昨日よりちょっと前のこと。
結婚して家庭を持ち、実家を出て何十年も経った。親と会うのは月一の数時間。自分の子供も家がベースになってはいるが、それぞれが日々を送っているので、昔みたいに一緒に遊んだり話したりする機会が減っている。
そう考えると親と子といっても一緒に過ごす時間って思いのほか少ない。
隣の街なのに月に一度。
一緒に住んでいるのに丸一日会話することもなかったり。
帰宅後、子供と一緒にやるためにps4の『マインクラフト』というゲームを買ってみた。
『三角ボタン押して』『L2ボタンを押すの!』その都度テレビのゲーム画面から視線を外してコントローラーをのぞきこむ。首と肩がなんだかもの凄く疲れた。
昔のゲームはボタンが少なかったのにな……。
長年使っていた洗濯機が壊れた。去年、冷蔵庫が壊れたばかりなのに……。
どうやら脱水がダメらしい。その結果、毎日乾燥機がフル稼働。ましてやこの季節は暖房器具が複数台稼働中で、すぐにブレーカーが落ちてしまう。
数日前に電気屋で洗濯機を注文した。配送日の午前中に洗濯機をどかしてみると真っ黒なカビと片方だけの靴下等、ゴミだらけだった。
ハイターを辺り一面に噴射。ついでに洗面台と浴室にも。
要らないものを捨てるのが好きだ。というよりは使わないものがあることが嫌なのだ。汚いのも嫌。
その傾向は歳を重ねる毎に酷くなってきた。
汚いと『あぁー』っとなってくる。
先日、長年取っておいた想い出の品物まで捨ててしまった。
『これは自分が死んだら誰がみるのだろう?』
例えば写真。ほんの数枚なら子供が父親の子供の頃の写真をみる機会もあるだろう。だが何百枚なんて誰がみる?
他にも小学校の時のランドセル、集めたコインや清涼飲料水の王冠、好きだったバンドのポスターやグッズ。他人からみたらガラクタ同然の品物ばかり。
ふと思ったのだが、ちょうど世代的に写真が沢山あるのだろう。子供の頃は一般家庭にカメラが普及した時分。
いまはデジタルで保存しているので、まず印刷することもなく、うちの子供たちの写真はカードの中に入りっぱなしだ。
宝物はディズニーの缶の中に入れておいた。数年振りに蓋を開けると、ふわぁっと想い出が撒き上がる。少しばかり歯痒く切ない気持ちになるのは何故だろう。それでも綺麗好きが現実に引き戻す。
あの頃、缶の中に大切な品物を入れた自分と今それらを捨てる自分。夢や希望がかすれて心のなかが冷めたのだろうか。
まぁいいや。今日は洗面所がとても綺麗だから。
どうやら脱水がダメらしい。その結果、毎日乾燥機がフル稼働。ましてやこの季節は暖房器具が複数台稼働中で、すぐにブレーカーが落ちてしまう。
数日前に電気屋で洗濯機を注文した。配送日の午前中に洗濯機をどかしてみると真っ黒なカビと片方だけの靴下等、ゴミだらけだった。
ハイターを辺り一面に噴射。ついでに洗面台と浴室にも。
要らないものを捨てるのが好きだ。というよりは使わないものがあることが嫌なのだ。汚いのも嫌。
その傾向は歳を重ねる毎に酷くなってきた。
汚いと『あぁー』っとなってくる。
先日、長年取っておいた想い出の品物まで捨ててしまった。
『これは自分が死んだら誰がみるのだろう?』
例えば写真。ほんの数枚なら子供が父親の子供の頃の写真をみる機会もあるだろう。だが何百枚なんて誰がみる?
他にも小学校の時のランドセル、集めたコインや清涼飲料水の王冠、好きだったバンドのポスターやグッズ。他人からみたらガラクタ同然の品物ばかり。
ふと思ったのだが、ちょうど世代的に写真が沢山あるのだろう。子供の頃は一般家庭にカメラが普及した時分。
いまはデジタルで保存しているので、まず印刷することもなく、うちの子供たちの写真はカードの中に入りっぱなしだ。
宝物はディズニーの缶の中に入れておいた。数年振りに蓋を開けると、ふわぁっと想い出が撒き上がる。少しばかり歯痒く切ない気持ちになるのは何故だろう。それでも綺麗好きが現実に引き戻す。
あの頃、缶の中に大切な品物を入れた自分と今それらを捨てる自分。夢や希望がかすれて心のなかが冷めたのだろうか。
まぁいいや。今日は洗面所がとても綺麗だから。