インド亜大陸旅行記 -51ページ目

インド13日目 デリー →761Km(列車で13時間半)→ バラナシ

『インドの家族』

 

 

 

列車で寝るということはとてもキビしい。
寒い冬にもかかわらず顔から50cm右隣の場所でけたたましい音を立てて扇風機が回っている。
自分のミスというか、隣のシートで寝ているドイツ人のオッサンのせいでこうなった訳だが。

昨夜、寝る準備をする時に、オッサンが通路側に枕を置いたので、自分も真似して置いてしまったのだ。
その時はまだ扇風機も回っておらず、快適に寝られるかと思ったのだが…。
次回乗る時には窓側に枕を置くように気をつけなければならない。
下手すると凍死してしまう。


列車が7時半到着予定だったので7時に起床する。
下のシートで寝ていたおじいちゃんはいつの間にか消えており、そのシートはドイツ人ファミリー御一行様に占領されていたので座る場所が無い。

仕方なく通路のスペースで車内販売の兄ちゃん達と話しながらタバコを吸う。
もちろん全員が吸っているのは俺のタバコ
である。
「一本くれよ!」と言われると断われない。

結局列車は30分遅れの8時にバラナシ駅へと到着。
ドイツ人ファミリーに「インドの次は日本にも旅行に来てね」と社交辞令的な別れを告げ
、ホームへと降りた。
ホームは人が溢れており、身動きがとれずなかなか前に進まない。
そんな状況に戸惑っていると、黒澤年男似のインド人が「これがインドさ!」
などと言いながら、駅の外まで案内してくれた。
「アリガトウ」と、オッサンに別れを告げ、駅から5Kmほど離れたガンガー(ガンジス河)まで行くのにリクシャーに乗りこんだ。

悪路を旧市街の方向へ進むこと20分。
ガンガー近くのギリジャガルの交差点に到着。
早速、今日からしばらく過ごす宿探しを始めようとすると、日本語を話す兄ちゃんが「宿?決まってないの?安くていい宿紹介するよ」と声をかけてきた。
しかし、こういう甘い話にはろくな事がないと散々学習してきたので、あしらいながらガイドブックに載っていた『Puskar Guest House』
という宿に行くことにした。

プシュカルゲストハウスに着き、玄関のチャイムを鳴らすと中から少女が出てきて家の中へと迎え入れてくれた。
一泊50Rsのシングルと90Rsのダブルがあったが、窓があって気分的に良さそうなダブルの部屋を選んだ。
早速、部屋に荷物を下ろしていると、部屋の入り口で小さな毛むくじゃらのオッサン
が立っている。

「コンニチハ~ イラッサイマセ~ ワタシ、ゴパールデス~」

と真面目な顔して奇妙な日本語を操るこのゲストハウスのオーナー、ゴパール氏
であった。
ゴパール氏は家中を歩きまわり一人一人家族を紹介してくれた。
そして屋上に連れて行き、自ら飼っているハトを飛ばし、芸を見せてくれて歓迎してくれた。
ハトという英単語が思いつかなかったので、

「これは日本語で『ハトポッポ』という鳥なんだ」

と教えると、ゴパール氏はさっそく子どもや奥さんにも教えたため、皆で「ハトポッポ~」と大合唱することになってしまった。

ちょっとした、おもしろ家族である。

2時間ほど屋上で日向ぼっこをしてから、聖なる河、ガンガーへと向かった。
ガートと呼ばれる沐浴場に着き、ボーっとしながらガンガーを見ていると「ああ…俺はインドに来てるんだなぁ…」
としみじみ思ってちょっと泣きそうになるが、すぐに現実に引き戻される。
マッサージ、散髪、髭剃り、ポストカード、土産物屋の紹介、宗教の勧誘…とひっきりなしに声をかけられるため、そんなにゆっくり感慨に耽る暇もない。

みんな観光客慣れしすぎである。
宗教の勧誘にきたネパール人4人組は、日本で有名な宗教団体に所属していると言ってパンフを見せてくれたが、聞いたこともない団体だったので、「そんな団体、日本人誰も知らないよ。あなた達…騙されてるね。」と丁寧に
教えてあげた。

…顔色を変えて去る4人組。
宗教って怖い。

ゲストハウスに戻り、ここを訪れた旅行者が書き込みをする情報ノート
を読んでいると、なぜだか分からないが涙が出てきた。
自分でもどうしてか分からないくらい止めど無く溢れ出す。
ゴパール一家の優しさで旅の緊張が解けたのか?

インドで初めて泣いた。

今日、ガンガーを見て「やっぱり正月には最南端カニャークマリで初日の出が見たい
と思った。
しかし、列車の時刻表を開き、にらめっこするが、いい方法が見つからない。

 

思っていたよりも、インドは広い。