☆夢から目醒めて見る夢☆
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主演女優降板のお知らせ

生まれてこの方

人間の「私」というキャラクターを

真剣に演じてきた。


自分と他は同一ではないと教えられ

親から付けてもらった自分の名前を己と信じて以来

喜劇、楽劇、苦劇、悲劇を

毎日毎日、休むことなく演じ続けてきた。


スピ界隈では

自我の自分は映画の中でキャラクターを演じていて

真我の自分は映画館でそのスクリーンを観ている。


はたまた

自我の自分はTVゲームの中のキャラクターで

真我の自分はコントローラーを持ってゲームをしている。


などと表現され

頭では理解していたが

いまいち腹落ちしていなかった。


でも今朝瞑想をしていた時

はっきりと自我がキャラクターの私を

演じているのが見え

本当の自分はそれを見ていたのに気がついた。


本当の私は純粋な意識であり、光である。

自分の信念や概念が現実に投影されている。

見たい、体験したい現実を体験できる。


超朗報!


主演女優を降板してもいいし

自分は熱血舞台監督となり主演女優の

演技指導に注力してもいい。


でもそれよりも

エアコンの効いた最新鋭の映画館の

リクライニングシートに座って

飲み物とスナックを片手に映画を楽しみたい。

身体で見る、聞く、嗅ぐ

肉体を持っている我々人類にとっての

覚醒・悟りとは身体の目覚め。


意識はとっくに目覚めている。

というか、目覚めてしかいない。


身体はマインド/エゴ/思考によって眠らされている。

身体の目覚めを体験することは

この世での一つのミッション。


身体をマインドの奴隷から解放させ

目覚めさせるゲーム。



ブルースリー先輩も言われてた

「考えるな!感じろ!」と。


身体がなければ感じることはできない。

つまり、「感じる」とは頭ではなく身体でやる。

心で感じる、これも身体。


頭でイマジネーションを膨らませて

エクスタシーやドロドロとした感情を感じている

と思っているが

脳で発生させた電気信号を身体で感じている。


感じるとは何も触覚だけではない。

目で見る、耳で聞く、鼻で嗅ぐと

脳へ信号が送られ

マインドが識別、判断をして感情を生み出す。

それは純粋な感覚、体験ではなくなる。


全てはエネルギーなので

見えるもの、聞こえる音、嗅ぐ匂いも波動である。

目や耳や鼻だけではなく

身体で見て、聞いて、嗅いで

身体のバイブレーションで感じる。


まるで植物のように。

植物は目も耳も鼻もないが

全身で感じている。

彼らのように身体の力を抜き

リラックスして自然体であれば感じられる。


体感は美しく、甘美である。

感じるとは体感を味わうこと。


思考のバイブレーションさえも

その内容に飲み込まれないで

純粋に感じていれば

美しく、気持ちいいものである。



ハートにアンカーを下ろして

そこに留まっていると

愛、慈愛、感謝、喜びが感じられ

肚(丹田)にアンカーを下ろすと

今ここ、パワー、グラウンディングが感じられる。

大谷翔平は真我意識(神意識)で野球をしている

大谷翔平が日本一を決める試合で投げた時ことを

振り返っているインタビュー映像を観た。


彼は「ゲームをしている感覚」だったと語っていた。


「僕が投げていない感覚

 僕を操作している」



テレビゲームのパワプロくんでコントローラーを握り

ゲーム内のアバターをコントロールしている表現。


この話を聞いてやっぱりなと

思わずにはいられなかった。


彼は自我意識(人間意識)を超越した

真我意識(神意識)として生きている。


だから、誰もが成し得なかった

人間離れした結果を出し続けている。


他人や外界には目もくれず

ただひたすらに己と向き合い

全身全霊で高みを目指す。


日々の反復練習やトレーニング、

怪我や逆境に立たされた時も

マインドやエゴに飲み込まれることはなく

自分が描きたい

自分が世界を創造している。



本来の自分は神で

人間の自分というアバターを使って

この世にゲームをしに来ている。


色んな人がこの表現をしているのを

何度となく聞いてきていたけど

ここまで徹底して体現している人は初めてみた。


勝ち負けを争うスポーツなど

ただただ野蛮なエゴのゲームだと思っていたが

自分も過去に数回、そのゾーンに入っていたことがある。


中学、高校時代、テニスをやっていた。

私は校内でもトップ選手というわけでもなかったし

コーチはプロではなかったが

学校外でも頻繁にテニスをプレーしている

セミアマ男性テニスプレイヤーだった。


それぞれ中学と高校のコーチと練習試合をしていた。

その時の私は完全にゾーンに入り、神意識だった。

自分や相手の呼吸や心臓の音までも聴こえる程に

世界が静まり返っていて

全てがスローに見え

コーチの動きやボールがスローモーションで

自分がこう動こうと思う前に

勝手に身体が動いていて

気が付けばコーチから1セットストレートで取っていた。


また高校1年の新人戦県大会の準決勝戦で

相手は県内トップのプレイヤーと対戦していた。

私は平均値プレイヤーだったので

圧倒的に不利なゲームのはずだったが

その時も神意識ゾーンに入り

全てが止まっている感覚に留まって

気が付けば、後一歩で相手を打ち負かすところまで来ていて

下位選手がトップ選手を追い込んでいると

試合会場が騒然としていた。


はたまた中学の校内マラソン大会で5km走っていた時

私は小学校まで虚弱体質で運動もあまりした事がなく

マラソンなんて苦手でしかなかったけど

中学に入りテニスを始めて

シーズンオフの冬の間は毎日

突風が吹き荒れる海岸沿いを8km走り込みしていた。

マラソン大会のレース直前に

コーチと担任が私の所に来て

「とにかく一番前の人に着いて行け!」と指示を出された。

ひたすらに素直だった当時の私は

言われた通り、ずっと一番前に着いて行ったら

最後には自分の前に誰も居なくなり

誰もがドン引きの運動音痴が一位になるという経験をした。


どの時もそこにはマインドや人間的な感覚はなく

大谷翔平がインタビューで言ってたのと同様

人間の自分を外から見ていて

操作している感じだった。


自我意識(人間意識)を捨て

真我意識(神意識)に戻る時

我々は神(創造主)になる。


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