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私たちの身体 = お寺・神殿
神である私たちは身体という神殿に存在している。
身体はマインド(思考、感情)にリアクションしている。
脳は実際に起こったこと(創造=creation)なのか
マインドが思考したこと(想像=imagination)なのか
分からない。
身体はマインドが作り出した
妄想に反応させられている。
身体と繋がり、リラックスして
反応しなくていいんだよ、と教えてあげる。
全てはエネルギー(氣、波動、プラーナ)
「全てはエネルギーだ!」
この言葉ももう何億回も聞いてきてたけど
今朝、改めてハッと気が付いた。
(最近このパターン多いな。
知ったかぶり→肚落ち・体感)
エネルギー
氣
波動
プラーナ
呼び方は色々とあるけど全て同じものを指している。
東洋では古くから氣を重んじており
気功、ヨガ、東洋医学は氣をベースとしている。
エネルギー、波動と聞くと
西洋風のスピ臭が漂い、怪しきものとされ
西洋医学では切り離されている。
しかし、近年では量子力学の観点からも
エネルギーは実在するものだと証明されてきている。
病気は全て氣の不自然な状態から引き起こされる。
私の自己免疫疾患も然り。
この数年で鍼灸、漢方薬、断食、自然食
キネシオロジー、波動療法、各種ヒーリング
更にはアマゾンの薬草儀式10回、蛙毒儀式2回
インドへも4週間&2週間修行へも行ってきた。
外からも内へもアプローチしているが
3年間病気は一向に改善していない。
答えは、、、
やっぱり全ては氣・エネルギーなのだ。
今習っている、サイキックリーディングとヒーリング
これらはまさに氣を取り扱う。
エネルギーは目には見えないので
一般的には怪しいとレッテルが張られているが
私たちの目で目視したものは
マインドにコントロールされ
脳で認識される。
そっちの方がよっぽど信憑性に欠ける。
エネルギー・氣は目では見えないが感じられる。
むしろ感じることしかできない。
マインド・思考を止めない限り感じるのは不可能。
人を見るとき、その人の外見、言動ではなく
エネルギーを見る(感じる)。
それが本質。
外見はエネルギーが現象化されたもの。
8月15日
今日8月15日は去年亡くなった妹の誕生日。
生きていたら今日で37歳。
お盆だし、お誕生日だったからか
昨日久し振りに夢で会いに来てくれた。
朝起きて
もう一生彼女に会うことはできない
という寂しさと
この先どこまで行っても
彼女との関係性が変わらないという
安心感が一緒に溢れ出してきた。
この世界にはエネルギーしか存在しなくて
記憶という夢を見ているだけだと
薄々思い出してきているわたしもいるけど
こんな日はストーリーにどっぷり浸り
感情という幻想に酔いしれてもいいか。
完全に目醒めちゃう前に。