☆夢から目醒めて見る夢☆ -2ページ目

感情の正体

感情(emotion)の語源は

「心を外へ(ex-)

 動かす(moveo) →ラテン語

 こと(-ion)」


つまりは、「感情≠本来の自分」ということ。


長い間、「思考、肉体(体感)、感情=自分」だと

完全に自己同一化して生きてきていたけど

本当のわたしは「無限の純粋意識」である。


己と社会からのマインドコントロールに

綺麗にはめられていた。


「心(ハート)=感情」だと思い込んでいたので

心(ハート)に還るということは

自分の感情に従うことだと勘違いしていた。


感情はわたし達を外へ出そうとする動き。

感情はマインドによって操られている。

マインドは感情を使って

わたし達を意識の外に出させようと仕掛ける。


感情に飲み込まれている時

自分を見失い、どっぷり夢の中で眠っている。


感情を感じてはいけないとは思わない。

どっぷり眠り込まず

感情を味わったら、すぐに夢から目を覚まして

心(ハート)のホームに還ればいい。



目を覚ますことよりも

目を覚まし続けることの方が難しい。


マインドは非常に巧妙な策士なので

うっかり眠らされていることもある。


心(ハート)に留まり、考えるではなく感じる。

コツコツとこれをやっていく。



病気や試練はギフト

先日とある集まりに参加で

イスラエル人のおじさんと出会った。

その会には20人以上の人達が参加していたが

私と繋がるものを感じたらしく

話し掛けにきてくれた。


おじさんはエネルギーが見えるようで

私のエネルギーをリーディングし始めてくれた。


トラウマはあるかい?と聞かれたので

母とのトラウマがあると思うと答えると

いや、お母さんではなくお父さんの方だねと言われ

私の背中を触診して

ここに「Shame」が溜まっていると教えてくれた。


「Shame」- 恥、がっかりされる、不名誉、罪悪感


長女だった私はいつも良い子であらなければと思い

親や大人たちの顔色を覗って生きてきた。


15歳の時、父親が不倫をし両親が離婚するかどうかの

話になった際に

父は妹を、母は弟を連れて行くという話をしていたのを

不意に聞いてしまい

自分は父にも母にも選ばれない存在なのだ。

自分は存在してはならない人間なのだ。

と強く心に刻み込んだ。

そこから罪悪感が根を張った。



おじさんが教えてくれた背中の場所。

そこは、年に数回猛烈な痛みが生じ

夜通しもがき苦しんでいた。


何かをしようとする時

心ではやりたいと言っているのにマインドが

「お前には無理だ!」

「どうせ失敗する!」

「お前はダメなのだ!」

と抑え込んでくる。


そして恐怖や不安に負け、諦めてきていた。



ちなみに、おじさんは数秘にも詳しく

私の数秘「4」は

コツコツ積み上げていく数字だと教えてくれたが

私はそれが苦手なのだと言うと

それもお見通しだった。


私の数秘4は3+1なので

3の自分で切り開いて行く力と

1のリーダーシップも強いと教えてくれた。



話は戻るが、私が抱えている罪悪感

自分ではこれもマインドの思考、

その思考を自分だと信じ込み

自らを檻に入れている。


そのことにも気付いているが

長い間持ち続けいる思考や観念は

身体に根を張り、体感として残り続ける。


自分で自分をヒーリングしていくこと。

これは私に与えられた

自らをのヒーリング能力を上げるテストなのだろう。


病気や試練は能力や才能を

思い出させてくれるギフト。



Who am I? 本当のわたしとは誰?

ここオーストラリアでは父の日の本日

父の日が6月だった私は13時間睡眠した。


小さい頃、変な時間に昼寝から目覚め

朝と夜を勘違いし

夕方にランドセルを背負って登校しようとして

何度も家族から爆笑されてた経験同様

完全に昼夜が混合してしまい

「私は日曜日を丸一日寝て過ごしたのか?

もう出勤なのか?」と焦りつつ二度寝までして

退職する同僚に贈る花を延々と選び続ける夢と

現実の狭間でうつらうつらしていたら

突然、己の思考の煩さに発狂しそうになった。


その思考やぼーっと観察していると

無意味な想念をノンストップで延々と繰り返している。

まるで壊れたラジカセのように

一つの思考が終わらないうちに

また次の思考が降り注いでくる。


そして、この思考を自分だと信じ

生きている自分に吐きそうになった。


夢の中でも延々と思考を繰り返していることにも

改めて気が付き、思考をしていない時間が無い

ということにも、はっきり気付かされた。


そこから瞑想をしてみたら

より一層、思考の煩さが鮮明で

喧騒の世界で生きてきていたことに呆然とした。


思考を今すぐに止めることは簡単ではないが

その思考に気付いているということは大事。

それに気付いている意識が本来のわたし。


マインドは思考で感情をも操ってくる。

感情や体感も本来のわたしではない。


Who am I? わたしとは誰?

本当のわたしに気付き続けよう。