3年前の金曜日 | 神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

還暦を過ぎて体にトラブルが出始めて、ランニングを楽しめなくなりました。近ごろはウォーキングに軸足を移して道内の神社仏閣を巡り、御朱印を拝受したり霊場巡礼を楽しんでいます。いつかは四国八十八ヶ所巡礼や熊野詣をすることが夢です。by おがまん@小笠原章仁

 今日は3年前の金曜日、本番2日前の日記を紹介します。


 実はこの日記、私は大好きなんです。小心者の私が、自分を鼓舞するために書いた日記ですが、今読んでも、うんうんと頷きながら読んでしまいます。


 もうここまできたら、じたばたしても始まりません。あとはいかに気持ちを乗せていくか。そして大会の雰囲気に溶け込むか。今さら自分の力を伸ばすことなどできません。あとはいかに自分の力を100%発揮できるように持っていくかです。


 そのために、なかなか役に立つ日記と、自分では思っています。


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 いよいよ明日は現地に向かって出発する。ここまでくればもう開き直って・・・といければ楽だが、全然開き直れない。今までの経験からして、スタートしてしまえばレースに集中して、開き直ることもできるだろうが、スタート前は緊張の極致となる。こういう緊張感を感じれるのも大舞台だからこそ、と開き直って(おや?)楽しむこととする。皆さん、明日はガチガチに固まったOgamanを見ることができますよ~(笑)。


 さて、好評のもとに(?)6月21日から続けてきた今日の一言のコーナー。最終回の今日はやはりこの人しかいないでしょう。


夜久さんとツーショット  夜久弘さん。言わずと知れたスポーツライターで、昨年見事にサロマンブルーを達成した。

 昨年の北海道マラソンでランマツ1号さんに紹介していただき、つくばマラソンでもお会いした。とはいえ言葉を少し交わし、ツーショットで写真を撮っていただいたというだけなのだが、サロマにエントリーした後に夜久さんの著書を読み、勝手に親近感を抱いている。


 最初に買った本が、「ウルトラマラソン 完走の幸せ リタイアの至福」。今年2月1日のOgamanの日記でも取り上げたのだが、この中の第2章のまとめとして書かれているこの言葉。これがすべてである。


 ぼくはウルトラマラソンにおいて完走するか否かにさほど重要な意味があるとは思っていない。また、そう発言もしてきた。けれどもこれには前提がある。スタートラインに立ったときには必ず完走する意志を持つことである。ときどき「行けるところまで行けばいい」と口にしているランナーに会うことがある。最初から完走の意志を持たないで走り出して、リタイアするのと、完走の意志を持ちながら途中で力尽きるのとでは比較にならないほどの差がある。これだけは肝に銘じてほしい。


 それまでもランナーズなどで夜久さんの書いたものを読み、心にビンビン響いてくると感じたのだが、ここを読んだときに私は鳥肌がたった。(大変夜久さんには失礼な言い方だが)夜久さんと私は同じ人種だった。走りに取り組む姿勢は一緒だった。


 かたやサブスリーランナーで、サロマンブルーの称号も手にした名ランナー。こちらはようやくサロマに初挑戦をするランナー。でも、気持ちの持ち方は一緒だった。このことは自分のランニングスタイルは間違っていないという自信にもなった。


 リタイアにはいろいろな理由があると思う。完走するつもりだけど途中で力尽きてしまうというのが最も多いことと思う。他にもトレーニングの一環として30kmまでと決めていたり、ちょっと異常を感じたときに次のレースのことも考えて早めにやめたり、いろいろなリタイアの理由はあるだろう。でも、最初から「行けるところまで行ければ」という気持ちで走るつもりは全くない。

 50kmを過ぎると80kmまでは関門が厳しくなる。しかも精神的に70km関門あたりはもっとも苦しいという話も聞く。だからなんとか70km関門まで行きたいという気持ちはある。しかしそれは、あくまでもゴールを目指すための途中経過に過ぎない。「行けるところまで行ければいい」という消極的目標設定とは全然違う。70km関門が厳しいと聞いているからこそ、ここからが本当のウルトラマラソンの始まりと気合いを入れ直すための目標設定である。スタートラインにつくからには、私はリタイアのことは一切考えない。頭に浮かぶのは、華々しくゴールテープを切る姿のみだ。


さあ皆さん。完走する意志



を持ってスタートラインに



つきましょう!