「八方美人」と言われてしまうあなたに。
皆様、こんにちは♪
今週はワタクシ、三枝の担当です
「八方美人」、という言葉があります。
「誰にでも愛想よく振舞う人」、という意味合いで使われることが多いですが、「私は全然そんなつもりはないのに、『八方美人』って言われてしまうことがあります」とか、「ついつい、誰にでもいい顔してしまう自分が嫌です」というご相談を受けることがあります。
皆様の中にも、ご自身がそういわれて嫌だったとか、逆に、周りににそういうタイプの人がいて、なんだか好きになれないなどということがあったりしませんか?
「誰にでも愛想よく振舞う人」、という意味合いで使われることが多いですが、「私は全然そんなつもりはないのに、『八方美人』って言われてしまうことがあります」とか、「ついつい、誰にでもいい顔してしまう自分が嫌です」というご相談を受けることがあります。
皆様の中にも、ご自身がそういわれて嫌だったとか、逆に、周りににそういうタイプの人がいて、なんだか好きになれないなどということがあったりしませんか?
私も高校生くらいのころ、父に「お前は八方美人だな」と言われたことがあり、ずっと心に残っています。
当時は両親が仲が悪く、よくケンカをしていた時で、私がそう言われたときには両親の間に入って、時々口を出したりしてしたからだと思うのですが、少なからずショックでしたね
でも、そう言ってもらえたことで、いろいろと気付くことがあったから、あれもいい経験だったと今は思えるようになりました。
当時は両親が仲が悪く、よくケンカをしていた時で、私がそう言われたときには両親の間に入って、時々口を出したりしてしたからだと思うのですが、少なからずショックでしたね
でも、そう言ってもらえたことで、いろいろと気付くことがあったから、あれもいい経験だったと今は思えるようになりました。
ちょっと脱線しましたが、「八方美人」はなぜ嫌われるのでしょうか?
それは「誰にでも愛想よく振舞う」ところにありそうです。
「愛想よく振舞う」というのは、「感じよい応対をする」ということで、それ自体は誰であっても嬉しいものだと思います。
ですから、問題はこの「誰にでも」というところなのかもしれませんね。
たとえどんな相手であっても、その人に対して「優しく」「感じよく接しよう」とすること自体は素晴らしいことです。
それが出来る人は、称賛されてもいいと私は思います。
それが出来る人は、称賛されてもいいと私は思います。
ただね、人には「感情」があるから、私たちは「『たとえ相手がどんな人であっても、いついかなる時も、絶対に怒らない』なんて不可能なんじゃないの?」って、そう思ってしまうようなのですね。
だとするなら、目の前の人が、たとえ心の中では「怒り」や「嫌悪」などを感じていても、表面的にはまるでその人に「好感」を抱いているかのように振舞っているように見えたとしたら、それに対して「不信感」や「不誠実さ」を感じることがあっても仕方ないことではないかと、私は思います。
実際、そう感じていらっしゃる人の殆どはとても優しい人で、人に対しても、自分に対しても「誠実」でありたいと心から願っている人なんですよね。
「誰に対しても誠実でありたい」と思うことは素晴らしいことです。
でも、それを自分だけに求めるのではなく、周りの人もそうあるべきだと思ってしまうと、八方美人的な人を嫌ってしまうことになります。
そしてその、嫌ってしまうようなことを、もしもご自分がしていたら、そんな自分も嫌いになってしまいますよね。
でも、それを自分だけに求めるのではなく、周りの人もそうあるべきだと思ってしまうと、八方美人的な人を嫌ってしまうことになります。
そしてその、嫌ってしまうようなことを、もしもご自分がしていたら、そんな自分も嫌いになってしまいますよね。
つまり、冒頭に書いたようなお悩みを抱える人の殆どは、人に対しても自分に対しても誠実でありたいという思いが強い、とても素敵な方なのですね。
ですから、そういう皆様に私がぜひ申し上げたいのは、「どうか、ご自身を嫌わないであげて下さい」ということなんです。
あなたはとても素敵な、本当に誠実な人であり、そしてあなたが苦しいのは、「たとえ相手がどんな人であっても、その人を尊重し、優しく接してあげたい」という願いを持っているからです。
「誠実でありたい」という願いと「優しくしてあげたい」という願いは並列可能ですが、でも、目の前の相手をあなた自身が「好きになれない」「愛せない」と感じているときに、この二つがケンカしてしまい、苦しくなってしまうのだと私は思います。
相手を嫌っているのに、まるで好きであるかのように振舞う、というのはご自身にも目の前の人にも「嘘を吐いている」ことに外なりませんから。
でも、あなたが「誰をも傷つけたくない」と願う気持ちは、とても美しいものです。
ご自身に嘘を吐いてまで、自分が傷ついたのと同じ痛みを他の人にも与えたくない、と思うあなたを優しくないなんて思う人はいないはずですよね。
ただ、自分に嘘を吐き続けてまで目の前の人を優先することは「犠牲」であり、「犠牲」し続けているといずれ私たちは必ず、自分を抑えきれず爆発したり、心身を損なってしまうことになります。
ですからそうなる前に、やはりご自身を優先出来るようになることは必要なのだと私は思うのですね。
ご自身に嘘を吐いてまで、自分が傷ついたのと同じ痛みを他の人にも与えたくない、と思うあなたを優しくないなんて思う人はいないはずですよね。
ただ、自分に嘘を吐き続けてまで目の前の人を優先することは「犠牲」であり、「犠牲」し続けているといずれ私たちは必ず、自分を抑えきれず爆発したり、心身を損なってしまうことになります。
ですからそうなる前に、やはりご自身を優先出来るようになることは必要なのだと私は思うのですね。
また、私自身の経験で言うと、私が両親の間で「八方美人」になっていたのは、その都度目の前にいる父と母、双方の言葉を真剣に聴いていたからです。
父の言葉を聴いているときには、「そうだよね、お父さんの言う通りだよね。それはお母さんのほうが悪い」と思い、そこで父の想いを伝えようと母の前に行けば、母からは愚痴を聴かされて、「そうなんだ、ならお父さんがもうちょっとお母さんの気持ちを分かってあげないと、うまくいくわけがないよ」と考えが変わります
私はお互いにうまく話し合いが出来ない両親を取り持とうとしていたけれど、両親はそれぞれ、自分たちの目から見た、それぞれにとっての「真実」を、それぞれの言い方で、私に訴えるわけです。
「真実」は一つしかないと思っていた当時の私は、その都度混乱し、翻弄されて、それでもなんとか両親の役に立とうとして、挙句にどちらにとっても「不誠実な娘」になってしまっていたのです。
まるでイソップ童話の蝙蝠のように
今ではいい笑い話ですけれど、これはちょっと悲しいことかもしれませんね。
他人に対して誠実であろうとすることは素晴らしいことです。
でも、人はそれぞれ異なるものの見方や考え方をするもので、その都度、自分が相手に合わせようとするなら、軸が無くなってしまい、結局のところ相手に対しても不誠実になってしまいます。
でも、人はそれぞれ異なるものの見方や考え方をするもので、その都度、自分が相手に合わせようとするなら、軸が無くなってしまい、結局のところ相手に対しても不誠実になってしまいます。
そんな風になってしまって苦しむより、まずは自分に対して誠実である方が――、自分自身の軸をしっかりと持ち、どんな時も「私はこう思うけど、あなたはそう思うのね」と、お互いの違いを尊重することこそが、結果的に相手に対しても誠実になれる第一歩なのではないでしょうか。
ただ、長年相手に合わせ過ぎて、自分が分からないと感じてしまう方もきっといらっしゃると思います。
そういう場合はまず、じっくり、ゆっくりと、ご自身を見つめることから始めていきましょうね。
そして、もしそれが一人では難しいと感じられる場合は、私たちカウンセラーを使ってみてくださいね。
そういう場合はまず、じっくり、ゆっくりと、ご自身を見つめることから始めていきましょうね。
そして、もしそれが一人では難しいと感じられる場合は、私たちカウンセラーを使ってみてくださいね。
三枝 みきがゲスト参加する講座のご案内です
今回のこの記事でも書かせていただいた、「自分分自身の軸をしっかりと持ち、どんな時も、お互いを尊重し、自分に対しても相手に対しても誠実でいられる自分」になるための講座が来月、4月15日の土曜日に東京三田で開催されます♪
『思いやりのココロを身につける ~相手を思いやる・あなた自身も思いやる』
講 師:土肥 幸司
日 時:4/15(土)18:30~20:30
会 場:三田・機械工具会館 3F 第1会議室 (→アクセス)
料 金:¥3,240-(税込)
ゲスト :大野 愛子、三枝 みき、やなぎ あこ(50音順)
講座の内容についてはこちらをご覧くださいね♪→詳細
皆様お誘いあわせの上、ご参加くださいね。
当日ご一緒できるのを、楽しみにしております(*^-^*)
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