「自分は、なんのために生きているのか」 | 写真家yukko*のVIVIDにゅ~す!

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写真家でファッションコンサルタントのyukko*です。

わたしは、人は幸せでいるために生きていると思っています。
お洋服や写真を通じて自分を見つけ、あなたの幸せをVIVID(イキイキと鮮やかに)に生きようぜ♪

誰でも一度くらいは、うっすらとくらいは

この疑問って持ったことあるのではないでしょうか。

 

自分っていう存在に生まれた意味とかあるんだろうか?

と。

 

それって、自分って価値があるんだろか、

みたいな問いにも繋がりますよね。

 

だけど、いまの世の中ってみんなが忙しすぎて、

そんな問いにいちいち立ち止まってなんていられない、って空気があって。

 

とりあえず目の前のやらなければならないことをやらなければ、と

そこだけを見て、

 

そして周りを見渡して、他人がしていることをみて

みんな同じようにがんばってるんだから

とりあえずやらなくちゃ、みたいな気持ちになる。

 

まさに昔の自分がそうでした。

 

私は昔、北海道庁に勤めていたのですが、

そこで「やらなければいけないこと」の量の多さに

最初、圧倒されました。

 

これがあなたの仕事ですよ、と渡されたものがあって

その当時の若い自分にとっては果てしないもので、どこでやめていいのか

定時で帰っていいのか

周りを見渡してもまだみんな仕事をしているし・・・

 

というような状態。

 

よく、お役所って定時で帰れていいね、って思われることも多いんですが

自分がいた部署はそんな人があまりいなかったです。

 

とりあえず空気を読んで、周りに気を遣って

なんとなくさわりがないように・・・と行動しているうちに

いつしか残業が当たり前になっていました。

 

ある組織に入って仕事をしていたことで

今思えばそこの空気に染まっていったわけですが、

 

その中で、自分という人間の価値は

 

「自分という存在」ではなくて

自分が何をやれたか、どれだけできたか

 

ということになってしまっていました。

 

主体が自分という人間ではなくて、

「やったこと」。

 

これでは、誰がやっても同じで、

ただやれた量や質だけが問われることになる。

 

そうなるとつまり、

周りが期待することをできない場合には、

 

できないイコール=「価値がない」

 

となってしまう。

 

私の職場だけではなくて、

なんとなく日本全体にこの空気があるような気がします。

 

「使えないやつ」

っていうフレーズ、聞いたことありますよね。

 

それがまさにこの空気感を表していると思います。

 

最近でこそ、

みんな違って、みんないい

 

という空気があるけれども

 

それも、ある程度周りの人と同じくらいのことができて初めて

ある程度個性があっていいんじゃないの、と

捉えている人が多いように感じています。

 

特に、大きな組織ではその色が濃いし、

その空気の中にいると自分自身までがそう思い込んでしまう危険性がありました。

 

ところが、それがある日覆ったのです。

 

それは、自分自身がある日、その

「使えないやつ」になったからでした。

 

(続きます)

 

 

まだ何もわからずに社会人をしていた頃の若い自分。

この頃の自分に今の自分が何かを言ってあげられるとしたら、

 

あなたは「できる人」でも「できない人」でもないよ。

周りがどう思おうと、良いも悪いもないし、

できないことも感じることも、自分なりで構わない。

 

って言うと思うけど、

当時の自分、理解できるかなあ・・・笑。