blogを書けと言われたので「天津日子根命」の話。
blogを書けと言われたので「天津日子根命」の話です。
さて、天津日子根命。
アマツヒコネノミコト と読みます。
天津は美称で、日子は彦か日御子のようです。と言うことは男性神なのですね。
根は親愛の尊称・美称です。
ストレートに取ると「天津神の親愛なる日御子の命」っていうところでしょうか。
天津日子根命とは。
天照大御神と建速須佐之男命との誓約(ウケヒ。誓約の儀式)においてお生まれになった神様です。このときの誓約ですが、建速須佐之男命が天照大御神に対し「私は邪な心を持ち高天原へやって来たのではない。その証明として誓約をしよう」と持ちかけたことに端を発します。
そしてその誓約で〈天照大御神がカヅラに着けていた珠を、建速須佐之男命が噛み砕きお産みになった〉のが、天津日子根命です。このときは全部で五柱の男性神を建速須佐之男命はお産みになりました。で、その三番目が天津日子根命になるのですね。
天津日子根命は凡川内国造・額田部湯坐連・茨木国造・倭田中直・山代国造・馬来田国造・道尻岐閉国造・周芳国造・倭淹知造・高市県主・蒲生稲寸・三枝部造らの祖である、とされています。それぞれの後ろにつくの国造ですが、くにつくりのみやつこ、と読みます。これは古代世襲で国を治めていた豪族に与えられたもの。また県主(あがたぬし)稲寸(いなき)、連(むらじ)、直(あたい・あたえ)など他の姓も見えますねー。
天津日子根命は。どのような神様なの?
何故天津日子根命が気になったのか。
「台風大国日本に、台風の神様っているのだろうか」。
そんな疑問から調べていくと、天津日子根命の名が出てきたことに起因します。
ん? なんで台風? と当然思いますよね。
調べても古事記にはそこまでハッキリ出てこないんです。
お名前から読み取れるのは「彦(ヒメヒコ制からでしょう)」か「日御子」で太陽に関係する、というくらいで、他は尊称や美称のみであり、明確は性格などは記されていません。
ただ、前述のように古代有力氏族の祖とされていますから、それら氏族が信奉する神々の集合した存在、という解釈もあるようです。天津日子根命はそれぞれの氏族の産土神である、と。
だからこそ天照大御神の御子という、よい待遇で登場なのでしょうね。
それでも、どのような神様かよく分からない、というのが実情です。
じゃあ何故、台風の神様になったのか。
答えは多度神社にあった?
天津日子根命を主祭神とする神社さんがあります。
三重県の多度山にご鎮座している、多度大社(神社)です。
多度大社は、延喜式内の名神大社(名神を祀る神社。簡単に説明すれば、名神とは創祀が古く霊験すぐれた神で、名神祭の対象となる。名神大社とは、この名神を祀る神社である。古代における、社格のひとつ)であるようです。
そして祭神である天津日子根命は、水神・農耕神としての信仰を集めている、と。
多度大社は雨乞い神事で有名です。同時に主祭神の天津日子根命も雨の神様とされているようですね。だから水神・農耕神に繋がるのでしょう。
因みに多度大社の別宮は一目連神社でして、そこには天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)が祭神とされています。
天目一箇神は片眼の製鉄・鍛冶神です(製鉄や鍛冶神は片眼の神が多いのです。それは製鉄の際に片眼で火の色を見るため、その目をダメにしてしまうことから、とか。よって一つ目の異形・神霊・精霊・妖怪などは製鉄や鍛冶に関連した存在と言われます)。
もちろん製鉄や鍛冶に水はつきものです。
だからこそ、水の神・雨の神として天津日子根命と併せて多度神社へ祀られている……と考えられる訳ですね(ただ、他に淤母陀琉神、阿夜訶志古泥神、二柱の神も祭られているんですよね。多度神社。もしかすると……という予想はしていますが、ここでは割愛)。
しかしこれだけでは台風に繋がらない。
一目連神社?
そこでもう一度、天目一箇神が祀られている「一目連神社」に注目しましょう。
気になる名前ですよね。一目連。
いちもくれん、ひとつめのむらじ、と読みます(むらじ=連。姓)。
一目連は、片眼の龍神とされています。
天候・風を司る神で、江戸時代には「伊勢湾での海難防止の祈願と雨乞い」で民衆の信仰を集めていた、とされます。
因みに柳田国男曰く「伊勢湾を航行する船乗りが天候の変化を見るのに適したのが多度山であったのだろう」。
だからこそ多度山に多度大社と天津日子根命がご鎮座しているのでしょう。
更に天候と風を司る神を祀る一目連神社を別宮として置いた。或いは一目連神社の原型であった古代信仰の神を祀っていたが、後に天津日子根命を……なんて考えたりして。
ん? しかし一つ目の龍で風。……台風?
ははあ。なるほど。予想通りかも知れないなぁ。
台風 天津日子根命で検索すると「天津日子根命は台風の神様」と出てきたことは書きましたが、ここで繋がった感じがします。
でも、古事記だとそういう感じではないんですけどね。
とはいえ時代と共にいろいろなことと結びつき、崇敬を集めるのも日本の神様です。
〈天津日子根命は、雨・風・台風、そして製鉄や鍛冶などの神様である〉
ということで。
おっと。個人的にですが、元々多度大社は自然信仰・祭祀から始まっていると考えています。多度山をご神体とした、或いは山頂に祭祀場所があったところから始まった、と。
山岳信仰(神奈備。御霊代などへの信仰)に加え、船乗り達の信仰が合体し、後に変化していったのではないでしょうか。
現在も行われている多度祭は南北朝時代かららしい(社記散逸のため、定かではない)ので、原初の祭祀からの変化だった可能性があります。この多度祭は流鏑馬など馬に纏わる神事が行われますが、これは南北朝時代の武家が始めたからこそ、かも知れませんね。
そう考えると、多度山では元々どんな祭祀をしていたのか。やはり、天候と鍛冶(かぬち)へ繋がる何かがあったのかも……。
台風と日本。
夏から秋にかけて、日本にはよく台風がやって来ます。
危険な気象現象ですが、同時に自然の理として必要な災害でもある側面があるのは否めません。だから、人間は自然現象を受け入れ、上手く付き合うしかないのです。
日本の神話や祭事を見ていくと、如何にして自然を敬い、どう付き合うかが良く現れていると思います。
台風は怖いです。
何も被害が出ないことが一番です。
だからこそ、人は天津日子根命を始めとした自然現象の神に願います。
……ん? 考えてみたら建速須佐之男命って嵐の神様だったような。
嵐の神が珠を噛み砕いてお産まれになったのが、雨の神・天津日子根命。
なるほど。そういう側面もあるのですね。
ともかく、台風被害がないよう、祈りましょう。