ボクらの少年時代「エロ本山」 | 小椋聡@カバ丸クリエイティブ工房

小椋聡@カバ丸クリエイティブ工房

兵庫県の田舎で、茅葺きトタン引きの古民家でデザイナー&イラストレーターとして生活しています。
自宅兼事務所の「古民家空間 kotonoha」は、雑貨屋、民泊、シェアキッチン、レンタルスペースとしても活用しています。

僕らの遊び場だった公園のとなりに、なぜかたくさんエロ本が落ちている小高い丘があって、「エロ本山」と呼ばれていました。当時は、そういった本が落ちている場所がところどころにあったような気がします。何故でしょう!?(目立つので記憶に残っていただけなのかもしれませんが)。


その存在の前と後で世界の在り方を根底から大きく変えたのは、やはりインターネットだと思います。僕らの子供の頃には当然インターネットもパソコンもありませんでした。僕が初めてアップル・コンピュータを手に入れたのは大学生の頃で、ダイヤルアップのモデムでメールを送ったりし始めたのは、たぶん26、7歳のときだったのではないかと思います。パソコン通信などで特定のマニアはもっと早くから使っていたと思いますが、一般家庭にあったのは、せいぜい「書院」などのワープロぐらい。僕が27〜30歳頃の間に、家庭で使ういわゆるパソコンというものの性能とネット環境が恐ろしく整備され、ピーガ〜、ピロピロ〜と鳴って電話回線で接続し、通信費を気にしながら使っていたネット環境から、30代半ば頃までにはネットへの常時接続というのが当たり前になっていたように思います。


個人で写真を手に入れようと思っても、小学生当時はデジカメもありませんしカラーコピー機もありませんでしたので(モノクロコピーですら珍しかったので、学校のプリントはわら半紙にガリ版印刷でした)、写真=雑誌そのものを手に入れるか、生写真と言われる写真屋さんで現像したものしかありませんでした。なので、エロ本山のエロ本は子供たちにとってはものすごく珍しいものだったのです。


今や、ネット上にエロ画像なんて掃いて捨てるほどありますが、当時はエロ画像どころかアイドルや映画俳優などの画像を見るのは、紙媒体かテレビしかありませんでした。見てはいけないと言われると見たくなるし、やってはいけないと言われるとやりたくなるのが子供なので、性の意味もよく分からないまま珍しいモノ見たさにワイワイ言っていた時期です。小学校の授業でも女子だけの授業というのがあったり、いったいその授業ではどんな話がされているのか…というのも興味津々。今のようにネットで調べたら何でも出てくる時代ではありませんでしたので、異性というものは子供ながらに謎に包まれた神秘的な存在でした。


自分はすでに50歳を超えるおっさんになってしまっていて、時代が便利になってくる過程を経験してきた立場なので今の子供たちが現代の環境をどのようにとらえているのかは分かりませんが、あまりにも簡単に情報が手に入るようになると、神秘的どころか、もううんざりでありがたみも無い…という感覚になるのは容易に想像ができます。


YouTubeで何でもタダで音楽が聞けるようになると、宝物のように大切だった1枚のアルバムの価値も無いし、便利さの裏側で失くしてしまった感覚がたくさんあるなという気がしています。