驚きの経歴を持つ工藤さんのご登場です!
ラジオ de おふチョ
今日の仕事も一段落。ホッと一息、おふチョでリフレッシュ。
2011年8月31日放送音源公開!
FM79.7MHz
京都三条ラジオカフェにて毎週水曜日17:30-17:54放送。
今日の仕事も一段落する黄昏時(トワイライト)に
人と人がふれあいを求めてやってくる…、
そんな“場”を提供したいと思います。
◇出演: 一丁噛(いっちょかみ)メンバーズ
パーソナリティ:米田 明 / アシスタント:武村 眞里
◇ゲスト:工藤健治さん
「ヨネ・ジン・ミャック」
よねさんの人脈の中から多彩なゲスト様にお越し頂いて
その活動の紹介やエピソードなどを楽しくトークをするコーナー。
本日のゲストは
工藤健治さんにお越し頂きました。
生おふチョによく行かれている工藤さんは
祇園のお店でよねさんと出会ったそうなんです。
なんでもそこのママがすごい綺麗でよねさんお気に入りだとか(笑)
工藤さんのご実家は岩手で震災の時にご家族は新潟に住まれていて
ご無事だったとのことですが家が流されたそうなんです。
その岩手には高校卒業まで居られそこからは
海上自衛隊に入られ二年半経ち、飛行機に乗られないということから
辞めて京都に行き、「ちょっと大学へ行きたい」ということで
京都大学に入られたそうですが今は休学中で13年目だということです。
しかもご結婚もされているそうなんです!
様々なご経験をされている工藤さんは
現在竹林ボランティアに力を入れておられ
将来的には放置竹林をを使い発電所を作りたいと話しておられました!
■放送音源はこちらからどうぞ!↓↓↓
*著作権の関係により音源はカットしております。
↓をポチッと押して頂くと放送音源を聴くことができます。
「よねほうだい」
よねさんの日頃思っていることや考えていることなどを
独断と偏見で語ってもらおうというコーナー
今週は「民主党代表選を終えて今後について」!
余り目立つ存在ではまかった
野田さんに決まった代表選ですが
よねさんの考えは如何に?
民主党政権が生まれちょうど2年。
代表が代わって3人目になり、毎年代わっていく
日本の政治はどこへ向かうのでしょうか?
そして後半はよねさんが講師を務めるセミナーのお知らせです!
「起業家セミナー」
平成23年度起業家セミナー受講生募集案内【受講料 無料】
開催日時:10月15日(土)(第1回)~11月26日(土)(第7回)
毎週土曜日(7日間)
午前10時~午後5時
第1回・第7回 交流会 午後5時30分~午後7時
詳しくは下記をご覧下さい
お申し込み・お問合せ先
(※先着40名となっておりますのでお申し込みはお早めに)
■公益財団法人京都産業21
連携推進部 産学公・ベンチャー支援グループ
住所:〒600-8813 京都市下京区中堂寺南町134番地
TEL:075-315-9425
FAX:075-314-4720
Mail:sangaku@ki21.jp
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■9月度おふチョ開催案内
◆開催日時 9月7日(水) 18:30~22:00頃
□第1部 18:30~20:30頃
・参加者の自己紹介・近況報告
・スピーカーからのスピーチ
・質疑応答
・諸連絡など
□第2部 20:30頃~22:00頃
・交流懇親会
◆参加費
□第1部のみ 500円
□第2部のみ 3,500円
■第1部+第2部 4,000円
◆開催会場 ミュンヘン
(四条河原町上ル一筋目東入ル)
■第1部(18:30~20:30頃)
◇自己紹介/近況報告(18:30~19:00)
◇交流スピーチ(19:00~20:00)
スピーカー 大原 千心 さん
スピーカーの横顔
2003年 3月 龍谷大学文学部仏教学科 卒業
浄土真宗本願寺派得度 僧侶・住職
2006年 3月 京都中央看護専門学校 卒業
2008年 3月 熊本機能病院退職
2008年 4月~現在
Japan Heart 活動参加
ミャンマー ワッチェ病院
島根県 隠岐の島 島前病院
山梨県 牧丘病院
カンボジア プロジェクト運営
2011年4月~現在 帝京大学院 公衆衛生学研究科 入学
テーマ 「人と人がつながる援助」
・はじめに 自己紹介
・世界の流れ 援助スタイルが変化
・これまでとこれからの援助支援とお金について
・格差にフォーカス グラフ
・ソーシャルネットワークと多職種との連携
・JapanHeart活動紹介
・究極ボランティアを経験して
◇質疑応答&PRタイム(20:00~20:20)
◇会務報告/連絡など(20:20~20:30)
■第2部(20:30頃~22:00頃)
◇交流懇親会
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現在「ラジオ de おふチョ」では生放送時に
Ustreamから放送をご覧頂けます。
毎週水曜日の17時30分からは以下のサイトに
アクセスして頂ければ声だけでなくよねさんとまりちゃん、
ゲストの方を見ながら放送を楽しんで頂けます。
次回の放送は9月7日です。
制作スタッフ村山
7/13に出ていただいた五十田 光宏さんから、長文のレスをいただきました。その(3)
ハンディーを乗り越えてのお仕事。頭が上がりません。
東京で支店長までいかれていた所からの病気。精神的にも負担だったのではないでしょうか。
冷静に次の仕事を選ばれているのもすごいなーと思いました。
私なら自暴自棄になっていると思います。よねさんのパワーを吸って頑張って下さいね。笑。
パリスさん
パリスさん、お便りありがとうございます。
メッセージをいただき、感激いたしました。
私が自暴自棄にならなかったのは、まわりの人たちのささえがあったからだと思います。
主治医の先生、リハビリの療法士の先生、友人、会社関係の方たち、取引先の方たち、家族・親戚の人達が、私の復帰を何の信じていただいていたことで、前向きにリハビリを行うためのパワーが2倍、3倍にも増幅されたのだと思います。
【数年前に、肺がんで亡くなった後輩の存在】
とはいえ、最初の1ヶ月の一番苦しい時期には、不安なこともありました。その時に精神的な支えとなったのは、「数年前に、肺がんで亡くなった後輩の存在(私の心の中の存在)」でした。
その後輩の闘病中に、後輩がガン治療にための抗生物質の薬の副作用でまいっていた時に、後輩の苦しさも考えずに、「前向きになれ」「こんなのことで弱気になるな」と激励していました。
いざ自分が倒れた時に、はじめてあの時の後輩の気持ちを少しだけわかったような気がしました。
そして、不安になった時には、後輩の顔を思い出し「生死をかけてガンと戦っていた後輩に、あれだけ立派なことをいった限りは、命を保証させれいる自分が、これくらいで弱気になってはいけない」と、繰り返し言い聞かせ、不安を追い払いました。
私の心の中にある「亡くなった後輩の存在」が、精神的なぐらつきを押さえてくれていたのだとおもいます。
ハンディーを持たれて感じたことはありますか?
私たちにできることがあればと
考えています。
キティーさん
キティーさん、
「ハンディーを持たれて感じたことはありますか?私たちにできることがあれば」とおっしゃって下さり、ほんとうにありがとうございます。
少し長くなりますが、次の二つを考えていただければと思います。
障がい者全体についてのことです。
① さまざまな障がいについて知り、そのことをまわりの人たちに伝える
私も、自分が障がい者になったことがきっかけで、いろんな障がいを抱えている方がいて、社会生活に不安をもたれていることを知りました。
(私のような)身体障害や言語障害のように、外見や動作ですぐにわかる障害だけでなく、発達障害や統合失調症のように、見た目ではわからないような障害あることを知りました。
そのような障害をもたれている方について、ある場面においての人とのコミュニケーションが、うまくできないことで、ご家族も含めて苦しんでおられることを知りました。
(外見が五体満足であるゆえ、逆にコミュニケーションができないことで、このような障害があることを知らない人に、「おかしい人」、「だめな人」というような偏見のレッテルを貼られるケースがあるようです)
私は、私自身も含めて、積極的に障害のことを知り、その人が得た障害についての知識をまわりの人に話すことで、そのような偏見をもつ人を少しでも減らせると考えはじめました。
キティさん
いろんな障害についての知識を持たれ、キティさんのまわりの人にお話されることを、ご検討くださいね!
そうすることで、社会からの偏見が少しでも減り、優しい社会になると思います。
私は障がいについて知るために、下記の番組を見ています。
NHK教育テレビ(Eテレビ)福祉チャンネル
月~金 20:00~20:29(再放送 翌週12:00~12:29)
*おすすめは金曜日、「キラッといきる」です。
(2)「お手伝いできることは?まずは「お手伝いできることは、なにかありますか?」を」
障がい者は、障害の種類、程度によってお手伝いすることが多種多様になります。また、同じ障害であっても、その人の精神状態によってケアすることが違ってきます。
もし障害者の方にお会いして、お手伝いしようと思われたら、まずは「お手伝いできることは、なにかありますか?」をお聞きくださるほうが良いのではないかと思います。
(障害を持っている方にマッチしたお手伝いができると思います)
また、その返事で「手伝いは、何もいらない」という言葉が返ってきても、落ち込まないでくださいね。そのような方は、自立しようと頑張っておられる方なので、「何もしないこと」「見守ること」がお手伝いであるとご理解ください。
(障がい者は外にでたときは余裕がないため、無愛想な返事になることもあります。それも気を悪くなさらないでくださいね)
「お手伝いが必要のない障がい者」にとっても、声をかけていただいたことは、障がい者に関心を持つ方が目の前にいるということだけで、大変嬉しく、勇気がわいてくるものであります(私がそうでした)。
できる範囲で構いませんので、障がい者の方に、「お手伝いできることは、なにかありますか?」をお聞きくださればと思います。
中小企業の見えないよさ。知的予算とは具体的にどんなことでしょうか。
教えて下さい!!
中村さん
中村さん、お便りありがとうございます。
知的資産とは、財務諸表等の数字では表せない「企業の目に見えない強み」の源泉を表したものです。
一般的に企業経営で評価される資産は、お金(資金)、設備、不動産等の「目に見えて、なおかつお金で評価されるもの」が中心であります。
しかし、企業の存在理由にかかわる「お客様の評価」や「競争相手にたいする優位性」について、お金(資金)、設備、不動産等ではなく、「技術、技術を活用する従業員、従業員のモチベーション、会社の仕組み」等の“目に見えない強み”が、一番のポイントとなっています。
けれども、この目に見えない強みは、お金で換算できずに、さらには決算書でも表れてこないので、銀行の融資基準等で評価されていない現実があります。
日本の大多数をしめる中小企業(事業所数で約99.7%)は、資金や不動産のように目に見えるものではなく、これらの目に見えない強みで支えられています。
経済産業省は、日本の中小企業の発展のために、数年前から、知的資産経営に着目し、支援し始めました。
具体的には、「中小企業の目に見えない強みが、どのようにその会社の利益を生み出しているのか」を体系化した報告書「知的資産経営報告書」の作成支援の推進に取り組みはじめています。
京都府では、「知恵の経営報告書」として、知的資産経営推進を全国でも先行して取りくんでいます。
京都府の知恵の経営認定企業においては、すでに京都府からの融資が受けられるようになっています。
よねさんまりちゃん聞いています!ゲストさんの話、元気が出ました!!今日の話を胸に頑張りたいです。一つ気になるんですが、看護婦さんに人気だった髪型とは??笑。
真弓さん
真弓さん、ありがとうございます。
*チョコさんの回答と同じです。
スキンヘッドに加えてヒゲをはやしていました。
(現在と比べて、ワイルドでした)
倒れた当時の14年前は、ヒゲとスキンヘッドは、まだ大阪では少ないような状況で、東京でも「当時はマイナーであったヒップホップ系のアーティストと。とある業界の人たち」がしてるぐらいでした。
入院中の私のファッションがストリート系だったこともあり、20歳前後の看護実習生の学生さんには受けたのだと思います。
もし、「坊主頭が普通のであるお坊さんが多い京都の病院」に入院していたら、話題になることにはならなかったかのしれませんね。
よねさんは元気ですが、常に病気とは隣り合わせなんだなーということを思い知らされた去年。おかしいなーと思いつつほっておいた腰の異物感。
大きくなり不安を覚え、病院へ。悪性ではなかったものの、
腫瘍は5センチに。摘出しました。大好きな食事も制限ができ、体力も落ちました。
仕事も辞め、引きこもりでしたが、最近ようやく外に出なきゃ。と思い始めました。
ゲストさんのお話は私にとってはヒーロー物語な程すごい話でしたが、勇気を貰いました。
よねさんのパワーを吸って、私も歩いていきたいです。
ラジオ花子さん
ラジオ花子さん、お便りありがとうございます。
腫瘍が悪性でなくて、ほんとうに幸いでしたね。
ところで、私の経験は、ヒーロー物語ではないですよ。
私も、一時引きこもりになりかけたことがあります。
(身体的な健康とは関係ありませんが、心の健康状態の狂いで、そのような状態に陥りました)
それは、約10年前(社会復帰後)にある会社の再建を引き受けて、その会社再建が失敗した後のことです。
失敗した結果、規模の縮小をせざる得なくなり、甘い言葉で誘った従業員を次々と退職に追い込まなくてはならなくなりました(30人以上の方を解雇しました)。
従業員の解雇が一段落した後、新しい経営陣となり、私の役割も一段落したことで、約半年後に退社しました。
退社した後、なんの肩書きもなくなった後には、
「従業員を甘い言葉で引き込み、経営状態が悪くなったら、手のひらを返したように退社に追い込んだこと」だけが心の中に残り、深い自責の念と負い目がわき上がってきました。
それに加えて、会社再建の失敗は実質的には会社を倒産させたと同じなので、仕事の上でも自信がなくなりました。
自分の中で「会社を実質つぶしているのに、何事もなかったような顔をして、業界の人たちの前に出ることが許されないのではないか?」という思いが強くなりました。
そして「仕事関係における自分の名前を抹殺しよう」とも考えはじめました。
この状態から2、3月たち精神的に落ち着いてきたときに、「この状態のままではだめだ」「何か次の行動を起こさねば」と思えるようになりました。
しかし、自責の念と負い目を引きずっていたため、次の行動をパワーをもって起こすためには、「仕事への自信を取り戻すきっかけ」が必要であると思いました。
そこで、“難関試験”で私の課題の“経営全般の知識”が求められる「中小企業診断士」の資格にチャレンジしようと考えました。
振り返ると、引きこもりがきっかけで、中小企業診断士の道に進めたのだと思います。
この経験をつうじて、「人は、谷を下るからこそこそ、新しい峰を発見できる」ということを、実感できたのだと思います。
よねさん元気元気ですね!
この8月に孫が出来ます。楽しみで、少しでも若いお爺ちゃんでいようと毎朝ウォーキングしています。ゲストさん、大変でしたね。でもお声がとても充実されている声だったので安心しました。伊丹からお越しということで。。その行動力すごいです。おふちょの方も魅力的ですね!ラジオから生身の世界へ。
行ってみようかな。。
青木さん
青木さん、お便りありがとうございます。
「 ゲストさん、大変でしたね。でもお声がとても充実されている声だったので安心しました。」というメッセージに、大変勇気づけられました。
青木さんもお時間がありましたら、生身のおふチョへもいらしてくださいね!
7/13に出ていただいた五十田 光宏さんから、長文のレスをいただきました。その(2)
はぁーー。と落ち込んでいたらこのラジオ。ゲストさんがまた新たな道を進まれている話に、
しかも、以前の仕事に未練などない。という様に明るく楽しかった。とコメントされていることに、すごい精神力だな。と思いました。病気とどう向きあってこられたんですか?
祐介さん
裕介さん、お便りありがとうございました。
祐介さんからの「すごい精神力だな。」という言葉に感激しております。
〇「病気とどう向きあってこられたんですか?」について
実は、病院に入院していたときには、病気について考える余裕もなく、毎日のリハビリで精一杯で、一日が終わったら疲れてバタンキューの状態でした。そのような状態だったからこそ、逆に前向きに向かうことができたのだと思います。
ただ、その原動力になったのは、「回復してやる」といった目標(執念)みたいなものがあったのだと思います。
*倒れた時の私は「次の10年間の人生のスパンが見えてきたときであった」ので、「障害を克服し、なんとしてもビジネスの世界に復帰する!」というような執念のようなものがありました。
それに加えて、病院で出会った人たちや私のまわりの人たちが、ポジティブな影響をあたえてくれる環境にあったからこそ、病気を前向きにに捉えることができたのだと思います。
【病院で出会った人達の支えで、病気に前向きに向かうことができた】
救急病院では、主治医の先生、看護士さん、療法士の先生の方々が最初の寝たきりの一ヶ月におけるリハビリや息抜きをなさってくれました。
リハビリ病院では、主治医の先生、看護士さん、言語・作業・身体療法士の先生、病院の職員の方々が、明るい雰囲気と私たち障がい者のプライドを大切にした応対、リハビリを行っていただきました。
(とくにプライドを尊重して頂けたのは、大きなパワーになりました)
さらに入院中が楽しく、入院生活を前向きにに送ることができたのは、患者仲間の存在があったからです。
患者仲間とは、障害の内容、年齢、性別、肩書きに関係なく、裸のな関係でつきあうことができました(10年たったいまでも交流があります)。
学生時代のような気持ちになり、人生の中間点(当時は41、2歳)での精神的なリフレッシュできていたのだとおもいます。
【まわりの人達の支えで、病気に前向きに向かうことができた】
また、会社関係の人達、友達、家族といったまわりの人たちの対応も私にパワーをあたえてくれました。
まわりの人たちは、入院中の私に決して「頑張れ!」とはいいませんでした。
それより、私のリハビリでのわずかながらの回復に気づくと、「さすがやなー」、「やっぱり”いそだ”は違う、すごい」などとおだてて、勇気づけてくれました。
【会社が希望を与えてくれたことで、病気に前向きに向かうことができた】
最後に、私が「病気に対して前向きに捉えることができたことの最大の理由」は、会社の役員の方々が「私の回復を信じて、復帰後のポジションを用意してくれた」ことです。
365日仕事中心であった私にとっては、このことが回復への目標、仕事でのプライドを支えてくれたのだとおもいます。
【まわりの環境が6割、自分の頑張りが4割】
以前は、回復できた理由について、「自分の頑張りが9割、環境が1割」と思っていましたが、祐介さんのご質問を考えると、私の場合「環境が6割、自分の頑張りが4割」であったのでないかと痛感しました。
祐介さん、気づきの機会をくださりありがとうございました。
よねさんまりさんゲストさん、私のパワースポットラジオでおふちょ!いつもありがとうございます。中小企業診断士。
そんな資格があることも知らなかった私ですが、このラジオと出会い、いろんな世界を聞いています。普段は主婦業で、このような刺激的な出会いはなかなかありませんが、主人や働いている人が少し羨ましくなりました。人の出会いは財産と言いますが、本当ですね。おふちょの会は気がひけますが、ラジオは聞いていきたいです。
芳子さん
芳子さん、ありがとうございます。
ラジオでの出会いも大きいですよね!
私が京都三条ラジオカフェを聞くようになったきっかけは、リアルおふチョでの出会いでした。リアルおふチョで、京都三条ラジオカフェで番組を持っておられる方、プロデューサーの方などとの名刺交換を通じて、ボンズカフェ、ドリームシップ、建築カフェ、などの番組を聞くようになりました。
私は、ラジオを聞くことを通じて、「老若男女問わず、普通に社会に暮らしている方々のお仕事、夢、活動」などを垣間見ることができました。さまざまな方々の人生に接することになり、少しだけ視野が広がったように思います。
私も、芳子さんと同じように、ラジオを聞き続けたいと思います。
病気は悪いことだけじゃないですよね。妻への感謝の気持ちや、子供とのコミュニケーション。家族の有難さを感じました。不安もありますが、自分にとってはいい機会だったのかなーと思います。未だに病院通いですが、ゲストさんの声に、よねさんのパワーに元気を頂きました。
くめさん
くめさん、ありがとうございます。
私も病気をして、くめさんのようにはじめて気づいたことが数多くありました。
・健康な時には、意識していなかった家族、友達、まわりの人たちの存在の有り難さ
・健康についての意識
・私たちが暮らしている社会について、さまざまな視点から見るようになった。
(倒れるまでは仕事しかなかったため、経済的な観点からしか見ることをしなかった)
しかし、障がい者となったため、弱者の視点で社会を見ることができるようになりました)
・自分の人生について
このようなことに気づき、考えはじめたことで、倒れてからの人生が少しは深まったのではないかと思います。
私も、くめさんと同じく
「自分にとってはいい機会だったのかなー」と感謝しています。
ラジオdeおふちょ!
パワースポット!!どんな御利益が?!京都は祇園祭ですねー。うらやましい!この連休は何処へ行こうかと考え中です。お二人は予定ありますか?
ゲストさん、素敵な日々をお過ごしなんですね。言葉が、、。と言われていましたが、全く気になりませんでした。営業職を選ばれたのはやはり人との関わりですか?
マコさん
マコさん、お便りありがとうございます。
(「言葉が、、。と言われていましたが、全く気になりませんでした。」というメッセージに勇気をいただきました。)
〇営業職を選ばれたのはやはり人との関わりですか?
仰るととおり、いろんな人と関わることが好きだったからこそ、安定した以前の会社での事務職を蹴って、再建中の会社の営業職を選びました。
当時私が所属していましたファッション業界(小売業)の営業職は、社内だけではなく、「社外の方たちと関わり合い、新しいものを創りあげる」ということへの醍醐味がありました。
ばりばりと現場で働いていた東京勤務の時には、東京での新規市場開拓がその使命であり
、新ブランドを構築が一番の課題でした。そのため、とにかく外にでて、メーカーさん、輸入業者さん、内装デザイナーさん、職人さんなどいろんな人に会い仕事をすることが日課となっていました。
いろんな人たちとお会いしお話をすることで、新しい発想が生まれて、新しい店づくりのアイデアが生まれることも数多くありました。
二十数年間にわたるそのような体験が、いまでも体にしみついているのだと思います。
それが、新しい出会いがある「おふチョ」に惹かれている理由のひとつだと思います。
よねさん☆お元気ですね!
夏バテ知らずのよねさんのパワーの源は人との関わりなんですね。素敵です!まりちゃんのよねさんへのツッコミも私の楽しみの一つ!楽しみにしています。ゲストさん!素晴らしいと思います。私もゲストさんの様な楽しい人生を送りたい!!
看護婦さん人気だった髪型?はどんな髪型だったんですか?!
チョコさん
チョコさん、お便りありがとうございました。
真弓さんの回答と同じです。
スキンヘッドに加えてヒゲをはやしていました。
(現在と比べて、ワイルドでした)
倒れた当時の14年前は、ヒゲとスキンヘッドは、まだ大阪では少ないような状況で、東京でも「当時はマイナーであったヒップホップ系のアーティストと。とある業界の人たち」がしてるぐらいでした。
入院中の私のファッションがストリート系だったこともあり、20歳前後の看護実習生の学生さんには受けたのだと思います。
もし、「坊主頭が普通のであるお坊さんが多い京都の病院」に入院していたら、話題になることにはならなかったかのしれませんね。
よねさん先生されたんですね!いいなー。おばさんな私にも教えて下さい。笑。ゲストさんの声を以前倒れた母と聞いています。また仕事を始められて、資格も取られたことに二人で感心しています。なかなか分かっていても、出来無いことが多いので。。ハンデはあるかもしれませんが、それも個性!そして、その分私たちでは経験できないことを経験されてこられていると思います。応援したいです。頑張って下さい!
母も、以前していた編み物をしようかと言っています。
のりちゃんさん
のりちゃんさん
お便りありがとうございました。
「私たちでは経験できないことを経験されてこられているとこられると思います」というメッセージをいただき、改めてことことについて考えました。
【怒りを覚えた経験(都会の街は、弱者の方にとって優しくない)】
障がい者になった経験を通じて、一番痛感したことは「都会の街は、高齢者、障がい者、子供(あかちゃん)連れの母親などの弱者の方にとって、優しくない構造をしている」と思ったことです。
とくに、リハビリ病院を退院後に、街に出たときに、
「自転車が我が物顔で走っている道路」、
「デザインばかり優先して、障がい者にとって歩きにくい歩道」、
「車椅子や乳母車が通行出来ない道」、
「登りのエスカレーターだけの駅の階段(障がい者、高齢者は下りの階段の方が足に負担がかかる)」
などの困難に我が身をもって直面し、怒りを覚えました。
【弱者(障がい者)でしか経験できないことを発信する】
私は障がい者になる前までは、そのようなことは考えてもみませんでした。
よく考えてみますと、都会の街は、街を利用する大多数の“元気な人たち”が毎日の活動しやすいように設計されていて、街を企画した人・お金を出す人も“元気な人たち”で構成されています。
元気な人達が、普段接することがない弱者のことまで気がつかないのは当然かもしれません
のりちゃんさんのお便りで、ハットしました。
「そのような困難な経験をした弱者の誰かが、その経験を元気な人達に伝えなければならない」と。
私のように“都会で活動している元気な人”と接点をもつ弱者が、発信するべきだと思いました。
(これから、私の弱者としての経験をFacebookなどでぼちぼちと発信したいと思います。)
のりちゃんさん
気づきをくださりありがとうございました。

