7/13に出ていただいた五十田 光宏さんから、長文のレスをいただきました。その(2) | ラジオde おふチョ

7/13に出ていただいた五十田 光宏さんから、長文のレスをいただきました。その(2)

よねさんまりちゃん聞いています。怪我をして今まで頑張ってきたサッカーでレギュラーから落ちてしまいました。夏の大会に出れないのは辛い!
はぁーー。と落ち込んでいたらこのラジオ。ゲストさんがまた新たな道を進まれている話に、
しかも、以前の仕事に未練などない。という様に明るく楽しかった。とコメントされていることに、すごい精神力だな。と思いました。病気とどう向きあってこられたんですか?
祐介さん

裕介さん、お便りありがとうございました。
祐介さんからの「すごい精神力だな。」という言葉に感激しております。


〇「病気とどう向きあってこられたんですか?」について

実は、病院に入院していたときには、病気について考える余裕もなく、毎日のリハビリで精一杯で、一日が終わったら疲れてバタンキューの状態でした。そのような状態だったからこそ、逆に前向きに向かうことができたのだと思います。

ただ、その原動力になったのは、「回復してやる」といった目標(執念)みたいなものがあったのだと思います。



*倒れた時の私は「次の10年間の人生のスパンが見えてきたときであった」ので、「障害を克服し、なんとしてもビジネスの世界に復帰する!」というような執念のようなものがありました。


それに加えて、病院で出会った人たちや私のまわりの人たちが、ポジティブな影響をあたえてくれる環境にあったからこそ、病気を前向きにに捉えることができたのだと思います。


【病院で出会った人達の支えで、病気に前向きに向かうことができた】 

救急病院では、主治医の先生、看護士さん、療法士の先生の方々が最初の寝たきりの一ヶ月におけるリハビリや息抜きをなさってくれました。

リハビリ病院では、主治医の先生、看護士さん、言語・作業・身体療法士の先生、病院の職員の方々が、明るい雰囲気と私たち障がい者のプライドを大切にした応対、リハビリを行っていただきました。
(とくにプライドを尊重して頂けたのは、大きなパワーになりました)

さらに入院中が楽しく、入院生活を前向きにに送ることができたのは、患者仲間の存在があったからです。
患者仲間とは、障害の内容、年齢、性別、肩書きに関係なく、裸のな関係でつきあうことができました(10年たったいまでも交流があります)。
学生時代のような気持ちになり、人生の中間点(当時は41、2歳)での精神的なリフレッシュできていたのだとおもいます。

【まわりの人達の支えで、病気に前向きに向かうことができた】

また、会社関係の人達、友達、家族といったまわりの人たちの対応も私にパワーをあたえてくれました。
まわりの人たちは、入院中の私に決して「頑張れ!」とはいいませんでした。
それより、私のリハビリでのわずかながらの回復に気づくと、「さすがやなー」、「やっぱり”いそだ”は違う、すごい」などとおだてて、勇気づけてくれました。

【会社が希望を与えてくれたことで、病気に前向きに向かうことができた】
最後に、私が「病気に対して前向きに捉えることができたことの最大の理由」は、会社の役員の方々が「私の回復を信じて、復帰後のポジションを用意してくれた」ことです。

365日仕事中心であった私にとっては、このことが回復への目標、仕事でのプライドを支えてくれたのだとおもいます。

【まわりの環境が6割、自分の頑張りが4割】
以前は、回復できた理由について、「自分の頑張りが9割、環境が1割」と思っていましたが、祐介さんのご質問を考えると、私の場合「環境が6割、自分の頑張りが4割」であったのでないかと痛感しました。

祐介さん、気づきの機会をくださりありがとうございました。



よねさんまりさんゲストさん、私のパワースポットラジオでおふちょ!いつもありがとうございます。中小企業診断士。
そんな資格があることも知らなかった私ですが、このラジオと出会い、いろんな世界を聞いています。普段は主婦業で、このような刺激的な出会いはなかなかありませんが、主人や働いている人が少し羨ましくなりました。人の出会いは財産と言いますが、本当ですね。おふちょの会は気がひけますが、ラジオは聞いていきたいです。
芳子さん


芳子さん、ありがとうございます。
ラジオでの出会いも大きいですよね!

私が京都三条ラジオカフェを聞くようになったきっかけは、リアルおふチョでの出会いでした。リアルおふチョで、京都三条ラジオカフェで番組を持っておられる方、プロデューサーの方などとの名刺交換を通じて、ボンズカフェ、ドリームシップ、建築カフェ、などの番組を聞くようになりました。

私は、ラジオを聞くことを通じて、「老若男女問わず、普通に社会に暮らしている方々のお仕事、夢、活動」などを垣間見ることができました。さまざまな方々の人生に接することになり、少しだけ視野が広がったように思います。

私も、芳子さんと同じように、ラジオを聞き続けたいと思います。


病気は悪いことだけじゃないですよね。妻への感謝の気持ちや、子供とのコミュニケーション。家族の有難さを感じました。不安もありますが、自分にとってはいい機会だったのかなーと思います。未だに病院通いですが、ゲストさんの声に、よねさんのパワーに元気を頂きました。
くめさん

くめさん、ありがとうございます。

私も病気をして、くめさんのようにはじめて気づいたことが数多くありました。


・健康な時には、意識していなかった家族、友達、まわりの人たちの存在の有り難さ

・健康についての意識

・私たちが暮らしている社会について、さまざまな視点から見るようになった。
(倒れるまでは仕事しかなかったため、経済的な観点からしか見ることをしなかった)
しかし、障がい者となったため、弱者の視点で社会を見ることができるようになりました)

・自分の人生について


このようなことに気づき、考えはじめたことで、倒れてからの人生が少しは深まったのではないかと思います。


私も、くめさんと同じく
「自分にとってはいい機会だったのかなー」と感謝しています。



ラジオdeおふちょ!
パワースポット!!どんな御利益が?!京都は祇園祭ですねー。うらやましい!この連休は何処へ行こうかと考え中です。お二人は予定ありますか?
ゲストさん、素敵な日々をお過ごしなんですね。言葉が、、。と言われていましたが、全く気になりませんでした。営業職を選ばれたのはやはり人との関わりですか?
マコさん

マコさん、お便りありがとうございます。
(「言葉が、、。と言われていましたが、全く気になりませんでした。」というメッセージに勇気をいただきました。)

〇営業職を選ばれたのはやはり人との関わりですか?


仰るととおり、いろんな人と関わることが好きだったからこそ、安定した以前の会社での事務職を蹴って、再建中の会社の営業職を選びました。

当時私が所属していましたファッション業界(小売業)の営業職は、社内だけではなく、「社外の方たちと関わり合い、新しいものを創りあげる」ということへの醍醐味がありました。

ばりばりと現場で働いていた東京勤務の時には、東京での新規市場開拓がその使命であり
、新ブランドを構築が一番の課題でした。そのため、とにかく外にでて、メーカーさん、輸入業者さん、内装デザイナーさん、職人さんなどいろんな人に会い仕事をすることが日課となっていました。

いろんな人たちとお会いしお話をすることで、新しい発想が生まれて、新しい店づくりのアイデアが生まれることも数多くありました。

二十数年間にわたるそのような体験が、いまでも体にしみついているのだと思います。
それが、新しい出会いがある「おふチョ」に惹かれている理由のひとつだと思います。




よねさん☆お元気ですね!
夏バテ知らずのよねさんのパワーの源は人との関わりなんですね。素敵です!まりちゃんのよねさんへのツッコミも私の楽しみの一つ!楽しみにしています。ゲストさん!素晴らしいと思います。私もゲストさんの様な楽しい人生を送りたい!!
看護婦さん人気だった髪型?はどんな髪型だったんですか?!
チョコさん

チョコさん、お便りありがとうございました。

真弓さんの回答と同じです。

スキンヘッドに加えてヒゲをはやしていました。
(現在と比べて、ワイルドでした)

倒れた当時の14年前は、ヒゲとスキンヘッドは、まだ大阪では少ないような状況で、東京でも「当時はマイナーであったヒップホップ系のアーティストと。とある業界の人たち」がしてるぐらいでした。

入院中の私のファッションがストリート系だったこともあり、20歳前後の看護実習生の学生さんには受けたのだと思います。

もし、「坊主頭が普通のであるお坊さんが多い京都の病院」に入院していたら、話題になることにはならなかったかのしれませんね。



よねさん先生されたんですね!いいなー。おばさんな私にも教えて下さい。笑。ゲストさんの声を以前倒れた母と聞いています。また仕事を始められて、資格も取られたことに二人で感心しています。なかなか分かっていても、出来無いことが多いので。。ハンデはあるかもしれませんが、それも個性!そして、その分私たちでは経験できないことを経験されてこられていると思います。応援したいです。頑張って下さい!
母も、以前していた編み物をしようかと言っています。
のりちゃんさん

のりちゃんさん
お便りありがとうございました。

「私たちでは経験できないことを経験されてこられているとこられると思います」というメッセージをいただき、改めてことことについて考えました。

【怒りを覚えた経験(都会の街は、弱者の方にとって優しくない)】

障がい者になった経験を通じて、一番痛感したことは「都会の街は、高齢者、障がい者、子供(あかちゃん)連れの母親などの弱者の方にとって、優しくない構造をしている」と思ったことです。

とくに、リハビリ病院を退院後に、街に出たときに、
「自転車が我が物顔で走っている道路」、
「デザインばかり優先して、障がい者にとって歩きにくい歩道」、
「車椅子や乳母車が通行出来ない道」、
「登りのエスカレーターだけの駅の階段(障がい者、高齢者は下りの階段の方が足に負担がかかる)」
などの困難に我が身をもって直面し、怒りを覚えました。


【弱者(障がい者)でしか経験できないことを発信する】

私は障がい者になる前までは、そのようなことは考えてもみませんでした。

よく考えてみますと、都会の街は、街を利用する大多数の“元気な人たち”が毎日の活動しやすいように設計されていて、街を企画した人・お金を出す人も“元気な人たち”で構成されています。

元気な人達が、普段接することがない弱者のことまで気がつかないのは当然かもしれません

のりちゃんさんのお便りで、ハットしました。

「そのような困難な経験をした弱者の誰かが、その経験を元気な人達に伝えなければならない」と。


私のように“都会で活動している元気な人”と接点をもつ弱者が、発信するべきだと思いました。

(これから、私の弱者としての経験をFacebookなどでぼちぼちと発信したいと思います。)

のりちゃんさん
気づきをくださりありがとうございました。