久しぶりの気がしますが、このままだと何のブログだったか忘れそうなので一枚ギリシアコインを紹介しておきましょう。
という事で中世のコインからバックトゥザ古代!紀元前のヘレニズム時代へ。
セレウコス朝 アンティオコス3世 紀元前222-187年
テトラドラクマ銀貨
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少し前にヘリテージで落札したアンティオコス3世の銀貨。セレウコス朝の君主の中でも好きな方ですので欲しかったのです。あまり状態の良い物を見掛けないコインだったのですが、最近数が出てるのを見掛けたので見た目が良さそうな物を一枚落札してみました。
ぎりしあこいんさんも言っていましたが、これが角?…うーん角?
さて、アンティオコス3世はアレクサンドロス大王と同じように大王(メガス)と呼ばれる方であり、大王の称号を得た軍事的な偉業としてセレウコス朝の東方領土を回復した東方遠征(アナバシス)があります。
即位当時のセレウコス朝の東方領土はパルティアやバクトリアの独立といった事態にもかかわらず手を出せないという状態だったそうです。
アンティオコス3世も以前のセレウコス朝の君主達と同じように反乱や宮廷闘争、ヘレニズム王国のプトレマイオス朝との戦争にと、若く即位した王にとっては手に余るような難問を処理した後に東方遠征に着手します。
遠征はまずアルメニア、パルティアを服従させ、かつてアレクサンドロス大王が征服したバクトリアヘと兵を進めます。自らも戦闘による傷を負いながらもバクトリア王エウテュデモスの軍に勝利したことによりセレウコス朝の権威を認める形での同盟関係となります。
その後ヒンドゥークシュ山脈を越えてインドへと達し、多数の戦象や貢物と共に帰還の途に就いた途中ではペルシャ湾の航海を行ったりと、アレクサンドロス大王ばりの7年に及ぶ征服行を完遂して首都ティグリスのセレウキアへ帰り着き、アジアの地に再びセレウコス朝の威光を復活させます。
東方遠征後、紀元前195年頃のセレウコス朝。
裏面はセレウコス朝ではお馴染みのアポロン神。
この辺りまではアポロン神の登場が多いのですが、以後のセレウコス朝の衰退と共にゼウスやアテナといった神々もコインに登場するようになります。苦しい時はいろんな神様に祈りたくなるのかもしれませんね。
セレウコス2世では立像でしたが再び座像に戻っています。
そういえば東方遠征でコインに関係ありそうな話で、かつてのペルシアの宮殿が置かれたエクバタナの神殿を略奪し、宝物の銀を四千タラントもの銀貨に打ち直して軍の遠征費用にしたという話があります。
おそらく30代辺りの若い肖像の銀貨だったと思うのですが、アンティオコス3世で若い頃の物を見掛けたらこの時に打ち出された物が混じってるかもしれませんね。しかし、この神殿から略奪という行為は後に彼の命取りになるのでした。
東方遠征の成功によって栄光のアンティオコス3世ですが、この方は栄光と挫折の君主としても有名でして、再びヘレニズム国家との争いを再開したセレウコス朝はここで勢力を拡大してきた共和制ローマと衝突する事になります。
マグネシアの戦いでローマに敗北したアンティオコス3世は、アパメイアの和約で小アジアの領土の大部分を失うと共に莫大な賠償金を課せられ、アジアの東方領土も再び離反され彼の業績は無に帰してしまいます。
莫大な賠償金を工面するため再び神殿の宝物に手を付けようとするのですが、略奪に怒った人々によって殺され、大王と呼ばれた偉大な王はあっけない最期を迎えます。
あまり褒められた事では無いのですが、神殿の略奪自体はローマやヘレニズムの王達もしばしば行った事ですので、私としては衰退しつつあるセレウコス朝を立て直そうとした君主として評価したい方ですね。
ルーブル美術館にあるアンティオコス3世とされる頭部像。
ではこんな所で。




























