半径3メートルから宇宙の果てまで -32ページ目

筆記具というモノ

最近なんだか万年筆がちょっとしたブームの兆しを見せているようで、たまにテレビなんかでも取り上げられてるのを観る。いや、筆記具というものにもマニアがいて、必要性とは無縁の領域で高級な万年筆などを集めては悦に入る人はいる。かく言う僕も美しい筆記具というのに目がない。マニアと呼ばれる人と違うのは、所有していない点だ。

万年筆は完成された道具の1つだと思っている。機構も比較的新しいキャップレスなどがあるが、結局のところインクを押し出しながら文字を書いていくという仕組みは同じだ。派手だったり高級だったりする装飾が施されていたいりして価格が上がっていくのは、ロレックスのダイヤちりばめ物が高いのと同じで、時計としては同じものだ。

ところで万年筆の値段というのは高いのだろうか。プレゼントされたい万年筆の常に上位を占めるペリカンのスーベレーンのM1000で7万円くらいだ。ペン1本で7万円。腕時計で7万円だと高級時計とは呼ばれない。ましてや車になると部品1つの値段だ。僕にはとてもペン1本にそんな値段は出せないが、作家になってペン1本でウハウハ印税生活が待っているのなら7万で商売道具が買えるのは格安だ。デザイナーやるのだってコンピュータやアプリケーションやら買ってたら初期投資だけで軽く50万はいくだろう。

仕事がら手書きで文字を書く必要性というのは全くといっていいほどないが、あえて日常的に文字を手で書くようにしている。取引先へファックスを送る時も、わざわざ万年筆で送り状を書いている。もちろん、発注書のようにデータベース化されたものはそういうわけにはいかないが、単純な修正依頼程度は全て手書きだ。そして意外に相手から評判がいい。やっぱり手書きで書いた言葉には、タイプ文字にはない意志が感じられるのだろう。手で書くと、(笑)とか絶対使わない。

万年筆の話だった。

今の愛用品は安物のプラチナ万年筆、仕事でつきあいのある方からの頂き物だ。書き味も特になんと言うこともないものだが、万年筆の楽しいのはインクだったりする。最近はウォーターマンのハバナという赤褐色を使っているのだが、使っているとやっぱりブルーブラックのインクに戻ってきてしまう。飽きの来ない色ということなんだろうか。鮮やかなグリーンとか、冴えたレッドとかパープルとか、色としてはきれいだと思っても次第に飽きてきて、多用しすぎると軽薄な感じすらしてきてしまう。 つまみ食いにはキレイな色で、長く使うには落ち着く色で。

そんな感じでまたブルーブラックに戻そうかと思っていたところ、パイロットから色彩雫(いろしずく)なんていう、ちょっと小洒落た感じのインクが出てきた。渋谷の伊東屋で試し書きをしてみたら、なかなかいい感じ。ビンのデザインなんかもかっこつけている。

早速1,500円で『月夜』を購入。5色あるうちのもっともオーソドックスな色だが、ややグリーンがかった深いブルーで実に美しい。 もう一つ、店頭で見せてもらったインクで、気になったのが、ドクターヤンセンのハンドメイドインクってやつ。なんて色だったか失念したが、ずいぶんときれいな色があって、太めのペン先で書くと濃い部分は深い青で、薄い部分はターコイズの明るい冴えたブルー。ううむ、美しい。いつか使ってみたいと思う。つーか1本の万年筆でインクを楽しむなんて限界がありすぎる。

クックライフ 圧力鍋すげえ

ヨメが以前から買おうか買うまいか迷っていた圧力鍋を「いいじゃん、買っちゃえば」と背中を押しまくって購入。

ビタクラフトの圧力鍋。

今年に入ってから、ジューサー、圧力鍋、IH炊飯器と徐々にクッキングライフが充実してきている。どれも活躍しており、無駄ではなかったと言い切れるほど活躍中。
それで早速キャベツをまるごとヤってみた。

2.5Lの鍋だと、キャベツ丸ごとははいんなかったので、二つにぶった切ってみたが、圧力鍋ってすごいんだな。僅か数分で芯までふにゃふにゃ。
カレーも出来た時にはすでに昨日のカレーの味。
これは料理の幅が広がりそう。

宮部みゆき「楽園」読了

最近は活字離れだとか本を読まなくなっただの言われてるが、宮部みゆきのようなベストセラー作家も、その部数にかげりがあるということなのだろうか。出版業界そのものが斜陽だという話もあるが、テレビも書籍もなくなることはないだろうし、ましてやインターネットベースのメディアに取って代わるなんてことはないだろうと思っている。業界の構造自体が大きな再編を迫られることにはなるだろうけども。

ところで、どうして女性の作家をわざわざ“女流作家”とつけて呼ぶのだろう。

作家という職業に限定せず、表現を仕事にするということは、かなりの比重で個人の背景やプライバシーが影響してくる。そんな中でわざわざ女性であることを特記するということは、女として生きていることが、男が生きることと比べて何か違うものがあるということになる。女性であるということだけで、だ。
もちろん男尊女卑をベースにした理不尽な待遇というのは今でもあるし、差別ではないにしろ、職場での待遇(生理休暇などの女性ならではの処遇)など、性差による違いはある。そういったことが作品の内容が女性的観点を作る一因にはなるだろうし、そしてそれらを評価するのが男性であれば、ますます女性性が抽出されていく。

しかし、これらは全て外的な要因であって、男がいなければ出てこない要因だとも言える。ところが、ではお前はそれらが全て男性性と女性性の比較だと断言できるのかと言われると、そこはどうなのか自信がない。平たく言ってしまうと、異性の目がなくても言動に変化が現れないということが断言できるのかということだ。

僕が宮部みゆきの文章に感じるのは、女性の描写の生々しさだ。一人語りに使われる言葉や、思考が移り変わる様はそれまでの作家からはあまり感じたことのない印象があった。何というか、とても「普通」なのだ。書評に「等身大」という言葉がよく出てくるが、まさにそれなんじゃないか。そして、これが宮部みゆきが女性だから書けたのか、そんな話ではなく、作家として結果的に女性描写に長けていただけなのか、そこがわからない。そもそもそこの探求に意味があるかどうかもわからないんだが、田嶋陽子なら何かしら答えを持ってくるかも知れない。

作者はそういった自分が女性描写に優れることを知ってやっているのか、意識せずとも好きだから、もしくは話全体を作りやすいからやっているのかは知らないが、女性の主人公のものは宮部みゆきの物語にとてもしっくり当てはまる。もしかしたら男性を描くのが苦手なのかもしれないとすら思えてくる。そう思う根拠としては、男性、とくに若い男の描写はどこか女性的な感じがある。『模倣犯』については、塚田真一(少年)も網川浩一(青年)もどこか女性的な存在で、僕は女性の思春期って男をこう見ているのかなどと思って読んでいた。結果的に生き生きと描かれているのは前畑滋子一人だけだ。そのように作ってあるという見方もできるが、今のところ、宮部みゆきの作品で男性がのびのびと描かれている作品は見あたらない。

しかし一作家としては、宮部みゆきのおもしろさはそこにある。主人公の女性が生き生きとするには、まわりの男たちは添え物になってもらって大いに結構なのだ。ナウシカやもののけ姫でいいのである。

それにしても、小説を一冊書き上げるのって、どれくらいの労力がかかっているんだろうか。
一度経験してみたいと思ってみたりするが、根気のない自分には到底無理な作業だ。

田舎

法事で熊本へ帰省してきた。 田舎といっても両親の出身地という意味で、僕は一度も住んだことはない。子供の頃から夏休みや正月に訪れる土地という認識だ。本屋に行くのに一日数本のバスに乗って駅まで行き、祖父と近所の沼でナマズを釣ったり、今になってみれば街に住みながらも、日本の田舎暮らしを体験できたのは貴重なことだと思っている。

今回の帰省はヨメを親戚に初めて披露するためのもので、親戚、とくに叔母連中は手ぐすね引いて待っていた。結果、親戚たちに彼女の受けは非常によく、女同士、楽しそうに歓談していたので安心。久しぶりの従姉妹たちの成長ぶりに驚愕。前回会った時は高校生だった甥が、隣に子供を宿したヨメさんが立っていたり、受け答えもすっかりオトナのそれで、自分のおっさんぶりを思い知らされることとなった。 ヨメにとって初めの熊本は、風情のある街に映ったようだった。路面電車のせいだろう。

こむらさきというラーメン屋でラーメンを食って帰京した。父の若かりし頃の行きつけだったらしい。 王様ラーメンと餃子を食べる。同じ熊本ラーメンの桂花よりもこっちのほうがいいと思った。
こういう地方都市に行くといつも思うが、東京はでかすぎる。

飛行機が1時間半近く遅れ、帰りのリムジンバスも首都高の事故で、結局家についたのは、帰路についてから7時間後だった。

その夜から風邪をひき、翌日ヨメが熱を出した。

フレンチポップ

CDショップで洋楽のコーナーに行くと、洋楽ってのはすなわち英語の曲ってことになっていて、他言語はワールドミュージックみないなコーナーに入ってくる。

モラーヌというベルギーの女性アーティストがいる。この人の歌を初めて聴いたのは、スズキの車カルタスのCMだった。

♪ダーンセ ダーンセ ○×☆$%&(ここフランス語)

というとてもパワフルなボーカルで、フランス語もリズムに格好良く乗るということを知った。

それまでフランス語の歌というと、シャルロット・ゲンズブールや、ジェーン・バーキンなどの、ゲンズブール一家による、ボソボソとささやくような、吐息混じりの雰囲気ソングしか知らなかったのでかなり新鮮だった。ついでに言うと、ベルギーがフランス語だというのもこのとき知った。

以前、MTVだったか、フランスの若いロックバンドが英語で歌を歌っていて、インタビューの中で「なぜ英語で歌うのか」という問いに、「フランス語はリズムに乗りにくいんだ」と言っていたのをみたことがある。フランス人はそう思っているのかと知って興味深かった。

実は好きだと言いながら、モラーヌが動いているところは観たことがなかったのだが、YOUTUBEの登場で次々とそういった初体験を得られている。当時すでにかなりのおばさんだったんだな。でも歌はやっぱ良い。ネットオークションでアルバムを2枚買った。モラーヌを持ってる人がいて出品してるということに、ヤフオクのシェアのでかさを再認識した。