新しい朝クリスチャンは神から霊的永遠の祝福の全てをもって祝福されている | ☆愛がいちばん!ネアカ椋田☆寅吉の本日完売ブログ☆(悲しんでいるようでもいつも喜んでいる人のブログ)☆

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新しい朝新しいいのちをくださった、父なる神さまの憐れみと恵みに感謝します。

イエスさまの十字架の死とよみがえりのみわざを誉め称え心から感謝いたします。


聖書から

『私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。』(エペソ人への手紙第1章3節)


人となられた主イエスが、この地上において第一に求められたことは、ご自分を世に遣わされた御父の栄光が表されることであり、それゆえ人としての主イエスは、御父をご自分の神として常に崇められたのです。私たちも神に栄光が帰せられることを第一に求めるべきであることは当然です。


私たちは、アダムにあっては、のろいとさばきの下にありました。アダムの中にある者には、死と永遠の火の刑罰しかありません。カインのように人間は自分の力によって、何とかしてアダムの中に祝福を造り出そうと努力してきました。その結果はノアの大洪水であり、バベルの塔の崩壊であり、最後がハルマゲドンでの偽キリストによる、神に対する大反逆です。そして偽キリストとその偽預言者は、真のキリストの怒りに満ちた御口からの一息によって、一瞬のうちに吹き飛ばされ、永遠の火の池の中に叩き込まれ、偽キリストによって世界中から集められた軍隊は、焼き殺されます。そのようにして、神に対する人類の空しい反逆は終わります。これが、神なき世界の文化、文明の、そして神なき人間の末路、あらゆる努力の終局です。


しかし、神は、ご自分の御子イエス・キリストを処女を通して人間とならせ、この御方に十字架の上で罪のための完全な贖いを成就させ、その後にこの御方を死者の中からよみがえらせて、さらにこの御方を天高く引き上げ、天の栄光の御座に着座させて、最後のアダム第二の人(コリント第一15章45、47節)とならせてくださったのです。


神はこのキリストによって、キリストにある者を祝福することを天地創造の以前から決定しておられたのです。それで神は、アブラハムに次のように宣言されたのです。「あなたの子孫(単数)によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。」(創世記22章18節)


神の祝福は、キリストによる以外にありえず、また神の祝福は、キリストの中にのみあるのです。神は、このキリストによって、キリストにある者のみを、祝福することがおできになるのです。


さて、その祝福の量はいかほどでしょうか。それは、『あらゆる』であるのです。人類はアダムの罪によって全てを失いました。しかし、神は御子によって『あらゆる』祝福を与えてくださったのです。その祝福の質は、天にある霊的祝福、すなわち永遠の祝福です。

クリスチャンは、「世にあっては患難があります。」(ヨハネ16章33節)クリスチャンはこの世においては「旅人であり寄留者」(ペテロ第一2章11節)であるのです。

クリスチャンの永遠の住まいは天にあります。私たちは、天にあるあらゆる霊的祝福をもって祝されてしまっているのです。


この地上を旅人として歩んでいる私たちにとって、このことをしっかりと意識していることは非常に大切であるのです。この意識が薄れて来ると、私たちは世的になり、この地上の物を求めてしまうようになってしまうのです。


では、私たちが神に祝福を求めることは間違いでしょうか。いいえ、そうではありません。神は私たちの祈りに答え、祝福をお与えになります。しかし、神は、決して私たちがこの世の生活を最も価値あるもののように思うことをお許しになりません。神が私たちに求めておられることは、一時的で、すぐに消えてしまうこの世の富、健康、楽しみ、生活よりも、天にある朽ちない永遠の富、誉れを求めることです。そのために私たちは常に、自分がキリストにあって、霊的永遠の祝福の全てをもって、祝福されつしまっていることを覚えていなければならないのです。



最後まで、ご覧いただき、ありがとうございました!


今日も小さないのちが守られますように!


みなさま、すてきな一日を!