ムラナカ リョウタです🕺

さて。
福岡へ転勤になったリョウタは
人生初の一人暮らしをするのだ。

楽しいね。

何も気にせず、生活できるのだから。

ただ、現実というのは甘くはない。
制作会社ってなんでこんな忙しいの?
ってくらい忙しかった。
週に数時間しか家に帰れないし
一昔前のTVでよく観てた
スタッフやADがソファーや床、オフィスチェア
並べて寝るような現実がそこにあるのだ。

福岡に住んでしばらくすると
友人から連絡が入った。

「りょーちん、ウチでバンドやらない?」

そう、声をかけてくれたのは
NO KIDDINGに着いて行くようになって
知り合った福岡のバンドで
ORANGE SHAKESでも彼らのライブに
出演させてもらったこともあるバンド。

ASTORIA(アストリア)だった。

声をかけてもらった当時は、改名し
THE CONVICTIONS(ザ・コンビクションズ)
という名前になっていた。
L⇒R
Tp./mai Gt.Vo./satoru Ba.Vo./yuji TSax./takky Tb./Ritz Dr/jiro 
Gt.Vo.RYO-CHiN





このバンドは本当に色々な経験した。
今まで経験したバンドより
多くのライブを経験したし
色んな土地にライブしに行ったし
海外バンドのツアーサポートもやったし
スタジオライブもやったし
メンバーで色んなライブを観に行ったし
メンバーの衝突もあったし
スタジオに入る回数も1番多かった。
海外ツアーもやった。





お察しの通りリョウタは
またもバンドを脱退します。

理由は結婚です。

現状の生活リズムと、熊本と福岡の距離。
彼女も大学卒業して新卒入社した職場を
そう簡単に辞めさせる訳にはいかない。
なら、俺が辞めて熊本に戻る方が懸命だ。
という判断だった。





長続きせんなー(笑)





仕事辞める時にも、揉めたよねー(笑)
バンドは理解してもらえたのにさー
こんな上司まだ生き残ってんだw
とすら思ったよ。

「仕事と結婚どっちが大事なんだ!」

って聞かれてね(笑)
迷わずに

「結婚です」

って、返したよね。

「そんなに結婚や親になる事が大事か?
親父なんてもんはな、最終的に子どもから嫌われて必要無くなるんだよ。」

とまで言い出しやがったから

「それは育て方次第では?」

って応えたら、机 バァン!!!! って叩かれたw









そして、結婚し退職したリョウタは
熊本へ戻り幸せな結婚生活を始めました👩‍❤️‍👨















いよいよ佳境です😎















【NEXT リョータ】
-えっ!?オレっすか!?-
悪魔からの誘い






いよいよ、NO KIDDING編です(笑)



続きはまた今度


なら、すんまっせん
ご無礼します🦥
連絡を取れるようなメンバーは
少なくなってしまったし、
完全な修復に至った訳ではない。
変わらず接してくれるみんなには
本当に感謝してる。

ムラナカ リョウタです🕺





さて、幼少期に1度、自分自身を押し殺し(何した)
今回、2回目の消息不明を経たリョウタ。
再起可能なのかが気になる所(誰が見てんだ)

ぶっちゃけ熊本じゃ無理だと思う。

芸能事務所も辞めアルバイトも辞め
制作会社に準社員で入社したリョウタ。
以前より仲良くしていたバンド仲間と
チョコチョコ会うようになり
彼らのライブに顔を出すようになった。
(コッチ界隈との対バンがないから)

そこで出会ったバンドで
ne-co...ってバンドがおるんやけど
ここのフロントマン2人とよく遊ぶようになって。
流れで、一緒にバンドをやりたい!って
俺から言い出して。
ライブもやらんうちから、なんとか注目を
浴びたくて、動画配信から始めたのね。





続きませんでした(笑)





準社員で入社した制作会社が営業所を
本社に移すから一緒に来るなら社員登用。
定職にも就かず好きなことやってきた
この数年間。実家から出ることなく
ぬくぬくと育ってきたリョウタに後はなく
首を縦に振るしかなかった。

再度、絶望の淵に立たされ
時間もなくあっという間に福岡へ。




終わったなー(笑)
もう、何もないなー(笑)










ちなみに。
消えた後、再浮上をし
ずっと心の支えになってくれていたのが
今の妻です(猛照)










続きはまた今度🤚(笑)



なら、すんまっせん
ご無礼します🦥
ムラナカ リョウタです🕺





過去のリョウタについて執筆している過程で
「失った」
と表現すると、自分以外の要因を
指しているように捉えられてしまうので
消えた理由は過去のリョウタであり
執筆しているリョウタなので、最後に
「捨てたんだ」
と表現しました。





マジでほとんど思い出せない(笑)
結論から言うと、ホントに消えたんだけど
ちゃんと浮上してきます💭





消息不明になってからどれくらいかな??
結果、奇跡的なタイミングで実家に居て
祖母と2人でボーッとしてたら家の電話が
突然鳴った(誰もリョウタの番号知らないから鳴らない携帯)

電話に出た、祖母。

「もしもし。
はい、はい、そうです。
おりますよ?
はい。お待ちください。」

〜〜〜〜〜〜

「リョウタ、電話よー
〇〇さんって方から」










殿だ!!!!!(〇〇は殿の本名)










ORANGE SHAKES結成当初
どんな流れでこうなったか覚えてないけど
全員の連絡網を作ってたのよね(笑)
本名から自宅の住所、電話番号と
実家の電話番号まで(笑)

これを登録してたのが凄いよ、殿(笑)

祖母に「おりますよ」って言われた以上
逃げることもできず、渋々電話に出るリョウタ。

あー、もう、そりゃ
バチバチに怒鳴られました(笑)



「番号変わったなら教えろよ!」



いや、そっちかいwww





「どぎゃんでんえーけん、なんさんライブ来い!
なんか言われたっちゃ、俺がおるけん!」

ホントに優しい人だ。





俺が消えた後、色々な事実確認を
裏でしてくれていたみたい。

でもなー。
正直ライブは行きたくないじゃん?
NO KIDDINGのライブなら、もちのろんで
SHAKESやBOWLSのメンバー居るじゃん?
「とりあえずお前はロックじゃねぇ」※前blog参照
そう俺に言い放ったの
NO KIDDINGのVo.YAMAさんなのよ(笑)
もう、絶対に行きたくないじゃん?(2回目)





い"ぎだぐな"い"!!!!!!!





行ったけど。





覚えてるわ…
NO KIDDING主催の"GAIN LINE"

NO KIDDING
SHACHI
SHANK
GENERAL HEAD MOUNTAIN
がんばるズ

なんちゅう、メンツや…

行ったら行ったで殿から怒られ(笑)
マジで、1番後ろで隠れるように観てた🗿

ライブ終わって、嫌でも顔を合わせる状況。

みんな、意外な反応だったのは覚えてる。

マジでどーしていいかわからんし
その後、すぐに何事も無かったかのように
戻ってったかって言うと、そうじゃない。

やっぱ中々難しい部分ってのはあって。

それこそ、バンドマンとして
再び舞台に上がるまでは、かなりの時間を要し
色々大変な道のりだった。





この頃、リョウタは25歳になる年。
ここから、あと、2バンド経て
NO KIDDINGのメンバーとなる。
(何バンドやるとかて!)





続きはまた今度🤚



なら、すんまっせん
ご無礼します🦥

何かを急いでるかっていうと
そんな訳でも無いんだが
何か色んな事をやろうとしてた。

ムラナカ リョウタです🕺

相変わらず、夜な夜なクラブに通ったり
ライブハウス行ったり、スノボ始めてみたり
おもしろいことを見つけては、遊んでた。

ここで、一人称を"リョウタ"に戻しましょう(笑)

単刀直入にリョウタはバンドを組みます。

しかも、Vo./Tp.というSCAFULL KINGの
TGMXを彷彿とさせる立ち位置でだ。

結論から言おう。





俺、ここで消えます





最終的に集まったメンバーは
Ba.Vo./うっちー
Gt./のっち
TSax./亀吉
Tp./しほ
Dr./ジャイアン
Vo.Tp./ムラナカ リョウタ(この頃はRYO-CHiNと名乗る)

マジで奇跡のメンバーだった。

うっちーは、既出のバンド
GORILLA MISSILEのBa.Vo.
そう、NO KIDDINGのBa.うっちーだ。

のっちはORANGE SHAKESののっち。
東京の納豆キッズのギタリストだ。

亀吉はNO KIDDINGのVo.YAMAが率いる
HOLETRAPのメンバー。解散後はDJとして
ORANGE SHAKESのイベントにも出演。

ちほは大分のJAM SK@ FREAKのメンバー。
GORILLA MISSILEやHOLETRAPとも
親交があり、熊本出身である。

ジャイアンは熊本のバンド
ANKLEBOMBのドラム。
1番歳上だが、リョウタとのっち以外の3人とは
ほぼ同世代だ。





リョウタ以外の全員が、経験豊富で
第一線で活動していた面々だ。





それぞれの知名度やスカパンクという
ホーン入りのバンドの珍しさもあって
結成早々からライブを重ね、九州はもちろん
東京でのライブなども行った。





このバンドが

THE SKA BOWLS
である。





もちろん、ORANGE SHAKESとしての活動も
並行して行っていたが、単純に考え方が変わり
人間性が変わってしまっていた気がする。
バンマスがいるのにも関わらず、気取って
中心になってバンドを回そうとしたり
これまでの曲調とは違った楽曲が増えたり。
所謂ワンマンというものになっていってた。

THE SKA BOWLSはまたちょっと違う雰囲気で
全員バンド経験者であることから、空気感や
バンドとしての動きが経験したことのないもので
新鮮さは凄い感じていた。





この頃、リョウタは仕事を辞め
なんと、地元の有名な芸能事務所の
タレントオーディションを受け
研修生としての活動も行っていた。

同時に色んな事が出来ないリョウタは
もう、間もなく爆発します。





ORANGE SHAKESのメンバーは
この時点でリョウタに対して
既に違和感を持っていたと思う。
もちろん、THE SKA BOWLSも然り。

リョウタは
"今、1番波に乗っている"
そう勘違いしていた。

仕組みや常識をよく分からないまま
後輩バンドを誘って県外に行こうとしたり
それが後輩への圧力になっていたり
元々目立つキャラクターであったが
そんなリョウタ自身がバンドの看板を背負って
活動しているにも関わらず、目に余る
だらしなさがあったり、そのだらしなさが
私生活へも影響し、完全なヒモ男になってたり。

リョウタ自身からたくさんの導火線が伸び
何本も着火した状態だった。

ある日、芸能事務所の仕事を1本飛ばした。
前日飲みすぎて、単に寝坊した。
各方面から叱られ自分のせいなのに
勝手に絶望を感じていた。
社長に「光るものがない」そう言われ
リョウタは事務所を去った。

THE SKA BOWLSでは観客への対応や
バンドマンとしての誤った行動
後輩や先輩、仲間に対する失礼な行為など
メンバーの不信感が高まり、鹿児島でのライブ後
「明日のライブに来なくていい。お前は
看板背負ってバンドやってる事分かってない。」
そう言われ、現場に行くも、もちろん入れて貰えず、待ち続け、打ち上げ会場でも待ち続け
見かねた福岡の先輩バンドマンが間に入って
話をする場を作ってくれたが、もちろん
戻れる余地はなく、熊本の先輩から
「とりあえずお前はロックじゃねぇ」
そう、言われた後にメンバーから
「二度と出てくるんじゃねぇ。消えろ。」
そう言われ、リョウタは姿を消す準備を進めた。

ORANGE SHAKESはメンバー内に
リョウタと交際していたメンバーが居た。
消える事を決意したリョウタは
理由は話さず土下座し別れを切り出し
何も言わずにORANGE SHAKESから消えた。





携帯を解約し、電話番号もアドレスも変え
mixiやblog等も全て閉鎖し
芸能活動もバンド活動も全て失ったリョウタは
この辺の記憶もほぼ失った。
もう、何もかもが真っ白だった。

全部、リョウタのせい
全部、リョウタが悪い
全部、全部、全部。

偏った考え、浅はかな考え、狭い視野
元々調子乗り、目立ちたがり、不器用。
バンドマンとしての立ち振る舞い、女性問題
後輩への思いやり、先輩ヅラ、信憑性。

誰も悪くない。

リョウタはリョウタ自身で全てを失った。
いや、失ったんじゃない。

捨てたんだ。




続きはまた今度🤚


なら、すんまっせん
ご無礼します🦥
この後、リョウタは一旦姿を消す事に。
※あと2エントリー後くらいかな?

ムラナカ リョウタです🕺

今となっては笑い話になってますが
全ては俺が甘かったのが原因。





ORANGE SHAKESの活動再開後
メンバーチェンジ等も重なり

何か新しいことを始めたくて、
俺らはお揃いの衣装を作った。
Dickiesの黒のカバーオール。
通常ブッキングもイベントも
緊張しながら県外にも行った。






最後のアー写。





思い返してみると、俺はこの時ぐらいから
少し様子がおかしかった。





以前よりも増して、ライブを見に行く頻度や
NO KIDDINGについて行ったりする事が増え
刺激的な日々を過ごしていた。

自主企画やりたいな

漠然とそう思った。
仲良くなったバンドや一緒にやってみたい
バンドをリストアップしてみんなで話し合った。
グッズ作ってみたり、ブッキングしてみたり
新曲作ったりして、突っ走っていた。





活動再開から1年後。
ORANGE SHAKESは自主企画ライブを開催。





NON STOP DANCING SKA





熊本からは
アニキと言っても過言じゃない
NO KIDDING
脱退したもっさん。が結成した
SIDE KICK
よく一緒にライブをしていた
NOTHING 2 BALL
DJにはex.HOLETRAPのSax
亀吉

ゲストは
九州最古のスカパンク。鹿児島から
THE LITTLE BITCH
初来熊を快く引き受けてくれた、大阪から
HEY-SMITH





企画ポスターと当時のDjango嬢/あすかちゃん





本当にフワフワした1日だった。





無事に企画も終わったんだけど
達成感というか、燃え尽き症候群っていうか
そんなのが全くなくて、逆にお熱になっちゃって
常に小走りしてる感じで。
なんか、物足りないっていうか、わからんけど
自分の中に"もっと!"みたいな感情があって。
欲求不満じゃないけど、別の刺激が欲しかった。

そんな24歳のリョウタは
新たな刺激を求めもう1つバンドを組むのだ。





続きはまた今度🤚



なら、すんまっせん
ご無礼します🦥