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K.B.Sトーナメント第2戦 「印屋CUP」

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来たる6/14(日)、群馬県のメジャーレイク・多々良沼にてK.B.Sトーナメント第2戦が行われる。

ボーター、ノンボーターが個別にポイントを争う2名乗船の本格フォーマットであり、かつ釣ったバスをキープしないデジタル・ウエイインを採用する先進的なトーナメントである。

昨今は規模の大小を問わず、バス釣り大会に厳しい目を向けるアングラーも少なくない。
K.B.Sトーナメントの場合、勝った負けたの世界はシビアに存在するが、同日に併催される清掃活動とともにマナー向上を目的としていることを改めてここで繰り返しておきたい。


さて、今シーズン参戦していない私としては、その分純粋なK.B.Sウォッチャーとして第2戦を展望できるというもの。

これまでの多々良戦を振り返ると、ここでは毎回ウイナーが変わっていることが分かる。曖昧な記憶をたどってみれば、過去4試合でウエイインされたバスは3匹。O出選手、釣魂選手、ニッシー選手がそれぞれ持ち込んだ1匹ずつの合計である。
暴論だが、釣れたら勝ちに絡めるのが多々良だ。

6艇のボーターに対して下馬評めいたことは書けない。RBCの2名も、和船エントリーということから容易に手練れと想像できるし、K.B.Sメンバーに関しては言わずもがなだ。
私が今回注目しているのはノンボーターの5名である。
多々良を知り尽くしたボーターに導かれた水域で、なにか起こしてくれるのではないか。新鮮な五感を利して、大いに暴れてもらいたいと期待している。

唯一残念なのはT本(兄)選手とA部選手の不在。事実上の2トップを欠く大会は、やはり寂しい。ただ、どちらも最終戦だけで巻き返す爆発力を秘めているので、嘆くのはやめよう。

二度目となる冠大会、スポンサーサイドには、なにやらシュールな趣向 (仮装大会?) がある様子。釣魂ビジョンでは、きっと面白い画が見られるに違いない。

当日は暑くなるとの予報。11選手が万全のコンディションで臨めるよう祈っている。


自動四速

エアロデッキの次には、釣りグルマとしての正常進化を求めてスバル・フォレスターを選んだ。いかにも四駆といったSUVと違って車高が低い。これならボートの積み降ろしが楽なのでは、と考えたのだ。この頃はまだカートップの夢を諦めていなかったのである。
アルミボートへの思いが徐々にしぼみ、やがて消え去った頃には子供も大きくなった。キャンプをはじめとするアウトドアの遊びには存分に活躍してもらった。それはそれで似合いの使い方だったと思う。

このクルマは当初ターボのみのラインナップで、相当走りを強調したキャラクターだった。僕が選んだのは追加されたNAのフラット4で、いたっておとなしい印象。唯一冬場にエンジンが冷えているときだけはボクサーらしい鼓動感を伝えてきた。スムーズなのはいいのだが、大昔のレオーネが排気音だけでそれと分かったような個性を、もう少し持たせてもいいのではないか。

際立った主張はしてこないが、見た目と違って山道で振り回しやすく、走りが楽しい一面もあった。安定感が強く、少々のことでは破綻するそぶりも見せなかった。

リーンバーンながら燃費は悪く、これが唯一の短所。ただ、エレキなど大荷物を積みっぱなしにしてさらに悪化させていたのは自分自身だ。
また、この弊害は燃費だけではなかった。最後の日、すっかり空荷にして買取店に行く道すがら、こんなにサスが動くクルマだったのか、と目をみはったものだ。乗り心地も損ねていたのである。

手放すことになったきっかけは以前記事にしたが、そうと決心してからも本当になごり惜しく、別れてからはずいぶん感傷に浸った。このあたりは重複するので省きたい。

現行モデルは背が高くなり、標準的SUVのプロポーションとなっているが、当時僕はこのクルマにチェロキーの影を見ていた。同社にはアウトバック(当時はグランドワゴンと言ったか…)もあるので、初代フォレスターの位置付けは中途半端だったのかもしれない。

何かで読んだのだが、北米では奥さん用のクルマとして人気があるという。
ストレスを感じさせない、おおらかな乗り味のこのクルマにはATがマッチしていたと思う。それでも、マニュアル機能も付いてないのに、手持ち無沙汰な左手がやたらとセレクターを動かしていたような気がする。


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手動五速

独身時代の大半を都心で過ごした僕は、はなからクルマを持つことをあきらめていた。
移動はもっぱらバイクで、京都だろうが青森だろうがどこまでも平気で走った。黄泉の国近くまで行ったこともある。

本音では四輪が欲しかった。スーパーカー・ブームの洗礼を受け、「グランプリの鷹」に夢中になった世代である。余談だが劇中のラリー編において、カトリモータースの令嬢・鈴子がナビゲーターになるくだりには強烈に憧れたものだ。その後モンテカルロや1000湖、サファリと何を見てもナビシートに収まっているのはことごとくオッサンで、あれはファンタジーなのだとようやく悟った。
もっとも近眼ではレーシングドライバーになれないと知り、早々に断念した夢ではある。

80年代に入り、ドアミラーが認可されたあたりからの日本車は非常に熱かった。高校生でありながらベストカーを精読していた僕は、例えば今でもスカイラインのHI-CAS作動理論を無駄に説明できる。
そういったことはもちろん蛇足で、徳大寺有恒さんの華麗な文体に心酔しての購読だった。
氏の国産車への視線は厳しかったが、3代目アコードのファーストインプレッションはおおむね好意的だったと記憶している。
ホンダはこの頃「顔」の統一を指向しており、当時最上位だったアコードのモデルチェンジをもってこれを完了したように思う。
このとき3ドアハッチバックに代わって登場した「エアロデッキ」のデザインに、僕は一発で心奪われてしまった。

リトラクタブル・ヘッドランプとあいまって、FF初のダブルウィッシュボーン・サスペンションを採用したことによる異様に低いノーズ。ワンダーシビックをはるかにしのぐ長いルーフ。そして全体にただよう無国籍感。
ただしそのスタイリングはかなり危ういセンでまとめられており、相当好き嫌いが分かれそうな感じだった。やはりセールスは芳しくなかったのだろう。たまにしか見かけないエアロデッキに胸ときめかせ、羨望の眼差しを送ったものだ。

それから十余年。
船舶免許を取り、フットコンを購入した僕は、今ではちょっと考えられないのだがレンタカーを借りて釣りに行っていた。それはそれで合理的なやり方ではあるものの、さすがに面倒くさくなってくる。そこでついに移住を決意し、神奈川県民となった。
いざクルマを探す段になってどれほどのこだわりがあったのかよく思い出せないが、予算が50万だったから適当に折り合いをつけるつもりだったと思う。おそらく、リアゲートがあればいいや、という程度の…

初めて手にした中古車雑誌に、あろうことかエアロデッキの1.8LXR-Sが載っていた。この頃には思い入れもずいぶん薄れていたはずだが、すぐ見に行った。
バーガンディーとガンメタの2トーンはあまり見たことのないカラーだった。それより珍しく思えたのはクルーズコントロールまで付いたフル装備にも関わらずMTだった事だ。10年落ちだが、当時すでにAT普及率は相当なものだったろうし、どちらかというとアコードはマニュアルで転がすタイプのクルマではないだろう。
そんなところも含めてすっかり気に入り、試乗ができなかったにも関わらずその場で決めてしまった。オートテラス店だったので特に不安もなかった。

こうして随分遅いマイカーデビューを果たしたわけだが、動力性能を求めていなかったエアロデッキは走らせても不足のないクルマだった。
それよりも、姿の美しさを愛でながらキーを携えて自分のクルマに近づいていくことの愉しさといったら! ある人からはゴキブリと呼ばれ、それはそれで的を射ており、妙に納得したものだが…
リアシートを倒せば広大なラゲッジが出現し、フットコン一式と二人分のタックルを軽々飲み込む2シーター・ワゴンといった風情に変身した。
これがきっかけとなり、つい先ごろまでエレキ積みっ放しが常習化したのである。

のちに家族が増えたことで思いのほか早い別れとなったが、惚れたクルマだっただけに、5速エアロデッキとの日々はとても幸せなものだった。