湾岸04時
亀山ダム 11/3
天気:曇り時々晴れ
水温:16℃→17℃
アクアラインって幾らだっけか?
久々の上、高速料金が二転三転したので分からなくなった。
まあ、東京経由でのんびり行くか、ということで2:30起きの3:00出発。
東関道を快調に走り、千葉県に入ったあたりで。
タックルボックス忘れた・・・
湾岸習志野ICで降りて、反対方向から乗り直す。
この時点で4時。
参った。
それにしても、忘れたことより、気付いたことが不思議で仕方ない。
私の場合、ボート店で準備にかかった段階に判明しそうなものである。
お台場の夜景がきれいだ。
中島みゆきの「湾岸24時」が頭の中でリフレインする。
♪もう一度戻るなら時の流れを止め~て~
♪こんなはずじゃない時の流れに変え~て~
到着、そして搭載。
さてと、アクアラインで行くか。
7:00到着。
松下ボートの桟橋は大変なにぎわいである。
とっくにスタートしたボートが、水中島や、その他あちこちに浮いてディープをロックオン状態。
やはり亀山の熱さは違うねぇ。
準備を終え、なぜかマークの薄い押込沢からスタート。
というか、すでにどなたか撃ち終えましたか。
ここでのメインはラパンスペシャル。
関東バスに洗礼を与えたかったが、今回は不発、いや、時間切れ。
久々に1stザラも使った。
ほとんどのアングラーがライトリグを操っているが、ショアカバー組とディープ組が7:3といった感じで、エリアによっては岸にスペースがあった。
そうしたところを、クランキングとジャーキングで釣っていく。
意外だったが、ライトリガ-の次に多いのがトッパーである。
レンタル船にハンドコンを付けて、二人乗りで楽しむ姿を散見した。
例によって時間は飛ぶように過ぎていく。
何の反応も得られないまま笹川へ。
東岸には細かい葉っぱやゴミが集積している。
それを嫌ってか、西岸はバサーもヘラ師も多いので撃てない。
ここまでで一番しっくりきていたフラットラップ10でショアカバーを撃ち続ける。
クランクベイトは葉っぱ一枚拾ったら動きが死ぬが、ミノーはジャークするたびに振り払える。
そんなメリットを体感していたら、軽ーい手ごたえ。
20ちょいか。
でも、仕掛けて釣ったのでメッチャ嬉しいー!
さて、次の展開のためにこの魚から得られるものは・・・???
個人的よろこびがあればそれでいい。
10時、ボート下が5mを切ったところでディープクランキング開始。
やはりプロ―二ングサイラフレックスの使用感は絶品。
ビッグCやオーバー5をフルキャストしたときの気持ちよさったら・・・
しかし、釣り人に加えてカヤックやレンタルカヌーを楽しむ人も多く、ロングランのディープクランキングをやりきるのは難しい状況。
ビッグCをショアカバーに放り込み、そのまま足下まで斜めに引いてくるような一挙両得を試みるも、到達深度が足りない。
ただ、これまで不安視していたロングロッドでの近距離キャストが、それほど困難ではないことを知る機会になった。
長くても、しっかりルアーのウエイトが乗って竿が曲がれば大丈夫に思える。
新たな反応を得られないまま笹川を出て、よりとも島周りへ。
ここまで他ボートのアベレージ魚を3尾ほど見たが、やはり厳しいのか。
ただ、集中力は切れていない。
これは間違いなく、あの子バスのおかげである。
水没道路、サッタ下は当然のように銀座状態。
水産センターに到達したところで15時過ぎ、下船まで一時間を切った。。
桟橋横のストレッチに微妙な距離の先行者が一名。
少し待っていたが、声を掛けて入らせてもらう。
気を使ってくれたのか、ほどなく移動され、シャローカバーのストレッチがマイウォーター化した。
サイレント2Aで丁寧に倒木を撃っていく。
対岸から「バス釣れたー!」という黄色い声。
見ると、カップルのボートだ。
女性は感情表現が素直でいいなぁ~
活性が上がる時間帯はこれからだ。
4時の下船を恨む・・・と、ヒラをうった2Aにもんどりうってバスが出た!
心臓バクバクでファイト、掛かり具合も見ずにゴボウ抜きする。
37cm、模様の濃い、姿のいいバス。
これにて納竿、今の自分には最高の結果。
全て出し切った。
翌朝、「何か××忘れた!って寝言いってたよ」と嫁さん。
ネタのようなオチ。
覚えてないが、夢に出てきたのか・・・
痛い記憶
洋楽にうとい。
聴くのはキャロル・キングぐらいか。
あとは…
本作中、「タクシードライバー」の歌詞に『アローン・アゲイン』という題名が出てくる。
中学の頃、これを頼りにギルバート・オサリバンへ行き着いた。
気に入ったのは言うまでもない。
それからしばらくして。
高校を卒業し、進学で地元を離れることになった私には、最後にどうしても会っておきたいクラスメイトがいた。
自転車置き場で偶然を装い、何度か言葉を交わした程度でしかなかったが。
その日、住所に大体の見当をつけ、付近の公衆電話から呼び出してみた。
しかし、こんな唐突な行動が成就するはずもなく、すげなく断られる。
もし会えたとしても、多分何も伝えられなかっただろう。
その人は英語が堪能で、私はいつも後塵を拝していた。
大学に通い出してしばらくの間、オサリバンのアルバムをダビングした、自分用ではないカセットテープが下宿に転がっていたが、いつの間にかどこかへ消えてしまった。
本作を聴くと、あまりにも不器用でマヌケだった当時の自分を思い出す。
1979年の作品






