昨日友達とシティをランニングしてからいつもより遅く帰ってきた師匠。
荷物を降ろしながら、大きなファイルをリュックサックから出して私のとなりに座った。
数ヶ月前にファイナンシャルプランナーに会って相談したときの結果を、遅くなったけど今日取りに行ったんだ、と。
取り出したファイルにはたくさんの資料の束。
家を買うことをメインに相談しに行ったと思っていたけど、時間をかけてプランを提案してもらっていたのは生命保険と傷害保険だった。
後でゆっくり読むといけど、簡単に説明するねと始めた師匠。
いきなり。
もしも僕が死んだら。
これ。
と、プランの金額を指差した。
私はなんだか固まってしまって、その後の植物状態の場合とか障害が残った場合などの説明もほとんど耳に入らなかった。
もしも僕が死んでも、
住むところに困らないように
家のローンに困らないように
太陽が大きくなるまで今と同じ暮らしができるように
今と同じ気持ちでSOULが仕事を続けられるように
ずっと守ることができるように。
このプランが僕のお気に入りなんだ。
とどこか無邪気なくらいまっすぐに語る師匠を見て私は胸が苦しくなった。
いらない。
いらないよ。
いらないよ、そんなの。
涙が出てきて。
いらない、いらない、いらないと、子供のようにいい続けた。
師匠が死んだらなんていう話の想定と、師匠の命や健康を金額という形で見ることへの抵抗が私を支配して、いらない、しか言えなかった。
いや、これはもしもの話で
一度しかしないし
SOULだけじゃなくて太陽も守っていかなきゃいけないんだよって。
そう師匠は言うけど。
もし何かがあったら
私はちゃんと師匠の分まで頑張れるから
もっとちゃんと働くし
太陽も育てるし
オーストラリアはシングルマザーの補助はすごく厚いし
いざとなったら再婚しちゃうんだから
そんなこと言わなくていい。
と私はどう考えても幼稚な意見で対立してみた。
こないだ一緒に見た、蛍の墓のせっちゃんみたいになってほしくないんだから、僕は。
って、空襲で親を亡くして食べ物の困って栄養失調で亡くなったせっちゃんと太陽を重ねていた。(それは時代錯誤)
結局、全部太陽の名前でやるならいいよって、判断は全部師匠に任せて話は終わったけど。
寝るとき、師匠の寝息が聞こえ始めてから、また思い出して、私はひとり涙を流した。
もしも僕が死んだら。
そんな話は聞きたくなかったけど。
生命保険の金額なんて火曜サスペンス劇場の事件みたいで考えたくもなかったけど。
だけど太陽がやってきてから、前よりももっともっと師匠の温かい羽毛の中に包まれて生きていることを実感して、この涙はそんなたとえ話への抵抗というよりも、ひとつのうれし涙なのかもしれないと思った。
お金は愛ではないけど、その温かい羽毛がずっと消えないように残しておきたいという師匠の愛は、お金という形に変わることもあるのかもしれない。
大きな大きな、優しくて温かい羽毛が嬉しくて、寝てる師匠の手をそっと握って思ったことは。
もしも私が死んでも、
一生の食べ物に困らないように
毎日料理を多めに作って
大きな大きな冷凍庫に
美味しいご飯を冷凍しておこうかな。
だけどこの手の温もりが消えないように
元気でいられるように
毎日美味しいご飯を作るよ。
師匠がいつも元気でいられますように・・・色んな愛のカタチ。