とても恵まれた入院生活《 自分史[73]》 | オカハセのブログ

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入院した最初の期間はずっと独房の中だった。監視カメラは仕方ないけどトイレの時は嫌だなと感じていた。
独房に居る期間は手荷物は殆ど無い状態だった。だけどこちらが希望すれば「大丈夫と判断したものだけ」持ち込めた。僕は日記を書くためのノート1冊とペンと五線譜ノート1冊を許可してもらった。
やること無いのでひたすら日記を書いて、挙句には夢日記まで書いてた(笑)。
独房に居ると、軽い症状の人でも少しメンタルがヤバくなるらしいが、僕は「内観出来る機会」と思いながら日記を書いて楽譜も書いたりしていたから比較的マシだった。
ただ朝早く起きて夢日記とか書いていると「早朝覚醒」と判断されて薬を強くされたのは引いた。夢日記だから枕元に日記帳置いてるけど書き終えたらまた寝るつもりなのに…

ところで、僕が持ち込んだ「大○」(weedの正式名)のことだが。
病院に呼ばれてやってきた父から責められていると、院長が面会部屋に入って来た。「オカハセ君は○麻か。うん、大○はこの病院では初めてだなぁ。みんな覚○剤ばかりだから」と能天気な顔で言った。それから「お父さん、息子さんのはそれほど効かない部分ですよ。だから気にするほどじゃないです」と言うので、父「そうなんですか…  ご迷惑をお掛けしました」と。
多分父を安心させるために言ったのだろうけど、院長詳しい…
持っていたweedは「猫屋敷」(仮名)のマスターから手に入れていたものだった。

独房は通常1週間ほど入るらしいが、内観効果のせいもあって比較的マシだったようで5日間で普通部屋に移れた。今度は1人部屋ではない。
僕は比較的順応して更に楽しみ方を見つけるのが得意なので、独房のほうが良かったとさえ思った(笑)。とにかく内観する時間はたっぷりあったから。ただやはり3ヶ月間、ノート2冊とペンだけは耐えられなかったとは思う。

普通部屋に移ると、院長が約束してくれた「楽器を吹く時間」を1回30分の週3回与えてくれた。
僕としてはまさか吹けるとは思っていなかったので感謝だった。
そして次の院長の回診の日。
院長「どうだね、吹いてるかい?」
僕「はい、お陰様で30分ずつ週3回与えてもらってます」と言うと。
院長「なんだ!たったそれだけしかやらせてもらえて無いのか?」そして看護師に向かって「部屋ならいくらでも空いてるだろ?毎日3時間とかやらせてあげなさいよ!」と。
看護師「意外と部屋は使っていて空いてないんですよ」
院長「体育館でも非常階段でも客室(患者の家族が泊まれるための部屋)でもあるだろう。機転を効かせなさいよ」
看護師「でも院長、1人だけ特別扱いするのはまずく無いですか?」
院長「特別扱いじゃないだろ。彼にとっての治療の一環だろ。とにかくもっとやらせてあげなさい」と。
回診が終わり部屋に戻り、少しすると1人の看護師が来て、申し訳無さそうに「楽器の練習の件ですが、少し待ってくださいね。前例が無いので調整に少し手間取ってます」と言われた。
ワンマン院長に振り回されて職員は大変だろうけど、僕にとってはワンマン院長で良かったと感謝しました。
それからは毎日2時間、そして部屋が空いている日曜祝日は午後に5時間も使わせてもらえるようになった。
入院中にいくつも曲を作ったし、アドリブ練習用の譜面も沢山書いた。
3ヶ月の入院はとても規則正しい生活のため僕にとっては【山に籠るくらいに理想的な環境】だった。普段ならあり得ないくらいにあらゆる事に没頭して有意義な時間になった。

退院してからは通院もそのままその「カチューシャ病院」(仮名)になった。
デイケアに参加することになり、そこでも昼ごはん以外の時間帯は全て、個室(患者の家族が泊まれる部屋)での練習をさせてもらえることになった。
デイケアスタッフからの「特別扱いではないんですか?」に対して、院長は「何を言ってるんだよ昼ごはん以外は奥の部屋でずっと寝てる人よりは遥かに前向きだろう」と。
確かに、デイケア参加者の3〜4割はずっと寝てる人だ。





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