サックスを破壊する《 自分史[65]》 | オカハセのブログ

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この頃は様々なことで僕のメンタルが限界に来ていて崩壊スレスレになっていたと思う。酒などを呑むと荒れるようになって来た。量は呑めないからその分だけマシなくらいで。
その後、長崎市のジャズ屋「カンパイ」(仮名)に、わりかし重鎮といえるクラスの堀田(仮名)さんというトランペッターがライブをすることになり観に行った。リズムセクション(ピアノ&ベース&ドラムス)は長崎市地元の熟練ジャズメンが務めて、堀田さんは単身で東京から来た。
ライブの後はジャムセッションになり僕もサックスで参加した。最初のうちはお酒は結構呑んではいたけど和気藹々に参加していたのだけど、段々と僕はタチの悪い酔っ払いになっていたと思う。延々と吹きまくる僕にマスターも内心困ってたと思うけど、笑顔を無理矢理作って「もうええって、やめや(笑)」と止められてもまだ吹きまくり、その後マスターに何を言われたかは酔って覚えてないけど、多分グサッと感じる指摘をされたのだと思う。更に一部始終を見ていたトランペットの堀田さんから「君はサックスを吹くのはもうやめたほうがいいね。やる資格が無いよ」と言われて、僕は「あーわかりましたよ!」と言いながら発作的に自分のサックスを床に叩きつけて壊した。そしてまわりがドン引きするなか店を出た。
しかし数分後に思い直して店に戻り堀田さんに「いや、俺はサックスやめるわけにいかないんですけどね!」と言った。堀田さんは半笑いで「勝手にやればいいだろ」と言った。そして僕は多分「なんだか随分と偉そうですね!」と捨て台詞を吐いて店を出て、もう2度と店には戻らなかった。
翌日、僕は河川敷でチェックしたが、サックスは既に壊れて演奏不能。
途方に暮れて「カンパイ」のスタッフの1人が昼間にバイトしている喫茶店に行った。前日(僕が店で壊れた日)の「カンパイ」はその子は休みだったので彼女は何も知らないから、単に僕が喫茶店に顔を出してくれたくらいにしか思ってなかったと思う。結局僕は前の日の自分の失態を話すわけにもいかず、喫茶店を出た。彼女は「?」な表情をしていた(多分その後「カンパイ」でマスターから理由を聞いて合点してると思うけど)。
路上ライブだけを生活の生業にしていた僕は途方に暮れた。残金も残り少ない。
僕は電車に乗って隣町くらいの場所にあるジャズバーを訪ねた。イーゼルのマスターが連れて行ってくれたオフ会&セッションの時に比較的話しかけてくれたママさんがやってるバーだったから。もうそこを頼るしかなかった…
店に着くと最初はもちろん喜んでくれたけど、自分の事情を全て話し終えると、正直困ったようで奥のほうに座ってる常連に相談をしていた。
ママ「どこか居候させてくれそうなところはないの?」僕「宮城県の仙台のある方がもしかすると受け入れてくれるかもしれない」と言うと「わかった。まず今そこに電話しなさい。そして受け入れてくれるならそこまでの飛行機代を出してあげるから」と…
ママさんの携帯電話を借りて仙台のある方に電話をかけた「もしもし長谷川です。ご無沙汰してます」ある女社長「長谷川君元気!今度はいつ仙台に来るの?」「あのもしかすると1週間以内に行くかもしれないけどしばらく居候させてもらえませんか?」女社長「いいよ!来なさい」(もちろん女社長のご主人もいる宅です)。
そしてバーのママと常連の人には仙台に行くまでの数日とても世話になった(と言うか、迷惑をかけることになった)。
しかし僕は約20年以上経ってるのに、未だにこのママへも「カンパイ」のマスターにもお詫びに行っていない…

宮城県仙台に着き女社長宅に着き、ご主人も息子も歓迎してくれたので、僕は少し安心した。
実は仙台市のこの女社長はコンパニオン会社をしていて数年前にとある場所のイベントで知り合ってから度々泊めてもらいお世話になっていた。そして宗教法人「エ○バの○人」の信者でもあった。色々と問題ある宗教団体ではあるが、信者の皆さんは親切で優しい人が多いのは事実です。
因みに壊れたサックスはどうしたかと言うと、仙台市の某ジャズバーのマスターの知り合いのリペアマンに修理費を値切りに値切ってくれて、治って修理代を払い終えるまでの間マスターの弟子のテナーを貸してくれた。
そして日々路上ライブでお金になるごとにリペアマンのところに払いに行き、そして払い終える頃にはジャズバーのマスターからも嫌われていました…
やはり自分は何かがおかしいのだろうと認めざるを得なかった。
季節は確かとっくに春を迎えていたので札幌に帰ることになります。この女社長家族とは気まずくなることはなく仙台を後にしました。


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