札幌に帰ったとて、ホームレスなので引きこもることは出来ないのでずっとメンタルは休まらない。路上ライブはだいたいはサウナ代ギリギリくらいの稼ぎなのだが、たまにお金が沢山入る日もあり、そういう時はお金が尽きるまで外に出ずにサウナに連泊して引きこもっていた。
しばらくはそんな感じでサウナ泊まりをしていたが、弾き語りの路上ミュージシャンの「ハム」(仮名)に知り合い「白石区菊水」という場所にある『根岸荘』(仮名)というアパートを紹介してもらい、住む。そのアパートの大家は高級鞄作りの職人だが、社会的に不適合な人間ばかりをアパートに引き入れる人で無職の路上ミュージシャンでも受け入れてくれた。ススキノから徒歩で15分くらいの場所なので割りかし便もいい。それでいて家賃は1万2千円という安さだった。建物はボロボロだしアパートの玄関も廊下も汚くて誰も玄関で靴を脱いで上がらないアパートだった…
最初はハムもそこに住んでいたのだが他のアパートを見つけたらしくすぐにハムの友人の「夢ちゃん」(仮名)という人間が入ってきた。彼も路上ライブで生活していた。ハムも夢ちゃんも音楽のセンスはとても良かった。話も合うので3人でバーベキューとかすることもあったしセッションもした。みんな社会的に不適合者だった。夢ちゃんは3人の中で一番社会から脱落しなそうだったけど、ハムに関しては僕よりも更に社会不適合だったんじゃ無いかなと思う。
ハムはいつもWeedで酔っていて、夢ちゃんに関しては更に悪い薬に溺れていたようだった。でも夢ちゃんから薬をススメられることは無かった。ハムからはWeedを時々分けてもらったりしてた(僕は過去の旅先で何度か経験済み)。どうやらそのアパートに住む人はみんな「アルコール」や「ブロン錠」や「精神科の処方薬」や「シンナー」などのなんらかの依存を抱えた人が多かった(僕も数ヶ月後には精神科に通院して抗不安薬などに依存することに)。なにせ廊下には大きなバケツにブロン錠の空瓶が大量にあってしかも大家さんも片付けない(笑、多分大家さんも慣れて感覚がマヒしてる)。そんな環境ではあったが、それでもハムと夢ちゃんもピュアで優しくて僕にとってはとても落ち着ける仲間だった。
ただそこに1人お爺ちゃんが生活保護でひっそりと大人しく住んでいたのでそのお爺ちゃんにとっては少し環境がかわいそうだと思った。
でもとにかくホームレスからはなんとか解放されたので僕にとっては最高な城だった。何故ならホームレスの時よりも精神的に安定して来たから。
家賃の分だけでも路上ライブで稼がないとダメなので週に4〜5日はススキノ辺りに行ってサックスを吹いた。
ある日、街を歩いていると昔徳島市で会ったアクセサリー売りの優作さん(仮名)の奥さんの「ゆみ」さん(仮名)に会う。今住んでるアパートを言うとすぐ近所に住んでるとわかり、優作さんの家に時々遊びに行くことになる。
どういうキッカケかは忘れたけど、ススキノにある歌声喫茶「トロイカ」(仮名)というところにお世話になっていたことがある。楽器を吹けばお金は無くても店にいられたので、通うことになる。この「トロイカ」には「浜辺」(仮名)というとても音楽センスのあるピアノ伴奏スタッフがいた。彼も社会不適合者ではあったが母性本能をくすぐる魅力があり、彼を支える女性が大抵いた。この店のマスターにも彼は愛されていた。チャラ男でいい加減なキャラだったけどピアノの音はとてもピュアだった。
札幌でボロアパートに入居した頃から、茨城県水戸市で知り合った日立市在住の「田島さん」(仮名)というドラマーに水戸などでのライブに僕をよく誘ってもらっていた。
僕は札幌〜苫小牧港〜大洗港までのバス&フェリー代だけ用意すれば、向こうでの食事はそのドラマーが出してくれて、そして日立市のドラマーの自宅に寝泊まり出来たので、2〜3ヶ月に一度くらいのペースで茨城にライブを演りに行っていた。
この人には大変に世話になりとても良くして貰っていたが、後には迷惑かけることになる…
ある日ススキノの路上でサックスを吹いていると20代前半くらいの女の子が立ち止まって何曲も聴いてくれた。話しかけると、旭川方面の小さな町から遊びに来ていた子だった。その町は、札幌から旭川方面に80キロ程北上したところにある静かな町だ。