自分から進んで孤立する《 自分史[63]》 | オカハセのブログ

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そして僕は、コンプレックスから来る自信の無さを取り払うために【鈍感】になることにした。

つまり【開き直り】の手段に出たのだ。

とても自分勝手な己をどんどん自分自身でフューチャーさせて追い込んで行き「これが俺の音楽だ!」と、自分にストッパーを全くかけずに、それはもうとても【音楽とは言えない、野蛮な自己表現】に徹することにした。当然の如く更に自分は孤立して行くのだが【自分でわかってやっているので強くなれてるような錯覚】が出来た。

しかし更に誰からも相手をされなくなり、とうとう自分の音楽活動は【たった1人でススキノのミスタードーナツ前でサックスを吹くこと】その1つだけになってしまった。「彼はジャズ活動が好きとかバンド活動が好きとかではなくて、ただサックスを吹くことそのものが好きだから路上で1人で吹いているんだ」という褒めてるわけでも貶しているわけでもない解釈で噂されていた。現実にはそれは誤解で、自分はバンドをやりたくても組めず、瀬尾も一緒に演奏してくれない孤独の中で、とても悲しい気持ちで日々路上ライブをしていたのだ。


ある時テナーサックスを大掛かりなメンテをしないといけなくなりリペアに預けたら、今度はその修理代を払うのに何ヶ月もかかることになり、その間はアルトサックスのみで演奏していた。


ある日の朝方、いつものようにアルトサックスを吹き終えてサウナに向かう途中で、当時札幌では権威のあるベーシストの説法さん(仮名)に偶然会ったので少し立ち話をした。今の僕の現状を知って説法さんはボーカルの黒石さん(仮名)がオーナーのジャズバーに僕を紹介していただけることになった。

それからは少しの間は、路上ライブの前や合間にしょっちゅうその店で演奏することになりました。だけどアルトサックスを吹いてる僕の演奏は未熟で説法さんに響かなかったと思う。少しずつ塩な対応になって来て(演奏だけでは無くて多分人間性もだろう)、僕に話しかけることもなくなったので、なんとなく店には行かなくなった。

けど黒石さんは「いつでもまた来なさい」とは言ってくれた。

今から振り返ると、ホームレスになりながらもサックスを吹いてる僕のことを説法さんや黒石さんはとても心配や応援をしてくれていたのだが、この頃の僕は…もう本当に…自分のことで精一杯で…

いや、、自分のことしか考えてない自己中だったと後悔している。

説法さんはもう亡くなってしまったし、黒石さんに会いに行って謝る勇気もまだ持てない…

しかしそれは向こうからすると「顔も見せない薄情な人間」にしか映らないと思う…

そうこうしている内に、冬になり路上ライブは厳しくなる。実際に凍ってサックスのキーが動かなくなったり開かなくなったり閉じなくなったりで死活問題なので、西の方へまた春までしばらく放浪することに決めた。

流石に未熟なアルトで回るのは頼りないので、テナーの修理代をなんとか払い切ってからテナーを手に札幌を後にした。

今回の放浪では、ほぼ一気に九州へ移動する


宮崎市内には「四海樓」という安い中華料理店があった。店内は3フロアに別れていていちばん安いフロアはラーメンと焼きそばが100円!そして中くらいの値段のフロアも麻婆豆腐250円、海老のチリソース煮が350円、鳥の唐揚げが200円!この店にはかなり助けられた。

因みに、いちばん高いフロアは宴会客用なのでもちろん入ったことはない。

宮崎には10日間だけ滞在して、そのあと鹿児島に移動した。

鹿児島市の老舗のジャズ屋「パノニカ」によく顔を出して飛び入り参加とかさせてもらっていた。

白田さん(仮名)というピアニストに少し気に入られて自宅に泊まらせてもらったりもした。

ある夜、白田さんの自宅で一緒に呑んでいた時に、僕の今の札幌での現状と悩みを打ち明けた。札幌では完全に干されてることや、誰も一緒に演奏してくれないことや、その他演奏上の悩みなどを。

そこでもらったアドバイスで未だに心に残ってることがある。

それが次の言葉だ。

[64]に続く


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