ホームレス。そして完全な孤立《 自分史[62]》 | オカハセのブログ

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流石に外で寝ている間に大事な楽器が盗まれては困るので、路上演奏で毎日サウナ代以上は稼がないと行けない。この頃はまだ現在に比べたらずっと景気が良かったのでなんとか毎日サウナに泊まることは出来た。

しかしいっときも休めないのは辛かった。だからたまたま沢山稼いだ日には、数日間サウナ施設から出ずに連泊してメンタルを休めた。


一方でベースの瀬尾はあちこちで引っ張りだこになって行き少しずつ僕に付き合っているような状況ではなくなった。僕とつるむのは多分色々リスクがあるのだろう。あちこちで瀬尾の耳にも「長谷川、アイツは云々」と間接的または直接的に届くようになっていて、瀬尾からしても否定することは出来ない事実だったようだから「ホントですよね」と、1〜2割の社交辞令と8〜9割の本音で返事をしていたようだ。

なので全く顔を見せない。

だけど彼は彼でジャズ研の学生達で派手に見栄えの良いストリートをしていた。先ずそもそもコントラバスがあるだけで見栄えが半端なく良い。僕がひとりで吹いていているよりも瀬尾達が3〜4人で演奏しているほうが10倍以上は投げ銭が入っているらしく彼らは終わった後に飲みに行ったり焼肉に行ったりしていた(実際、僕が瀬尾達とやっていた時の稼ぎは良かったのは事実です)。こっちはサウナ賃と食事代の2千円を確保するのが大変だった。多分彼は長谷川がこんなに投げ銭に困ってるとは思わなかったんだと思う

僕は悔しさ怒りでついつい「瀬尾!なんで学生達で小遣い稼ぎをやって、俺とはやらないんだよ!俺は生活大変なんだよ!」と横柄な言いかたで怒鳴るものだから「そんなの俺の勝手ですよ!」とキレられた。

もっと素直になるべきだった。「瀬尾、俺は本当に毎日のサウナ賃確保するのも大変なんだよ。頼むから俺も仲間に入れてくれないか?ひとりで無伴奏で吹いてると本当に投げ銭は少ないんだよ」と言うべきだったがプライドが邪魔をして言えなかった。

もちろんひとりで無伴奏で吹いていても稼げるストリートミュージシャンもいると思う。それは路上ライブで客を集めるセンスがある人だ。

そういう意味で、長年路上ライブで生活して来た僕は「路上ミュージシャンとしての才能が無い」と良くわかった。基本的にひとりで演ってるストリートミュージシャンは愛想もある程度必要なのは事実だった。

しかし瀬尾は僕と絡むことが札幌のジャズメン達にあまりよく思われない空気の中にいたのかもしれない。

忙しいのもあるけど、実際に「あの頃は俺も自分のことで精一杯で、敬遠していたのは確かだった」と後年言われたことがある。

そして余りにも札幌ジャズシーンから村八分にされるものだから本来軟弱な自分のメンタルは更に自信が無くなっていった。【空気を読めないイタい部分はおそらく自分の演奏にも反映されていた】だろうから、その角度から批判を受けることも多かった。なのでステージに立つと「自分のイタい部分がまた出てるのではないだろうか?」と心配になってしまい、全然自信の無さそうなサウンドになっていった。

そんな自分が情けなくなっていった僕はある時から、コンプレックスから来る自信の無さを取り払うために【鈍感】になることにした。

つまり【開き直り】の手段に出たのだ。


そして僕は更に孤立していった。

[63]へ続く


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