札幌での独り暮らしスタート《 自分史[51]》 | オカハセのブログ

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小野の住んでるところは確か「北区 北14条西3丁目」辺りだったと記憶している。近くには中島みゆきの卒業した藤女子短期大学がある。

結論から言えば、札幌で自分のアパートを借りるまでの数ヶ月間の小野との居候生活はストレスはほとんどなく乗り切れた。或いは小野が我慢強かったのかな?だけど僕が独り暮らし始めた後もしばらく関わっていたから相性は良かったのだろう。
でもそれだけではなくて、後から知ったことだが小野には心に深い傷を覆う過去があった。だから僕のことも放って置けなかったのだろう。それは我慢というのとは少し違っていて、僕の行動の理由が完全とは言わなくても理由がいくらか想像できるから付き合えたのだも思う。人は理由が分からずにおかしな行動を相手が取った時には腹をたてるけど、何か深い理由があると理解できる場合は度がすぎない限りは頭には来ないものだから。
小野はジャズトランペットを吹いていた。
彼は杉山を始め札幌の若いジャズマンからもわりと好かれていたので、緩和剤になってくれて僕は相当に助かった。なのでメンタルの調子は比較的良かった。だから小野との居候生活もある程度うまくいったのだと思います。
もちろん小さなトラブルが全くなかったわけではないです。

ところで話は前後しますが、
札幌に帰って来てからすぐにホームレス芸人オルカに再開しています。
そしてその頃頻繁に路上に出て来ていたジャンベを叩く「宇田さん(仮名)」という人にも知り合った。
ススキノでの路上ライブが終わった真夜中に朝方までオルカと宇田さんとの3人でロッテリアで話をしたりした。時々他の客が「オルカさんですよね?」と声をかけて来ていた。既に札幌ではオルカは有名人だったから。

一度僕が居候している小野宅に青森から嫁さんが遊びに来た。僕が居候で小野に迷惑をかけているのではないかと心配して様子を見に来て、緩和剤の役目になろうとしてくれたのだ。
嫁さんは小野とコミュニケーションを取ってくれて非常に助かったし嫁さんも僕が小野と相性が良いと知って安心して青森に帰っていった。

数ヶ月が過ぎて小野が前に住んでた、風呂とトイレが共同で家賃が2万円以下のアパートを紹介してくれた。不動屋さんを通さない電信柱に「空室あり」のチラシが貼ってあるアパートなので、定職についていない僕も小野の紹介ということで無事に入居出来た。
確か「北区 北16条西4丁目」辺りだったと記憶している。
当時は僕もまだ30代に入ったばかりで元気だったのでススキノから夜中に1時間くらいかけてテナーを片手に帰って来るのはしょっ中だった。
昼間は時々、恐ろしくボロくて隣の練習音がまる聴こえだけと恐ろしく安い「スタジオミルク」を利用した。受付は隣の「喫茶ミルク」で行う。
ここはアマチュア時代の中島みゆきが利用した有名なスタジオです(中島みゆきファンは札幌に訪れると藤女子短大〜スタジオミルク&喫茶ミルクを行くのが通例となってる、笑)。

こうしてやっと独り暮らしが始まった。



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