居候の心得が欠如していた《 自分史[50]》 | オカハセのブログ

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僕の居候先の杉山は札幌のほとんどの(特に若い)ジャズマンと繋がりがあったために、周りにもあまり居候関係がうまく行ってないことは知られていた。若い人達は自分の友達或いは尊敬する先輩のところに邪魔者が居候して来たと取る連中も少なくなかっただろう。今から考えたらそれは普通の反応だとわかるのだがその頃は分からなかった。僕が悪い部分があるということさえあまり感じていなかった。大人連中に関しては【きれいなものしか見ずに育って来たような人以外はあまり僕に対しての差別意識を向けている感じはなかっ】た。
ある晩、函館の地球塵(仮名)のライブの時の対バンのリーダー(女性)がピアノを弾いているジャズクラブに僕は顔を出した。札幌に来たばかりの時に飛び入りでサックスを吹き「またサックス(笑)持って遊びに来てくださいね」と行ってもらえたから遊びに行ったのだ。
ところが僕の顔を見るなり彼女は「あれ?まだ青森に帰らないんですか?…」と冷たく言った。そして「なんだか杉山のところでダラダラしてるって聞いてるけど、もっとちゃんとしないとダメですよ。良い大人なんだから…」と言われた。
杉山の話を100%信じて僕の話は聞こうともしない。とても「サックスで少し入りませんか?」とは言われるような雰囲気ではなかったから、早々に店を出て居候先に帰った。
その日から1週間程部屋に引きこもった。だけどこの「ひきこもり」が尚更、杉山を怒らせることになったのだ。部屋でダラダラ寝てばっかりいる。だけど僕はチャリーパーカーがマイルスデイビスのアパートに居候してた時よりはずっとマシなはずだ!
…     すいません冗談です(笑)。
身体がコンセントに繋がないとどうしても動かないという事は到底彼には理解できないし他の多くの人も理解できなかった。ただの怠け者としか思われなかった。ただの怠け者だったら青森から出てこない。より自分の発展のために出て来たのだ。でも何故かこうなってしまう…

恐らく悪い噂はどんどん広がり時には杉山の師匠のジャズギタリストの小川(仮名)氏からも軽くだけど説教されたりしました。

そのうち初対面の人までもが僕に対してよそよそしくなっていった。それは自分の心が過敏になっていたにしても、少し不自然なくらい多くなった。
大人のミュージシャンは悪い噂を聞いても一応自分の目で確認するまでは鵜呑みにしないか或いは鵜呑みにしてる大人でも「大人な対応」…をするのだが、なにぶん学生だ。しかもどちらかといえばお嬢様やおぼっちゃまな【きれいなものだけを信じられる若者達】。自分の先輩などが言えは鵜呑みにするものだ。
こうして書いててもそれは被害妄想ではなく、むしろ当時の僕が気がついていないイタイ部分が理由だったということは今ではわかっております。
さすがに僕にとっても杉山にとっても精神衛生上良くないので松本君の親友の小野に電話をかけた。杉山のところに居候始めたばかりの時に松本君が「杉山のところにいられなくなったら小野のところに居候させてやってくれないか?」と頼んでくれていたからだ。
小野は噂は知っていたが、笑いながら「俺はずっと寝てるという理由だけで追い出しませんから大丈夫です」と言ってくれた。



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