先行きの不安を感じる《 自分史[49]》 | オカハセのブログ

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10日間くらいすると松本君はギターを弾く後輩の「杉山君」(仮名)のところに居候先を紹介した。杉山君はむしろ僕を居候させることが、ジャズをやる人間として自慢にもなる気持ちだったようで最初は大歓迎でした。しかし実際にはその気持ちは長くは続かなかったようだ。

玄関入ってすぐの個室を僕に与えてくれた。杉山君は奥の部屋なので特に台所とかに用が無い限りはプライバシーを守れる環境にしてくれた。
最初の10日くらいの間は夜に彼が働いているススキノのジャズバーに顔を出し店が終わると一緒に餃子の「みよしの」(地元では有名な美味しくて安い餃子チェーン店)で腹ごしらえをしてから帰って来て家ではギターを一緒に弾いたりするくらいに仲良くやっていた。
昼間はテレビ塔のある大通り公園や駅前通りやアーケード「狸小路」の入り口辺りでサックスを吹いて日銭を稼いでいた。この頃はまだ今よりは景気が良かったからストリートの稼ぎで夜はジャズバーやライブハウスに行くことができた。
10日ほどすると、僕がジャズバーに顔を出しても杉山君とは話が弾まなくなり「俺この後寄りたいところあるので先に帰ってもらって良いですか?」となんだかよそよそしく言うので次の日からは彼が働いてるこの店には顔を出さないようにした。違う理由で来た場合もカウンターには座らなかった。

この頃札幌に大きなジャズライブの店「チャオ(仮名)」というのがあった。東京で長年ジャズミュージシャンのプロデュースをして来た「川上さん(仮名)」が札幌に移住と同時にオープンさせた店だ。
そのライブハウスには少なくとも週に1〜2回は通った。結構中央のミュージシャンを赤字になりながらも呼んで頑張っていた店だった、そこでは地元のミュージシャンに飛び入りさせてもらったりした。中央のミュージシャンらの本番ステージ後のジャムセッションに加わったりもした。
もう少し落ち着いたらこの街で自分のユニットを組むつもりでいた。良いミュージシャンは沢山いるから後は僕のビジョンに出来るだけ温度差がないサウンドを持っている人間で固めるつもりだった。
ドラムは自分の中ではもう決まっていた。函館の「地球塵(仮名)」で対バンだった札幌のバンドのドラムの「ターニャ(仮名)」だ。彼女のドラムに惚れ込んで僕は結婚しているにもかかわらず札幌へやって来たし嫁さんも音楽活動を応援するために送り出したのだから…
しかし居候宅に帰っても杉山君は俺と口を聞こうともしない。
そうこうしてるうちに「チャオ」に来てる学生のミュージシャンや「ターニャ」さえもなんだかよそよそしくなって来ていた。
僕は被害妄想かもしれないとその都度アタマの中で打ち消してはいたが自分の事で「あることないこと」或いは【ないことないこと時々あること】(笑)が噂されているという不安を感じた。






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