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オレンジ応援日記

法政大学体育会バスケットボール女子部『HOSEI ORANGE WITCHES』応援ブログです。

先日9月24日のことですが、91歳になる母が急に背中に激痛が走り、急遽弟夫妻が、かかりつけの内科に連れていき、受診したところ、狭心症の疑いもあるということで、緊急搬送を実施していただいて、急性心筋梗塞とのことで、カテーテル手術をしました。

 

昨年、大腸の手術をした同じ病院で、心臓カテーテルでは日本一の病院なので、処置も早く梗塞も完全に詰まってなかったようで、手術も成功しました。

 

思った以上に術後経過も良く、食事もちゃんとできてるようで、高齢による血管の弱さもあるので、慎重にしていただいていますが、経過は順調のようです。

 

普段から90歳代に見られない母ですが、栄養状態も70歳代ぐらいと言われ、ICUに入ってた日も「ICUで一番元気な患者さん」と看護師さんに言われるぐらいで、血色もよく至って元気です。

 

少しリハビリに時間がかかるでしょうが、10日から2週間ぐらい入院して、状況見るという感じでしょうか。

 

元気とはいっても、やはり90歳超えてますので、ちゃんと診ていただいてと思っています。

 

ちなみに、その9月24日は母の母の50回目の祥月命日で、ちょうど去年が50回忌なので、ホントに久しぶりに母が法事を営んだのですが、多分おばあちゃんが「まだ来るな!」と追い返したんでしょうね。

ちゃんと守られてたからだろうと、感謝しております。

ちょっとわけわからないネタではあるのですが、本日2025年(令和7年)8月23日は、1967年(昭和42年)12月13日誕生日の私にとって、57歳8か月10日で通算21,073日目になります。

 

この誕生日でも何でもない日なのですが、この日が何かというと、戦国時代を終結させ江戸幕府を開いた三英傑の1人である徳川家康が、関ケ原合戦を迎えたのが彼の21,073日目に当たります。

 

要は、徳川家康の関ケ原合戦の年齢ちょうどに私が迎えたという「私の関ケ原」ということです。

 

軽い歴ヲタの私は、もちろんこの戦国時代も好きで、様々書物や映像などで学んだり自己研究してみたり考察するのですが、先日ふと「徳川家康って関ケ原の時、ちょうど何歳だったんだろう?」と調べて、21,073日目だと知って、自分もまもなくその日を迎える、ってのがわかりました。

 

 

よく雌雄を決する表現で、ビジネスや一般的表現でも

「天下分け目の関ケ原」

などと使います。

 

日本史上もっとも有名な合戦でありますが、徳川家康は様々な権謀術策や情報戦を繰り広げて、この合戦を勝利し、約260年にわたる江戸幕府の礎を築きました。

 

「関ケ原」にまつわる映像作品を見ると、たいてい徳川家康の描写は、かなりの老齢で、俳優もベテランが配役され老獪に演じられてることが多いです。

 

もちろん、当時の年齢だと言えばそうなのかもしれませんが、現代の57歳8か月10日レベルで、あんなおじいさんはいないようにも思いますね。

 

 

さてさて、そんな私の「関ケ原の日」ですが、ここ1年ほど携わってる少し大きめのプロジェクトが、まもなく稼働するにあたり、直前の1週間はそれに向けた準備や対策など、かなりのドタバタで毎晩帰りも遅く、それこそ戦場であり合戦のようでもありました。

 

なので、私の57歳8か月10日の21,073日目は、その疲れを癒すべく徹底的に休んでおりました。

 

 

徳川家康の「関ケ原」と同じ日数を迎えたのを感慨深く思い、私の本来の『関ケ原』に向けて、また日々戦っていこうと思っております。

本日8月15日は、先の大戦から80年目の終戦記念日です。

あえて1年前の今日書いた記事と同じ内容を転記しようと思います。

 

昭和42年生まれの私の世代は、親世代がだいたい昭和一桁から昭和10年代生まれなので、大東亜戦争は経験しているものの、ほぼ幼少期から中学生ぐらいまでの方が多いと思います。

 

私の母は、兄3人と10数年遅く生まれた女の子で、すぐ上の兄、私にとっては伯父にあたる人ですが、実は大東亜戦争で軍人として25歳で戦死しています。

 

私の世代の親や伯父におそらく軍属した方は少ないはずですが、私は結構身近な血縁が、戦争で軍属として命を落としています。

 

もちろん、会ったことはないのですが、普通に自分の伯父・叔父ぐらいの距離感ですから、私にとって決して遠い昔の戦争に感じてはいません。

 

 

日本は、この大東亜戦争以来80年間、外交の最終手段としての国際的紛争を解決するための戦争を行ってはいません。

もちろん日本国憲法第9条があるから、なのかもしれませんが、明治維新後、明治4年の大日本帝国陸軍創設以来、これほど戦争を行ってない期間はなかったのです。

 

「戦争がない時代」「平和で秩序ある世の中」であり続けることは大変素晴らしいことですが、本来それを維持するのは大変な努力が必要なわけです。

 

事実、日本を離れれば、まだ世界的には多くの国や地域で紛争は絶えず、戦火に巻き込まれた一般市民や子供たちが、多く虐殺されているわけです。

 

全ての戦争に正義があるわけではありません。

とはいえ、国際的紛争を解決する外交の最終手段が戦争なわけですから、戦争当時国にとっては、どちらにも「正義」があるのは事実です。

 

国を背負った「正義」が相手国と相容れないわけですから、「戦争には正義がない」とも言えますが、逆に『戦争にしかない正義』も厳然としてあるわけです。

 

だから国際外交というのは難しいわけですね。

ロシアもイスラエルも、実質的には同じことをしてるはずなのですが、なぜかどちらかは「正義」で、どちらかを「悪」としている国々があるわけです。

 

人類はまだまだ殺し合いでしか解決することができない成熟していない未熟な動物なんでしょう。

それは、戦争にかかわらず、社会におけるいじめや犯罪や差別なんかもそうだと思います。

 

大東亜戦争の終戦記念日に際し、平和への思いを強くすることはとても大事ですが、いつかこの世界の紛争がすべてなくなり、人類すべてが平和と幸せを享受できる世界になることを祈ってやみません。

本日8月9日は大東亜戦争にて長崎に原子爆弾が投下されて80年目の日に当たります。

先日8月6日は広島、そしてこの長崎と、おおよそその1945年(昭和20年)末までに原子爆弾関連で20万人が亡くなったと言います。

 

毎年、このころにこの原爆投下の話題をしていますが、私自身が先日感銘受けた言葉があります。

 

『広島が世界最初の被爆地であるのは、ゆるぎない事実ではあるが、長崎を『最後の被爆地』とするには相当の努力が必要』

 

というような内容です。

 

人類が戦争で核爆弾を使用したのは、この広島と長崎しかありません。

最初の被爆地の広島という事実を「変えること」はもうできません。

しかし、長崎が『最後の被爆地』になるかどうかは、我々人類の歴史上では、まだ確定してないことなのです。

 

今後、いつ3度目の核爆弾が投下され、新たな場所が「次の被爆地」になるか?

人類に課せられてる課題です。

 

『最初の被爆地』である広島の現実も悲しいものではあり、同様に大変悲しい長崎ではありますが、この長崎が『人類最後の被爆地』であり続けられるように、私たち自身が努力していかないとならないのでしょうね。

 

重い責任だと思います。

本日4月16日は母の91歳の誕生日です。

 

ちょうど1年前、90歳を迎える前の2月に激しい腹痛から手術も経験し、その後の経過も順調で元気な母ではあります。

 

昨年は、こんなことを書きました。

母の卒寿誕生日 | オレンジ応援日記

 

年相応に忘れっぽさも増えていますが、同年代の方々より相当若いですね。

 

本人は、1日1日長生きが大変だとは言ってますが、もちょい頑張ってもらいたいところです。

ちょうど3年前に、このような記事を書きました。

 

 

ここで私は

『戦争にはどちらの「正義」もあり、どちらの「悪」もあります。

単純な勧善懲悪ではないのです。』

と書いています。

 

この3年間の世界兆候は、侵略したロシアが悪で、その独裁国家を否定していました。

2025年1月アメリカ合衆国の大統領が替わったことで、この世界的兆候に大きな変化が表れています。

 

様々な立場から複雑な関係性があり、結局何が「正義」で何が「悪」かなんかは、あっという間にひっくり返ってしまうわけです。

 

結局世界の正義は、いまだ70歳を超えた老人数人の考えで変わってしまうわけです。

恐ろしくも、それが現実です。

 

昨日2月1日のことになりますが、会社で採用している基幹系システムの稼働25周年を記念した懇親会に参加してきました。

 

この基幹系システムは1999年11月にリリースし、何度かの更改を重ねながら、今現在も我が社で使用されてるシステムです。

 

私もリリース当初から関わっていて、ごくごく最近もこのシステムへのテスト実施をしたりもしてるので、業務的密接にあります。

 

決して平坦な25年ではなく、リリース時も度重なる遅延となり、基幹系システムであるために、様々システムとの連携や障害対応や改修作業などいろいろとあるシステムです。

 

メンバー間では怒号にも似たやり取りもありましたし、多くの緊迫感も生じたプロジェクトでした。

 

 

懇親会参加は約40名で、ほとんどが先方メインシステムベンダーのメンバーで、うちの会社からは6名ぐらいでした。

25年間での顔ぶれなので、リリース当時のメンバーや現役含めて同窓会の様相。

 

どちらかというと先方の同窓会にお呼ばれした感じですかね。

 

数人が挨拶する機会があって、私もこちら側のユーザー代表っぽく挨拶させてもらいました。

 

私は20年以上のシステム関連担当の中で、様々なシステムベンダーさんとお付き合いしてますが、この会社が最も信頼が高く、ことあるごとに「我が社で最も御社を信頼してるのは自分だ!」と宣言して「だからその期待を裏切るな!」と酸っぱく言ってました。

 

何人かの挨拶やコメントにも「obusukeさんにもずいぶん怒られたけど、そこに愛情があり緊張感を持つことができ、常にユーザー目線でいられた」といった声を聞かせてもらえました。

 

私はこのベンダーさんの会ってない担当者からも恐れられる存在ではあったらしく、ユーザー案件では相当私の名前も出てきていて、今回「はじめまして、お名前はかねがね…」の方も多々いました。

 

小さなお子さん連れもいたりして、それこそ同窓会みたいでしたし、すでに退社して10数年ぶりなんて人もいましたが、多分単なる会社の中の同窓会ではなく、クライアントである我が社のシステムを中心として構築されたコミュニケーションだからこそ、我が社メンバー含めて「戦友」だったんだろうと思います。

 

「戦友同士が当時の戦いを懐かしく語る」がそこかしこに溢れていて、とても良い会でしたし、30周年40周年と続けましょう、って語り合えました。

あけましておめでとうございます。

2025年(令和7年)が明けました。

 

『一年の計は元旦にあり』

と言いますが、私の今年2025年の『一年の計』ですが、

『進化』

で行きたいと思います。

 

昨年末57歳になりまして、人生でもそうですが、社会的にも会社の中でも相当なベテランとなってきたとは思いますが、ありがたくもこの年齢にして、私だからできるであろうアサインもしていただき、これまでの経験を生かす集大成ともなっています。

 

その中でも、同じ場所に留まることを良しとせず、常に前に・上に向かっていく意識が大事であり、現状維持ではない『進化』を自身に課していきたいと思います。

 

また、毎度言ってますが、年齢を凌駕するのは精神力だと思っておりますので、相も変わらず『青年の気概』をもって、いつまでも若々しく生きていきたいと思っております。

おかげさまで一昨日12月13日で57周年を迎えました。

 

ありがたいことに社内でも大勢声をかけていただき恐縮至極なのですが、最近に関わらずですが「いないと物足りない」とか「いてもらえると華がある」とか言ってもらえると、浮かれてしまうタイプなので、頑張る意欲が湧きますね。

 

気持ちは老いることなく、まだまだ勉強不足でもありますので、ますますの『青年の気概』で頑張ります。

本日11月5日は、私の入社記念日です。

1990年11月5日入社なので、34年になります。

 

毎年朝のうちには思い出すのですが、今年はうっかり家に帰るまで忘れていました。

 

一つところに34年ですから、それなりに継続して頑張ってきたことが、ここのところの私を支えてくれています。

 

大事な仲間と素敵なビジネスを大切にしていかなきゃならんですね。