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「カーディル&ダライ・ラマ会談」の現実味

東京・有楽町の外国人特派員協会で30日、世界ウイグル会議のラビア・カーディル議長の記者会見があった。あまり背の高くない人なのだが、今年夏の来日時と同様、それこそ口からあふれ出るように中国によるウイグルの弾圧ぶりについて冒頭の約35分間語り続けた。

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ただ、今回の会見で記者たちが聞きたかったのは、むしろ別のことだったようだ。カーディル女史の滞在は11月2日まで。折しも、チベットのダライ・ラマ14世が30日から来日するため、質疑応答の最初の質問も、「東京会談」の有無に関するものだった。

「アポイントメントはない。ウイグルとチベットの抱える問題に共通点はあるし、今後も対話は重ねて行くが、今回会う予定はない」と、女史はダライ・ラマとの会談をあっさり否定した。本当だろうか。

■□ウイグル問題への関心の低下□■

まず、もし東京会談が実現するとなれば、これ以上中共政府を刺激する事態はないだろう(これに匹敵するのは台湾独立宣言ぐらいだ)。もちろん準備は水面下で行うだろうが、蔵・彊の共闘は世界にアピールしてこそ意味をもつ。両氏にそこまでの準備ができているようには見えない。

時期もあまりよろしくない。昨年秋以降の金融危機が何とかソフトランディングしそう、というこの時期に、1年間世界経済の背骨を一人で支えた中国のメンツをつぶすであろう会談を、中国以外の世界が積極的に支持するとは思えない。

今回の会見では、カーディル女史がウイグル人の弾圧されぶりを熱心に語れば語るほど、記者側が「引く」ような雰囲気が会場にはあった。その原因は単に「記者が不勉強だから」とも言い切れないと思う。記者がウイグル人の抑圧に反応しないのは、大衆のウイグルニュースに対する需要が急激に減っていることが背景にあるはずだ。

夏にカーディル女史のビザが出たのは、政権交代間際で日本政治が事実上、空白状態にあったからだと以前書いた。

今回、民主党新政権があっさり入国を認めたのを少し不思議に見ていたのだが、女史が入国してもあまり問題にはならない、というコンセンサスが日中両国にあったから、民主党新政権もあっさりビザを出したのではないか。現にカーディル女史の日本行脚の様子はあまりニュースにはならないし、中共政権も型通りの抗議を行っただけで、その後蒸し返していない。

「人権」は人類普遍の価値をもつが、国際政治の舞台では往々にして一つの取引材料になってしまう。残念ながらそれが現実である。チベットもウイグルも、「勝負」を打つには今はタイミングがよろしくない。場の流れが悪いときはむやみに勝負をかけず「負けないこと」に徹するべきだ——これ、中国の「国技」である麻雀の基本戦略なのだが。

彭麗媛と習近平

ポスト胡錦涛の一番手である習近平の妻で国民的歌手の彭麗媛が来月、所属する人民解放軍総政治部歌舞団の一員として訪日する。複数の日本メディアが27日夜から28日朝にかけて報じた。共同通信によれば、習自身も11月下旬か12月に訪日する予定なのだそうだ。

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人民網の今月21日の記事によれば、総政治部歌舞団は20日に訪日について発表していたという。今回の公演で彭は芸術総監督を務める。そして演目である「木蘭詩篇」の主役花木蘭を演じるのは他の若手歌手である。一般席で8000円払って入場しても、残念ながら彭の伸びやかな歌声は聞けそうにない。

国家一級歌手にして、解放軍所属の「文芸戦士」中の最年少少将——ゆえ、中国の政治家夫人にしてはめずらしくウェブ上に写真や情報があふれている。ありきたりの礼賛記事ばかりかと思いきや、思わぬ情報にぶつかることもある。

■□2人を結びつけた「共通体験」■□

2004年、<FTV明星心情>という番組に出演した際、彭が話した内容と見られる記事を今でも見ることができる。そこに、公式プロフィールには出てこない次のような彭の情報が書いてある。

「小さい頃、彭麗媛は軍に無限の憧れをもっていた。しかし出身が悪く、しかも母方の叔父と黄埔軍官学校出身の叔母の夫が台湾にいたため、父親は(文革時に)『右派の反革命』と批判されていた。彼女は(正しい)政治的身分について初めて(政治的抑圧から)解放されると思った」

「(解放軍に)入営して十数日後、部隊幹部が彼女を当時、もっとも危険な前線の慰問活動に派遣した。突然の命令に、彭はびくびくしながら現地での公演の舞台に立った」

彭は1962年に生まれ、18歳で「文芸戦士」として解放軍入りしている。あとの情報にある「当時もっとも危険な前線」は、おそらく79年の中越戦争直後の中国・ベトナム国境地帯だろう。入っていきなりそんなに過酷な任務を言い渡されたのは、彼女に有力な後見人がおらず、地位も最初は決して高くなかったことを示している。

父親の文革受難話も興味深い。香港メディアの中評社が昨年、習との出会いについて語った「最初会ったとき、感情の面で多くの共通点があるのに気づいた」という彭のコメント入り記事を転載している(元記事は山東省の都市女報)。習も父親とともに文革で辛酸をなめた。「多くの共通点」の中には間違いなく文革体験が含まれるはずだ。

年齢が10歳も違う「図体は大きいが(少なくとも当時は)あまりぱっとしない太子党の政治家」と、「国民的解放軍歌手」がなぜ接点をもちえたのか、長い間疑問だったのだが、やっと氷解した。

習が毛沢東に嫌悪感をもっている可能性について先日書いた。次期総書記・国家主席夫妻がともに文革、そして毛沢東に露骨に反感を示す事態になれば、中共の正統性をゆるがす一大事だが、そこまでドラスティックに動くだろうか。

*ネットにはこんな婚沙?(結婚写真↓)まで残されていた。まだまだ「掘り出し物」があるかもしれない。

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「保八」を達成した後に

あの「財経」の胡舒立編集長が26日発売の最新号に「“保八”を達成した後に」というコラムを載せている。

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先週、国家統計局が第3四半期のGDP成長率を8・9%と発表し、統計局スポークスマンも「2009年通年の成長率8%維持にまったく懸念はない」と述べた。この一文で胡編集長は、鼻が上を向きがちな中国人に「とはいえドルの凋落で今後人民元高を求められるのは必至。そうなっても安定成長を維持できるよう、しっかり構造改革を進めるべき」と冷や水を浴びせている。

自国通貨高の容認→安価な消費財の大量生産から高付加価値製品の製造を主力とする経済への転換……という道を歩んだのは、他ならぬ85年のプラザ合意以降の日本である。中国の人口は日本の約10倍。かなり大雑把に言うと、経済格差が沿岸部から内陸部にかけて段々畑のように続いている。

日本×10の構造転換を段階的に実現できれば、安定成長を維持したまま国全体の構造改革を達成できる(おまけに外国投資に頼らずとも、東の地域で余った儲けを段階的に西に投資していくことでカネが回り、バブルも防げる)——ようにも思えるが、果たしてそううまく行くだろうか。

最東部では微風でしかない人民元高のインパクトも最西部では許容不可能な大嵐なのだろうし、何より構造改革のたびに生じる「痛み」を10回も繰り返して、社会(と共産党統治の)安定性が保てるのか、心もとない。

■□完全先進国・中国の後がま■□

それにも増してもっと心もとないのは、中国が完全先進国化したとき(何だかロボコップみたいだ)、誰が安くてそれなりに品質の保たれた製品を世界経済に供給するか、ということ。ロシア? 南米? アフリカ? 少なくとも日本にとって南米やアフリカは地理的に、ロシアは政治的・文化的に中国よりずっと遠い存在だ。

とはいえ、そんなことが起きるのは早くて50年後とか100年後。経済も所詮人間がやっていることなのだから、自然淘汰の原理が働いて、いずれ落ち着くところに落ち着く。「存在するものは善」という真理は、50年後でも100年後でも変わらないはずだ。

ところで、胡編集長には「60人(70人?)が集団辞職した後に」というコラムこそ書いてほしいのだが。