Observing China -13ページ目

「中国はやっぱりバブル!」報道のウラ

中国国家統計局が2月に全国主要70都市の09年の不動産価格の上昇率が1・5%だったと発表して、「実感と違う!」と国民の総スカンを食らったら、今度は国土資源部が「25・1%増だった」と発表した。

1・5%と25・1%では乖離しすぎていて統計の正確さもクソもあったものではない。だが、すべてのデータを把握することが不可能な以上、そもそも世の中のあらゆる統計は推測値でしかない。とはいえ、これほどデータに開きがあるのは統計手法としてあまりに問題ありだが、では「やっぱり中国はバブルだった!」と結論付けるだけでいいのだろうか。

そもそも25・1%というデータを公表したのは、国土資源部という中国政府のお役所の1つ。もちろんこの発表の背景には、特に都市部住民の不動産価格急騰の実感と統計の間の乖離に対する怒りがある(しばらく前、不動産をめぐる赤裸々な中国の現実をテーマにしたドラマ『蝸居』の放映と打ち切りが話題になったのもそれゆえだ)。

今回の国土資源部の発表には当局のガス抜きの意味もあるだろうが、外国投資が逃げ出すリスクを犯しても、中国政府がこのデータを公表したのは、実現したいより大きな目標があるからではないか。

■中国政府の本当の「狙い」□

その最大の目標は、利上げへ向けた地ならしだと思う。ご存知の通り、不動産や株に資金が集中するのは、金利が低すぎて銀行に預けても目減りするだけだから。バブル防止のためには金利を上げなければならないが、利上げすれば企業の資金繰りが苦しくなって景気が悪くなるので抵抗もある。「バブルがのっぴきならないところまで来ている」となれば、利上げへの逆風は弱まる。

諸外国から迫られている貿易不均衡是正のための人民元の切り上げも、中国は遠からず受け入れざるをえない。そうなれば、必然的に輸出主導の国内経済は冷え込む。人民元切り上げ後に金利を上げるのは不可能だから、中国政府はできるならその前にやってしまいたいと思っているはずだ。

(1)85年のプラザ合意後の円高不況を乗り越えるため、日銀は公定歩合を86年のわずか1年間あまりで5%から2・5%へと急激に下げた(2)利下げはカネ余り状態を生み、だぶついた資金が不動産や株の投資に向かった(3)あわてた日銀の公定歩合を引き上げたにも関わらず不動産価格と日経平均株価は急上昇を続け、最後は90年3月の大蔵省の不動産総量規制でバブルが弾けた――というのが、日本バブル史の概略だ。

日本と中国が同じ歴史を歩むとは思わない。ただ中国は日本のバブルをよく研究しているはずだ。

円高不況→利下げ→バブル→利上げ→不動産総量規制→バブル崩壊

という経緯を日本がたどったのに対し、中国は

利下げ→バブル→利上げ→構造改革をやって景気持ち直し→人民元高不況→?

という道を進もうとしているようにみえる。為替レート切り上げを、日本と違って後にもってこようとしているわけだ。利上げと人民元切り上げの両方を一気に受け入れると、中国経済は日本の二の舞になる。だからこそ、最近中国政府の指導者は人民元切り上げに猛烈に反対しているのだと思う。

毒ギョーザ事件とずさんな中国司法

毒ギョーザ事件報道はミクロ(呂容疑者の両親・故郷を含めたディテール)とマクロ(今の時期に「解決」した中国政府の狙い)に二極化しつつ、早くも終焉を迎えようとしている。おそらく中国政府の思惑とおり、これで幕引きとなるだろう——。

と思っていたら、そうはならないかもしれない。

中国公安部が29日、「容疑者が非正常に死亡した場合、上司は一律に停職処分とする」と発表した。

「公安部は容疑者の非正常に死亡するケースを非常に重視しており、その対策に一定の効果を挙げて来たが、近年容疑者が非正常に死亡するケースが依然として数多く発生しているので、(中略)決然として協力な措置で対策に乗り出す必要がある」

と、劉金国公安部副部長が北京で最近ひらかれたこの問題の対策小組の第1回会議で述べたのだという。記事には、去年から今年にかけて江西省九江の拘置所で起きた2つの事件が例として挙げられている。

「悪夢死事件」:武漢出身の窃盗容疑者が昨年3月、突然死した。看守によれば容疑者が悪夢で眠れず、医者に連れて行ったが死亡した。

「転倒死事件」:当初警察は今年2月に突然死した容疑者の死因をトイレで転んだためとしていたが、医師は死因について慢性的な疾患によって容疑者が心臓と肺の機能が衰弱していたためと鑑定。家族は暴行死を疑っている。

場所がピンポイントで共通しているので、江西省の特定の指導者に対する政治的嫌がらせの可能性もある。ただ、中国公安が自らの捜査のでたらめさを公の場で認めたのは大きな進歩だ。前にも書いたが、中国では刑事訴訟法などなきに等しく、公安は事実上好き放題に捜査をしている。

毒ギョーザ事件でも、なぜ容疑者が間抜けなことに注射器を自宅に残しておいたのか……といった疑問が残されたままである。工場内のメタミドホスの存在をめぐる説明の矛盾や、犯行のカメラ撮影の有無などまともな法治国家なら弁護側が裁判で突けるポイントがてんこもりだが、おそらくすべてスルーされるだろう。

(あえて言うが)拷問死問題が今後国内でクローズアップされ、中国公安に対する風当たりが強くなれば、毒ギョーザ事件も流れが変わるかもしれない。

ダライ・ラマをめぐる「文明の衝突」

アメリカの外交専門誌フォーリン・ポリシーのウェブ版がしばらく前、“Tibet is no Shangri-La”という記事をアップした。

チベットは理想郷ではなく、チベット人は西側の人々が思い描くよりずっと現実的で、世界が仰ぎ見るダライ・ラマは実は保守的な考えの持ち主——と、「清らかで心を寄せることのできるもの」とステレオタイプ化されがちなチベットとダライ・ラマについて斬新な視点を提供しているよい記事だ(欧米メディアが経費削減のせいで力を抜きつつある現場のレポートもある)。

ニューズウィーク日本版のウェブサイトが翻訳記事を載せているのだが、そこに付いた「はてなブックマーク」の意見を読んでいて、おもしろいことに気がついた。

曰く、「同性愛を認めることが正しいとは思わないがね。中国による虐殺にろくに触れていないので立ち位置がよくわかる記事だけど、西側諸国がチベットに幻想的なあこがれを抱いている、ということは納得する」

筆者はチベットやダライ・ラマに親近感をもつと同時に、両者を「いじめる」中国に強い反感をもつ日本人だと推測できる。興味深いのは、この筆者が欧米のチベット好きな人々に必ずしも好感をもっていない、ということだ。

欧米のチベットファンが日本人のダライ・ラマシンパにどういう感情をもっているか分からない。ただ、日本のチベットファンが欧米のチベット好きな人々に何となく反感をもつのは理解できる。彼らはおそらく、いまの欧米のチベットブーム(?)がビートルズのインド傾倒に近いノリなのでは、と疑問視しているのだろう。

要は「文明の衝突」の亜種なのだと思う。チベット及びダライ・ラマという本尊をめぐって、どちらの信心が純粋かを競い合う(欧米人は気にしてないかもしれないが)。極めて宗教的だが、要は「アイドル」をめぐるファン心理と同じだ。

「アタシのほうがマッチ(古い!)が好き!」というノリと本質的には変わらない。