心のろれつを回さない | ELECTRIC BANANA BLOG

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しまさんの独り言、なんてね。ハニー。
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分からだよ、ハニー。世間は秋祭りの季節ですけれど、うちは恒例、目の前の集会場で獅子舞踊りの練習を毎晩やっているのね。だから、今の季節、プラモ作りにも約が掛かる。というのも、ちょうどプラモデルを弄る時間に、練習やっているので、その時間に外にシンナー臭い気をするのはどうかな、と。ただでさえご近所の一部から逆恨みされているウチなので、面倒くさいのはご勘弁でござる。

 

て。

 

そういうわけで、10日まで練習は続くから、プラモ弄りはそれからなんだよね、というい訳を事前にしておきました。で、昨日の話ともちょっと関連があるのですけど、ちょうどWOWOWでシティーボーイズのミニライブをやってまして、それがなんと2007年末の放送。

詳しくはお話しできませんが、私にとって2007年はすっぽりけた年で、全く世情とかけ離れたところにいたので、シティーボーイズなら何でも追いかけていたはずなのに、という疑問にも合点がいったのね。

 

それはさておき、そのライブできたろうさんが、死っていうのはばれるものだ、というようなことをおっしゃってて、アアそうだな、というか、そういうもんなんだな、という気がしたのね。こういう言い方はどうかと思うけれど、好きな山に登って、好きな山で亡くなることができるのは、そりゃそんなつもり全くなくて、無念ではあったろうけれど、意図しない結果の中ではいくらか得できるのかな、なんて。

入られて召されていったのなら、それはおそらく幸せの中に入れても好いのかもしれない、と思う。私はきっと好い死に方しないとずっと思っていて、それはきっと、まない最期を迎えるんだろうな、という気がするのね。本意、って云う意味で。まぁ、死に選ばれるのが幸せか、見されるのが幸せか?

 

それはさておき、心の呂律がいくらか不調を来たす、ご近所迷惑駐車戦争の前、前回予告したように、ドウドウ低音がいうダンサブルなナンバーを作ってみるべ、と思って一応手を付けたのね。

そしたらものの十五分ぐらいで、本的なフラグメントはできて、後はこれを足したり退いたりして組み立てて、五分ちょっとの長さにしたら、何か上に加えて体裁を整えて、アアなんかサンプリングして色づけに使おう、なんてことがもうあっという間に見えてしまったのね。

 

そう、えてしまったのよ。

 

一応そのサンプリングできそうなものを選んだり、とかっての作業もあっという間に目の前に現れて。その時、なんだかよく分からないんだけど、あまりに簡単すぎて自分でも、?って思っちゃったのね。お手軽お気軽ササッと乗りこなす、というのがエレクラの、しかもしま♪さんのセールスポイントで、悩むがあったらやっちゃえやっちゃえ、な感じを特にエレクラではやってきたはずなのに、そのお手軽さに自分で、え?って云っちゃったのよ。

案外それは心にグサッときて、自分で自分を定しちゃったというか、そういうこと言わないで数こなそう、という最中なんだけどな、とか、色々思っちゃったのね。もうキーボードに触れたら、何かができちゃう感じって、もしかしたらある人達にはうらやましいのかもしれないけれど、才能とかセンスとかあればそれも良いんだろうけど、ただお手軽さだけが行している感じかな?でも、できるかできないか、といったらパッとできちゃうのね。

 

例えば、今桜庭ななみさんが私にすり寄ってきて、何でも好いから一時間で私に曲作って、作ってくれたらエッチなことでもしてあげる、とか云われたらホイホイと出来てしまうんだろうけど、その何でもしてくれる環境にないから、案外悩んでしまうのかも、とか考えたりして。

とにかく、パッとフラグメントがった、というのがちょっと自分でも衝撃的な事実で、おかしいかもしれないけれど、それで悩んじゃったのね。悩むというと大げさだけど、そのことに衝撃を受けているということに、自分で然としたというのが正直なところなのね。

 

さっきも云ったように、今は他にいろんな理由があって、そういう所から始めようとしている最中で、きっとそうやってお手軽に出た奴でも、他人に聞かせると、色々判とか、好き勝手なこと云われるに違いなくて、それがきっとモチベーションになって次に繋がるというか、それこそが向上の一歩だと思うのね。その手前で停まるなよ、というのもあって、でもなぁ、上手く云えないんだけど、そのパッと出来た撃が、思いの外引っかかっちゃったのね。

 

いかな表現者も、先ずは前回云ったように自分というものをけ止めるところからスタートして、次にはそれを咀嚼していくのがいわゆる表現という作業になると思うのね。だから私は、なるべくこのブログでも、他いろいろな機会にでも、自分のずかしい部分をさらけ出さないと、誰も望んではいないだけど、ということを考えているのね。

逆に言えば、表現だからこそ自分のい部分、恥ずかしい部分を、吐露出来るって事でもあるはずで、まぁ、それは正直か誠実か、と云われるとそれは本人次第だけど、どうしたって正直にならざるを得ない、誠実に吐露しなくてはいけないところまで行き着いたところで、きっと表現というのは輝きを持つのだろうと思うのね。

 

そういうものを、わりと文章、ブログとか長い話の中ではわりとアアこれだな、と云うわかりやすさがあるんだけど、エレクラの曲は、どこか具に身を固めているという感じがして、直結という感じではないのね。前に姫に言ったこともあるし、このブログでも言ったかもしれないけれど、ボーカリストを尊敬するのはまさしく声という体の一部を晒すことにあって、私などはギターという武器を持たないと人前にも出られないのよ。

そういうことをちょっと考えすぎて、あのパッと撃、に繋がったのかな、なんて思うのだけど、それはつまり他人には見えにくいけれど、適当に済ませようとする面倒くさがりでろくでなしな部分が、曲そのものではなく、体裁の中に滲んでいて、下手をするとそれがバレてしまうのではないか、というところに引っかかったのかもしれない。

別にどんなにイカサマやっていても、他人を感動させる作品というものは産まれるものだけど、で、それをどちらかというと肯定してきたのがエレクラの活動だったはずなのに、いったいしま♪さんどうしたんだ?と云う自分で自分へのっ込みだったという感じなのかな。

 

大変わかりにくい説明に終始してしまったけれど、それほど深刻に考える間もなく例の戦争が始まったので、何とも言えないのだけど、とりあえず冒頭でも話したとおり、多少10日過ぎまではぼちぼちやって、それからだな、ってことにしているので、あまり待せずに待っててね。

 

なんてね、多少はレベルップしているのかな、って云ってみました。ギターの練習を中断しては再開する度に、なにがしかの善点を見いだして、レベルアップにつなげているのだけど、今回わりと大きなブレイクスルーがあって、多少早弾きが出来るようになったのね。と云ってまだまだいんだけど、自分では上手くなったんじゃね?って感じで、曲をコピーするのが楽しいのね。だからなぜか、のヘビメタの曲ばっかりコピーしているんだよね、ってコトで。

 

それでは今日はこの辺で、ごきげんよう。