朝から晩までゥイチィローゥだよ、ハニー。別に全く私は野球に興味がないので、迷惑千万、といっても差し支えない状態でありマする。私が興味があるのは、ハニー、君だけだよ、なんて私が言っても誰にも見向きもされないが、困るのはPGAが吹っ飛ばされたこと。昨日も言ったように、明日決勝があるから三日目は見ないでイイや、なんて高を括っていたところへコレだよ。起きてたんだよ、ちゃんと。
なんて、憤懣やるかたない調子で始まったこのブログ。ちょっと考えたんだけどね、私の持つイメージってヤツで。私は今、日本で二大盛況なスポーツである野球とサッカーに、全く興味がないんだけど、それはなんかイメージが悪いのね。例えば、野球は小泉改革前の自民党のようなイメージがある、と本日気が付いた。小沢的自民党?といっても差し支えないのかな。小沢氏は嫌いじゃないけど。そしてサッカーには、今回初当選した民主党の議員みたいなイメージがある。
あくまでもコレは私の個人的イメージです。コジツケです。決して応援している人を貶そうとか、陥れようとか、殴りつけてやろう、とか考えているのではないのであしからず。
さて、未だ憤懣治まらないので、更に悪態を突くと、のりピー、今もの凄く複雑な思いだろうな、なんて察するに如かず。保釈されれば、もう非難ゴーゴーで質問攻めで、イクとこイクとこ追いかけ回されて、出来ればこのままゴロッと横になって過ごしたい。でも、このままだと、拘置所に送られることになって、そうするとまぁ、独居だろうけど、ご飯は麦飯に変わるし、でも暖かいから好いような、そうでもないような。ケーサツの弁当にも飽きたよ、という心境だろう。
本当は、起訴された段階で、容疑者は被告になるのね。簡単に言えば、管轄が変わる。だから本当はその段階で、拘置所に移されるのが本当なんだよね。でも人いっぱいだし、まだ取り調べが残っているから、っていうんでケーサツに留め置かれるんだけど、それが世に言う、代用監獄、ってヤツね。まぁ、それでもケーサツの方が、まだ居心地はいいんだよね。拘置所は、半分刑務所だから、行くこと決まっている人は予行演習になって好いんだけど、まぁ、あんまり行きたくはないのね。
出るも地獄、留まるも地獄で、のりピーの不安や察するに余りあるってもんで。まぁ、私がアドバイスするなら、そのままの方がイイよ。経験上、保釈期間というのが一番しんどいから。罪の重さと、自由が途切れるかもしれないという不安と、それでもゴロゴロ出来ることのギャップで死にそうになるから。
なんてどうでもいいことなので、さっそく(?)本題に入ります。
昨日、私がいかにエレクラを愛しているか、を切々と語ったが、エ?そうだったの?と慌てて読み返さないように。エレクラを始めて、こりゃ面白いわ、って夢中になり出して、ついにはオリジナルを作り始めて、オウ世界に唯一の俺の曲だゼこの野郎、ザマァ見ろ。そういう心境になってから、ある意味、世に流れている曲に興味がなくなったのね。
この間姫とも話したんだけど、私が曲を作るようになったきっかけは、ああこういう時はこういう曲を聴きたいんだよな、と思い描くも、それにピッタリ、という曲が見あたらない。近い曲はあるんだけど、帯に短し恋せよ乙女。ならば、自分で作っちゃおう。人前で演奏するとして、こういう曲をやりたいんだよな、でも見あたらない。近い曲はあるんだけど、帯に短し暖簾に腕押し。
つまり、既製の曲に私の思いを重ねる、というのに大変欲求不満が溜まっていたのね。加えて、そんな感じだから、イメージに近い曲はあって、それを改変するとか、盗んでみるとか、真似してみるとか、そういうところから始まっているんだけど、そういう蓄積はもう溢れんばかりにあったのね。こうしたい、こんな感じでやってみれば?なんていうのはもう数え切れない程持っていたのね。さすが30手前。
エレクラを始めた当初はそれを一曲ずつ形にしていけば良かった。もう次から次へと出来たものサ。かなり強引だったけどね。やっぱり自分が聴きたかった曲を形にしているわけだから、その曲が一番聴きたいわけ。で、聴いて満足するわけ。すると当然、他の曲には興味がなくなるわけ。
それでどうなったかというと、エレクラさえあれば、っていう感じになっちゃったのね。
でもその後もCDとかは買ってて、それは何故かというと、どっちかというと資料?参考書?そんな感じになっちゃったのね。この間もお話ししたように、鈴木亜美なんか、あの類い希なカワイサとか、唄の善し悪し、とかじゃなく、ただサビのアレンジ、というだけで買ってしまうとか。正直に申さば、STONESもコレがでるまでは、旧作新作問わず、とりあえず集めておくか、って感じだったのね。
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聞き込むことは、聞き込むんだよ。それで、やっぱりイイな、と思うのは事実。でも、ちょっと純粋に夢中な感じで聴くのとは違うという感じがするのね。なるほど、フムフム、なんて頷きながら聴く感じ?そのうちに、ああこのアーティストは好いな、なんてその他のアルバムを買い集める、ということはあったのね。
つまり、音楽のとっかかりとして、好き、という感覚とは違うような気がするのね。昔のことだけど、あるお嬢さんとダウンタウンの番組を見ていて、二人して笑っているんだけど、しま♪さん笑うとこ違う、って不思議がられたことがある。それと同じような申し訳なさをもって、既存のお金出して買う音楽にぶら下がっているのね。
ただ、音楽に触れ始めの幼い頃は別にして、いつ頃からか、自分の中に好きで聴く曲、勉強の為に聴く曲、嗜んでおく曲、という棲み分けがなされていたのはあったのね。オウこれギターマガジンで絶賛されてたから、いっちょ聴いてみるか、なんてCDを買うとか。
それは全て、神がおまえに与えたもうた試練?全てはエレクラをやる為に用意されていたんだよ、と思いたければ思え。でもね、一番好きであるはずの音楽が、そのように純粋に好きというのとは違ってくるって、なんか悲しいよ。普通じゃない、というか。なんか透明で薄い幕が下りているような、そんな感じがして、こんなハズじゃなかったのにな、なんて思うのね。
で、なんかそういう回路が自分の中に出来ているみたいで、例えば本を読んでも、テレビを見ていても、ガンプラを弄っていても、お嬢さんと桃色の夢を描いていても、何か一歩引いているんだよね。夢中、っていうのとはかけ離れている。
実はそれは、かののりピーショック以降、ものすごく酷くなっているのね。気づいちゃったというか、気が付かないようにしていたのに、目の前に見せつけられて、もう目を反らせなくなったというか。それがもたらすものがね、必ずしも悪いことばかりでもないとは思うのよ。でもね、という話を、明日引き続きしましょう。
なんてね、ワイドショー並みに何処まで引っ張っているんだよ、と言ってみました。凄いね、長澤まさみが検索でものすごい伸びを示していたよ。私の不徳で、ランキングに参加出来なくなったのが残念。やはり、長澤まさみ恐るべし、って事で。
それでは今日はこの辺で、ご機嫌よう。