自転車のカゴの網目にカゲロウがひっかかって出てこれなくなってて僕はどう助けようかと迷った。カゴに乗せてそのままどこかに連れて行くのも申し訳なくて、試しにふうっと息を吹いて飛ばそうとしてみたけどカゲロウびっくりするくらいにその風くらって下手したら足くらいもげちまいそうだ。とは言え、指で翅か足(とても長く細い)を掴んでみても、これまたもげちまいそうだ。成虫になってからの命が嘘みたいに短いと言うのは知ってるよ。どうしたい。どうなりたい。どこに行きたい。こいつなど何も考えていないんだと想像した方が気持ちが楽だけど、そんなわけもないと思う。自転車を真っ逆さまにひっくり返してカゲロウを手のひらの上に落とし、近くの木や草の生えてるところまで連れて行った。



そのあと自転車に乗りながら、もしかしてあいつは遠くに行きたくてカゴに忍び込んだのではと考え始めて、猛烈な後悔に襲われた。


金木犀は雨に濡れたときの方が匂いが強い気がする。それがなんだか、妙に残酷なことのような気がしてる。

いよいよもって『カスタネット』の本番間近だってんで、準備にいそしむ日々。同じ芸術祭に参加する他のカンパニーが賑やかに稽古場での集合写真をアップする中、こちとら独りぼっちだ。


なんて思っていたら、俳優仲間やスタッフの屈強な男たちから連絡が来て、アトリエに押し掛けて手伝いをしてくれたりする。ありがたい。芸術家たるもの孤高でありたいところだが寂しいのはちゃんと苦手だ。

写真家の三浦麻旅子さんも来てくれた。俳優を始めて最初に写真を撮ってくれたひと。父の知り合いづての紹介で出会ったが、かれこれ随分な月日だ。何せ芝居を始めた頃からの付き合いなので、外部の仕事はともかくとして我がクリエイティブキャリアのほぼすべてを目撃してくれてそしてフィルムに焼き付けてくれてる。自分でさえ忘れ続ける時間を、遺してくれる人がいるのは嬉しい。フィルムじゃないか、今は。

独り芝居をやるほどに、独りじゃないと実感する。ひとに守られ助けられてばかり。よいことだと思う。情けないなとも思う。



僕らの世界は、野生動物に餌やりをしてはいけないことになっている。


それは結局、動物たちにとって不幸なことになるんだ!と。


心がぐにゃぐにゃする世界だ。お腹が減っている生物を見たら何かを食べさせてあげたいと言う超本能的な心の動きを封鎖しなくてはいけないとは。これは、合ってるんか。


アジア諸国を歩くときは子供に付いてこられたら逃げた方がいいと言う、彼らは物乞いで、物や金をあげ始めたらキリがないからと言う。理解はできる、でも、合ってるんか。


いろいろなことは、わかっちゃわないこともなくて、簡単な支援が相手の自立心を奪うだとか、病気の蔓延がどうだとか、糞害だとか、こちらの身を守るためだとか、わかるのだけど、めちゃくちゃシンプルに、困ってる人がいることがまあまあ我慢ならないのもホントのことで、見て見ぬふりの心的ストレスたるや食品添加物くらいには体にも悪そうだ。


世界を丸ごと変えていかないとこのモヤモヤから逃れられないのだと思うと頭を抱えてしまう。世界と向き合う時、ほとんどの行動は焼け石に水だ。でも、水がかかった瞬間は焼け石も一瞬ヒヤッとできるよね、と思うし、海ほどの圧倒的水量の中にぶち込めば焼け石もさすがに冷えるよな、という希望もある。


。。。


お酒をやめて毎日走り倒して独り稽古をしまくりながら思いつくがままに脚本を描いておる、みたいな毎日。本来の自分が戻ってきたなと言う感じがする。まあ、人間、何を持って「本来」なのかはよう知らんし、本来に戻りすぎたら赤ん坊だぞもっと言うと無だぞとも思うのだけど、とにかく最近なんだか自らの野生感にしっくりきてる。そもそも、デスクワーク業になるとは微塵も思ってなかった人生で執筆と打ち合わせばかりと言う昨今が不思議なのだもの。打ち合わせを散歩形式にしたり、公園や駐車場で話させてもらったり工夫をしてるけど、走り回って泣いたり笑ったり大声張り上げてるのが性に合うし、そうしないと生きていけないからそれらをやってたんだなと顧みる。



モテようとして喋りかけてくる人の言葉というのは基本的に信じがたい。選挙の話だ。相手に好かれたい一心で、口説き落としたい一心で喋るとなると、当然、相手が欲しい言葉を吐こうと努力してしまうわけなのだけど、話された側としては、果たして、どこまで本当の言葉なのか?というジャッジがすごく難しい。


選挙期間のエンタメ演説よりも、なんか、日常の中でみんなに問題とほんのちょっとの資金を渡して、「次の選挙までに具体的にこの問題をどんな風にいい感じにできるか」みたいなテストをしたらいいのに。付き合う相手は言葉より行動をみて判断せよ、というのは恋愛の基礎らしいよ。

カスタネット本番直前。来る人来る人に順番に物語をみせていたらなんだかんだ稽古はできてしまったのだけど、ステージ上に乗るものに絵を描こうとここらに決めてみた。決めるのが直前だったもので、あー、寝不足。アトリエは退館時間ないもんで危ない。

ちなみにこのテーブルは、俳優仲間のゆうじさんが作ってくれた。話し相手になろうか?と連絡くれたから遊びに来てもらったら、話の中でテーブル作ってくれることになった。元は宮大工だったという経歴を持つ男。か、かっけぇ。感謝。

段ボールとガムテープで創り上げた花のオブジェ。「末原さんの呪物」と呼ばれてる。絵といい、創るものといい、入り組めば入り組むほど念が強くなる気は確かにしてる。

衣装は前日の夜から描き始め、大変だった。

我を忘れて作業するのだけど、内心、寝ないとらと焦ってもいる。

日が変わってから帰宅するも、そこから、本編で使う音楽の録音。毎晩楽しくなって弾き続けていたのに、録るのを先延ばしにしていたのだ。


。。。

本番当日、朝。

いつになったら余裕を持って行動できる人間になるんだろう。事前に送るはずだった稽古映像も音源も送ってない。朝9時から超特急で打ち合わせて場当たりして13時開演だ。大変だ。大変だ、と思いながら、出発はギリギリだわ、なんとまさかの電車を2回も間違え、さらに、赤坂で変な出口からでてしまい迷子。大遅刻をした。



本番、たのしかった。

たくさんのお越しに感謝です。

やっぱり、みんなで想像力巡らせて物語を進んでいくのがとっても神聖で、泥臭くて、好き。

地方公演や海外公演の準備を始めています。この物語がもっともっと広まっていき、たくさんのひとの集合場所になったらと思います。


翌朝からグラヴィティ稽古。「千秋楽翌朝10時から稽古」というパターンがここ三公演続いているんだが、なんて健康的なんだ。


千秋楽翌朝に「そうか......今日は劇場にも稽古にもいかなくていいんだ。終わった...んだな......」と寝転がりながら天井を見つめる時間というのはなかなかにエモーショナルなんだが、そんな余韻一才なしで数珠繋ぎに物語が繋がっていく。息なんかついてる場合じゃない。それで良い。


なんだけど、ちゃんと、ものもらいができた。免疫がさがってるよー!!と身体が全力でお知らせしてくる。


さて、本番までいっしゅうかんというスリル爆発な状況でいきなりクライマックス。HYヒデくんも沖縄から離れて1週間東京人。純真無垢さたるや天使すぎて相当大好きだ。短期決戦ながら、映像あるしバレエあるし、てんやわんやではある。座組のみんながとてもいい。東山義久さんとというひとがいるんだが、兄貴ぽさたるや半端じゃなく、イタズラな悪大将でとてもいい。かつて対談したハニーエルデイズのみっちゃんの実の兄ときき驚いた。宝塚のレジェンド姿月あさとさんもこれまたずっと面白い。義久さんとあさとさん、どちらも関西で、仲良しとのことでずっと漫才みたいなことやってる。小南光司はいつも柔らかい笑顔を振り撒きながら、ちゃんとめちゃくちゃ変なやつでおもしろかった。



さあ、本番だ。がんばります。


きょうもあなたがあなたらしくいられますように。あなたのたいせつなものが、いつまでもたいせつなものであれますように。



10月10日

母が誕生日だったので酒を飲んだ。

近年珍しくスケジュールを調整できてよかった。昔は体育の日だったけど、今はなかなか体育の日にはなれない日だ。


鹿児島出身のせいか、うちは両親ともに大酒飲みで、しっかりとその2人の息子らしくあろうと拓馬も努めてアルカホリックめいた人生をお送りしている。


末原家は家族でわざわざ外食と言う文化は小さい頃からあんまりなかった。外でお酒は?となると、さらにちっともない。


父とは何度か、外で一緒に何かを観たり、ライブなど一緒に仕事した帰りなんかに飲んだことはあるが、数えるほど。「今日、飲み行こうぜ!」なんて誘ってみたらよかったのになあ、と今更ながらに思うけど、そもそもわざわざ居酒屋に行くと言う文化があまりない我が人生だったもので仕方がない。


母とは、となると、更に回数は少ない。そもそも母は生まれてこの方、居酒屋に行ったことがあまりないらしい。常に育てるものがいる人生だったからな気もする。行きたいのに行けない、という以前に、行ったことがなかったのだ。


て、わけで、誕生日を言い訳にというか、居酒屋に誘うことにしてみた。基本、何に誘っても、自分がもてなされたり贈られたりに対してリアクションの悪い母で、喜ばせ方の難しさに家族みんな手を焼いてきたんだが、この日は誘ったら乗り気になってくれた。


で、まあ、飲む、飲む。息子よりも、飲む。


で、この度(たぶん)初めて知った衝撃の事実があって、


母方の家系の苗字、つまり、ひいじいちゃんの苗字、「サコウ」であるのは知っていたんだが、漢字で


酒匂


と書くらしい。なんだそりゃ


調べてみたら、川の名前に由来するらしいんだが、ヤマトタケルがその川に神酒を注いで龍神に祈念したら、その匂いがしばらく止まらなかった、みたいな神話に基づくらしい。


以前に龍呼ばわりされていたことがあったせいか、龍はなんか親近感の湧く存在だから、龍がらみてのも、いい。

母は物欲もない人なのでプレゼントも悩みつつ、今年はミモザの木を贈ってみたんだが、怒られた。何年も前にソメイヨシノを贈って怒られたことがあったんだが、やっぱ、無理か。うち一軒家じゃないからな。


。。。。


寝ても覚めても居ても立っても居られないコンディションで、とにかく夜中に歩き回ることが多い今日この頃。

ハロウィンぽいゴミ箱を目撃。極めてゴースティだ。目は目としてこのままにしといて、缶を飲み込む口は別に作ってあげたい。

深夜にタヌキも見かけた。ニュースによると最近じゃ猿もあちこちの街中に出るらしい。どうせ世界がディストピアみたいになってくなら動物が出まくる感じがいい。将来の展望として、動物に食われるのは悪くない。


。。。

台湾料理!と、どんっと背中に書かれた自動販売機を見つけたので、果たしてどんな物を売ってるんだ?と思って正面に回ったら......

元祖名古屋名物!


名古屋なの?台湾なの?と混乱しかけるが、大らかっていいなあ、と思った。

「失ってから大切さに気づく」

という概念はそこかしこで聞くが、とっても真理だ。


ドラえもんに「ありがたみわかり機」という道具がある。例えば、靴のありがたみを知りたい!と頼むと、靴が身の回りから消えるのだ。そうすることによって、自分が日頃いかに靴から恩恵を授かっていたか、靴を愛していたか、なんてことを実感できるのだ。


これは素晴らしい道具だが、実際には、「これについて、ありがたみわかり機を使おう!」と思えた時点で問題はほとんど片付いていることが多い。そのものを「当たり前に思ってしまっているし、煩わしいと思っているが、もしかして、自分にとって大切なものなんじゃないか?」と薄々気付いているわけだから。


実際は、ありがたさに気づいていないまま大切にし損ねて失うものが人生にはそれなりに多い。


どうも、「まさかなくなるわけはない」という思い込みは全てにおいて持つべきではないようだ。僕らは平家物語を熟読する必要があるわけで、永遠に続くものなど存在しないのだ。


すべてのものが死に絶え、消え去り、変化していくことを心から信じて、僕らは大切なものを大切にしなくてはいけない。だが、この「大切にする」というのは技術が必要で、難しい。


みんながんばろう。みんなに幸あれ、と祈る次第である。

脚本、演出、出演のGRAVITY on STAGEの稽古が挟まる日々。

末原拓馬がまだ何者でもない頃から目を掛けて助けてくれたデザイナーこうづなかば氏の活動40周年を記念して行われるこの公演だって言うものだから、「出世払いね!」と言ってなんでも頼んでいたあの頃の恩返しをようやく、という気持ちで全力を注いでいる。


そもそも、ウクライナのアーティストとコラボと言うコンセプトがあった。ウクライナのバレエダンサーのマトヴィエンコ氏と現代音楽家のヘイナリさんと作品を創ろう、って。


本当は来日していただく予定だったものの諸々の残念な事情でそれは果たせなかったのだが、音と映像で、作品の大切な部分を担ってくださる。この公演はバレエと演劇のミクスチャー。バレエと言えばロシアである。ロシアやらウクライナやら......こちとら日本だし、テーマは宇宙だしだ。


なんと言うか、芸術家同士、文化の繋がりは、国境だの世界情勢だのは洒落臭ぇと蹴飛ばさせていただき勝手にやらせてもらうぜよ、という気持ちの表明が根底にある。



宇宙コロニーに住む、なぜか迫害を受けて育った青年ネイカヴァが、食べ物を盗んで処刑されるところから物語は始まる。死刑に際してのネイカヴァのスタンスは「別にどうでもいい」だ。


そこに、彗星が墜落してきて人形に姿を変え、ネイカヴァを旅へと誘う。2人は「探索者」アツサイと出会い、もはや滅びかけてる全宇宙の生物の悲願である「祈り」を探すことになる。


ていう、SFみたいな童話みたいな物語を描いた。


テーマは、祈り。


ホルストの組曲「惑星」をモチーフにしたスペースオペラ。太陽系を旅する。ホルストは生誕150周年であるが、それにしても楽曲のすごさたるや、である。中学校の時にアルバムを手に入れて爆音で聴き倒したのだけれど、まさか作品を創ることになるとは人生って奇遇なものである。


マトヴィエンコ氏とヘイナリ氏の作品、それから、こうづさんの親友の後藤健二氏からのインスピレーションで物語を描いた。

稽古は今のところ日程が飛び飛びだ。HYヴォーカルのヒデくんが沖縄在住なので、全国ツアーで東の方に来たついでに東京まで足を伸ばしてもらい、稽古、というシステム。演技初挑戦のヒデくんなのだけれど、感受性の鋭さと純粋さたるや目を見張るものがあり、公演そのものに注入してくれるエネルギーがとてつもない。美しい人間だ。良き友人を得たと心から思ってる。

立川ステージガーデン。初めて足を踏み入れたけれど、素敵な場所。場所にはいつも霊的なものを感じるところがあって、インスピレーションをもらう。どんなに新しい建物でも、何か棲んでる。まあ、その場所自体は地球ができた時からあるんだから、当たり前と言えば当たり前。

立川は大切な思い出のある場所。やれることが嬉しい。

オリジナルのバレエを創りたいと2年前に思ったのだけれど、今回ようやく叶った。振り付けは元Kバレエソリストの篠宮佑一氏。


死んじゃった大好きな親戚のしのぶ姉ちゃんというのがバレエの先生で、小さい頃から拓馬が鹿児島に帰るたびに「拓馬バレエやれバレエやれ」とビール飲みながら絡んできてた。変なストレッチもさせられた。ちょっとだけレッスン受けたこともある。生きてたら喜んでくれたろうなあ、とおもう。死んでても喜んでくれてたらいいなあ、とおもう。


客席はもう全席埋まりそうとのことだけれど、まだ間に合うと思うので、よかったら、ぜひ。

これはリュックに入れていたマックの充電器なのだが、いまカフェで充電しようとしたら大切な部分がなくなってる。どこかにあってくれ、とドキドキ願う。

果実に蟻も夢中なのをしばらく見ていて、良い気持ちになった。人間が美味しいと思うものもしょせんは他の動物や昆虫も美味しいと思ってるものだってのが小気味いい。人間がたかだか哺乳類に過ぎないと実感できる瞬間は好きだ。

AIやクローンなんぞは、毛嫌いもしないけど、アナログ人間としてはあんまり興味ないよというスタンスを貫きたい自分だが、自分の複製つくれたら本当はいいのになあ、とほんのり思う。


自分の親友をやってくれる自分がいたらいいのにな、だ。俺も親友のためならがんばれるし、親友も、俺のためなら、口酸っぱくアドバイスや注意をしてくれると思う。やりたいのにやっていない、自分の心が喜ぶようなもろもろも、「一緒にやろうよ!」と誘い出してくれる気がする。


以前、あれはなんの後だったか、目黒の路上で劇団員のさひがしさんに、たくまはもっとモノを創るべきだ、描くべきだ、と諭されたことがあった。孤独で辛くてのぉ、たまには外部出演なんかもしたいのよぉ、と泣き言を言ったら「孤独との向き合い方が人生のコツだ」みたいに言われた。わからなくはない。わからなくはないが、実際、人といる時の方が圧倒的に能力値が上がる自分がいるのも事実だ。自分のために何かをできるほど強くない自分だが、良くない、と言うのはわかっている。周りが案外に迷惑するのだ。変わらねば。

それにしても完膚なきまでにPASMOを落とした。世のほとんどの人が交通系ICを用いるようになっても結構長いあいだ頑なに切符購入を続けたわたしだが、ひとと行動しているといちいち切符購入で待たせるのが忍びない、てわけで、用いるようになった。そっから先はもう、ほとんどの日常をPASMO頼みにしてきた。


だもんで、なくなると、かなりめんどい。そして、切符をいちいち現金で買ってみると、まさか毎日こんなに交通費を使っているとは!!と驚く。


駅の改札も、もはやほとんどICで、切符で通れるところなんて一個とかだ。現金なんか使う奴はもはや迫害されてる状態で、券売機も見当たらない始末だ。


挙げ句、さっきはカフェに入ろうとしたら現金は使えないと言われて、コーヒーを注文した後なのに慌てて謝って店を出た。ちなみにクレジットカードは持ち歩かない、落とすと怖いから。


駅で聞いても交番で聞いても見つからない。かと言って、新たに作るのも面倒だしシャクだ。なんなら本当はうちにもう何枚かある気もするが、探す気力もない。こんなところに駄文を書き込む暇があれば探せよと思うのだが。

(スマホのカメラがずっとひび割れている)

実は今いちばん必死でやってて特筆すべきは、独り芝居の『カスタネット』だ。なんだけど、どうでもいい文章描き続けているうちに長くなっちゃったから、一旦ここでおしまい。長くて疲れたでしょ。ごめんごめん。


おやすみなさい。

あなたがどうかしあわせであれと、しょうこりもなくいっぽうてきにねがいつづけています。


かなしいこともたくさんあるけれど

どうにもならないこともたくそんあるけれど

しあわせになろうとおもうことこそが、

むずかしいのだろうけれど


すくなくともこちら、

ねがっています

あなたがしあわせでありますように


おやすみなさい

朗読劇『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』が終わりました。千穐楽から少し配信もやっていたから少しだけホッとしていたのに、配信も終わってしまいました。

 

「ま、終わらない夏休みなんてあるわけないもんね」とキヨのセリフが物語の中にもあるけれど、終わらないものってこの世界にほとんどないから仕方なく、それに向き合うしかない。

 

どうせ終わるなら、最高の終わり方にしたい、誰もに自慢できる、かっこいい時間だったと胸を張りたい。

 

これは、演出の時にみんなに話したことでもありました。夏休みの自由研究を、クラスの前で、めちゃくちゃかっこよく発表する、それが5人のワクワクしてたまらない夢でした。5人とも、めちゃくちゃ仲間外れなんですよね、校内で。だから、「キモい5人」が集まって発表なんて黒板の前に並んだ瞬間、クラスメイトはくすくすと意地悪な笑いをぶつけてくるだろうと5人はわかってるんです。それでも、海を盗んできたんだ!最高の冒険を経てな!と、そう叫んでやるのは、想像するだけでうっとりする時間だったのです。50年も経ってしまったんですけどね。50年も終わらなかったヴィンテージものの夏休み、それを自分の意思で今更終わらせないといけないのは、頭おかしくなるくらい悲しい。選ぶはめになったトノキヨもかわいそうです、ほんと。

『僕たちはその鉄橋を』

というタイトルの絵です。

 

50年もの間、ポセイドン号は橋の上に居続けて待ち侘びた。

 

渡り切れなかった鉄橋を、5人は渡り切る、想像の力で。

 

彼らは世界の現実にさえ頼らないで、自分たちの力で橋を渡りきり、砂浜を駆け巡り、波と戯れ、キャンプファイヤーをやり、そしてついには朝日まで昇らせてしまう。勇者なんです。どんなかっこいい戦隊モノのヒーローたちも、彼らには勝てない。

 

僕らは稽古場でそんなことを語らって本番に挑みました。

2021年、舞台初演。

 

必死で作り上げたのでした。

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2022年、小説化、出版。

時を同じくして、舞台再演。

ダブルキャストにし、ダンサーたちも入れて演出も派手にした。

朗読劇、一度目。

実力派の声優たちを集めて挑んだ。

初めて、自分は出演をしないリュズタンだった。

不思議な気持ちだったけれど、出演者も来場者も物語を愛してくれた。

物語が独り立ちした気持ちになった。

 

そして今年、朗読劇2度目。

image

実に5回も姿を変えて、贈り直してきた。

こんな作品は人生でも初めてです。

 

向き合うたびに心がどうにかなってしまいそうになる作品です。

 

て言うのは、いろんなところで語っているので、毎年言うのもどうかと思いつつ何ですが、この作品は僕の父が他界したことににまつわって描いたものです。詳しくは2021年7〜8月あたりのブログを読んでもらえたりするとこの作品が生まれた経緯がよくわかるとは思うんですが、リュズタンは、僕にとってとてつもなく私的な意味合いも持っている物語です。

 

死の直前まで父はこのリュズタンのサウンドトラックを創っていました。筆の遅い息子より先に音楽を創ってしまうというタイプの創作はこれまでも何度かありましたが、その後でこんなに遠くに行ってしまうのは初めて。父の遺した音楽を使って物語を創る、歯を食いしばりながら挑んだのもいまや懐かしい記憶です。

 

だからこそ、この物語をみんなのものにしたいと言う強い気持ちがあります。それは、世界が父と、父の音楽を忘れないで欲しいと言う思いです。父は肉体を捨てて音楽になってしまったのですが、それはそれで、父なので。世界から忘れ去られ無い限りは、父は消えてなくなったりはしないな、と。

 

なんで、父とリュズタン、そしてその音楽を知る人が次から次に現れてくれますようにと願いながら物語を続けるし、そんな仲間が、リュズタンに触れる度に末原康志という存在を思い出してもらえれば嬉しいです。

 

この物語が、いつか古典と呼ばれるようになるのを願っています。生まれて経緯なんていつしか忘れ去られても良くて、僕自身もいなくなって、忘れられてもいいから、リュズタンみんなのものであってほしい。みんなの御守り出会ってほしい。どうかこの物語があなたの物語でありますように。

キヨは、実は4人の仲間といない時間はいつも暗い家の中で一人ぼっちなんです。母親は昼間も夜中も仕事に出かけていて、滅多に話すこともできない。借金取りが来ることも多いので明かりを消している。そんな中でキヨはリュズタンと過ごし、想像の力で無理矢理に毎日を美しい物語に変えていった。キヨは学校でも「それ、リュズタンに言おうかな」とか突然口走るので、当然周りからは浮いている。

 

物語中盤で想像力の練習をする場面は、あれは屋根裏部屋なんですが、キヨなりに調べた海にまつわる絵とか資料とかが吊り下げられてたり、ノリムネからもらった魚の骨とか貝とかがあちこちに飾られています。

 

4人の存在はキヨにとってはすべて。奇跡のような仲間。生まれ変わっても永遠に繋がり続けたいというのは、切実な、夢のような願いなのでした。

フナノはとにかく父親を全面的に尊敬しています。尊敬していい父親ではほんとうはないんですけどね・・・言うまでもなく、周りからは浮きまくり。別に彼自身のフィジカルが強いわけでもないし、やさぐれたメンタルがあるわけでもない。父を、父という理由だけで尊敬し、そしていつか自分もそうなりたいと願っています。古典文学が得意なのは、年老いた祖父と共に暮らしているからだったりします。父から受け継いだポセイドン号をどれほど大切にしていたか、なんてこともよく話しました。毎晩みがいてたんだろうなあ

クラスではほとんど誰とも喋らないミナ。劇中では語られていないけれど、ミナはトノキヨと出会ってから、トノキヨの前で何度も歌と踊りを披露するようになるんです。ミナは、トノキヨだけのアイドルになれればいいと思ったのですね。トノキヨはもちろん、あんなですからね、べた褒めし続けます。

ノリムネは幼い頃から店番を任されていたし、商店街に買い物に来るおとなたちと対等に会話をし続けていて、小学生の頃から性格的にはちょっと嫌な老け方をしています。舞台版では、彼は「生臭坊主」という悪口でクラスのレン中から仲間外れにされていたという設定もありました。そんなある日、キヨが店を訪ねてきて、彼の人生はガラリと変わるんです。

トノキヨの50年間をたくさん想像します。屋根裏部屋で想像力を手に入れたトノキヨ。あの日のあの出来事は、5人全員にとって大事件だった。富める家に生まれ、どんなものでも持っていたトノキヨは、想像力だけを持っていなかった。5人それぞれとの関係性なんかも演者とよく話したものでした。


この物語のおかげで出会えた人がたくさんいて、それが幸せ。

(かずき、ひろくん、かおり、こうたろうくん)


今年なんかは常に大爆笑しながらワイワイと稽古を楽しみました。夏休みの自由研究をやっている気分だった。今年で2年目になる下野紘くん、佐藤拓也くん、西山宏太朗くん、みんな作品をとても大切に思っていてくれて、それ自体がとっても嬉しかった。新しい出演者に、「この冒険は楽しいんだよ!」みたいに語ってくれて共犯者的にみんなを巻き込んでくれて、劇団ぽくて楽しい。


新たな仲間も随分と増えて、誰もが本当に素敵だった。ほんと、ほんとうに仲間になったなあ、と思えてる。絶対に再会しようよ、またやろうよ、と約束して別れた。声優は舞台俳優と比べても圧倒的に出会ってきている物語の数が多いんですよね。その経験値、物語の読解能力、技術と、並々ならぬ感情の瞬発力、それらぶつけ合って、一度きりの物語セッションライブをする、刹那的で、永遠的な時間は、ゾクッとする刺激に溢れていました。そして、同じ物語の中を生きたということが、切りようのない大切な絆になってしまう。

 



同じ役なのにひとによってぜんぜん違う味わいがあったのは御覧頂いたとおり。演出家にとって、演者と役の内部や、台本に描かれていない部分について話し合う時間てのは本当に幸福です。ひとそれぞれ、質問してくるところとか気になるところが違って、話しながら想像して道を見つけていく時間には宝探しめいた楽しさがある。自分で描いた物語だし、何度もやっているのに、まだ新しい宝物が見つかるのかって驚く。

 



(さき、ゆうと、たくやくん、りょうた)


現実世界の中で本を開いて、呼んでいくうちにどんどん物語の中に潜り込んで、気が付いたら現実との見境がつかなくなっていく、この感じは演劇以上に没入感があるとも思っています。

 

ぜひみなさんも仲間を5人集めて、声に出して朗読会をやってみてほしい。5人集まらなかったら、自分の中に5人分の人格を召喚して一人でやってみるのもいいです。なあに、別に誰に見せるわけでもないんだから、うまくできる必要なんてなんにもない。

 

今回、運命のいたずら的に自分も一緒に語り部の一人として物語のなかに入ることになりました。稽古場で素晴らしい演技をしてくれたしょうへいとたすくの芝居を世の中に贈ることができなかったのは悔しかったけれど、未来に持ち越しの約束があるというのは、生きなくちゃいけない理由にもなるし、いい。いいと思うことにします。


僕は舞台版ではずっとキヨをやっていたけれど、今回は、ラッコとワカメ。全員がそもそも自分の分身みたいなところもあるから抵抗はなかったけれど、違う角度から物語や他の登場人物を見つめるのは楽しいことでした。物語の中のほうが現実よりも生きている感じがする僕としては、物語の中で仲間と遊べたのは最高の時間でした。

 

 

とりとめもなく文字を書き連ねてしまってごめんなさい。まだまだ言いたいことがあるし、なにより、書き終えたら公演がちゃんと締めくくれてしまう感じに戸惑って、冗長になっています。ま、でも、ね。

 

どうかみなさん、また会いましょう。

そのために、長生きをしてください。

 

リュズタンのご観劇、ずいぶん難しいことだったと思うんです。想像力と、物語に没入する才能が必要ですから、実は人を選びます。もしもお楽しみいただけたと言うなら、あなたは僕のとっても貴重な仲間である気がするのです。僕は生涯こうやって物語を創り続けるし、それこそが世界を変えるための、僕に持ち得る唯一の手段と思っています。

 

想像力至上主義、物語愛好家のあなた、どうか、これからも、僕の物語の中に遊びに来てほしいと強く願います。

また会えるぞ、と、またあったとき嬉しいぞ、と想像するだけで、いまこの瞬間が輝く思いです。

 

。。


僕は次は10月27日にひとり芝居をやる予定があります。

路上で独り芝居をやっていたというのがそもそも僕の居演劇キャリアの始まりです。

この日は赤坂に張られたテントの中で公演をするんですが、客入れから客出しまでずっと場内をうろついていると思いますので、もしよかったらいらっしゃって、気安く話しかけてください。あなたという物語仲間の顔を覚えたいし、物語を贈りたい気持ちです。

末原拓馬ひとり芝居

『カスタネット』


10月27日13時開演

@赤坂サカス広場 特設紫テント


僕が生涯をかけて世界中に広めていきたいと願っている物語です。


受付開始 12:00 

  開場 12:30 

  開演 13:00


【あらすじ】

世界に復讐を誓う盗人ドブロクは、花瓶に言葉を吹き込み兵器とする作戦を王に持ちかけ死罪を免れようとする。国中に66の花瓶を配り歩く中で最後に出会ったのは、孤児の少女カスタネットだった... ーー憎しみから生まれた兵器、愛から生まれた奇跡。戦火の中で生まれた愛と祈りの物語。


【チケットについて】

〇お金持ち 時価 ~78万

〇ふつうの人 6000円

〇貧乏な人 2500円


https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/025rqjxksi041.html#detail


主催:赤坂舞台芸術祭

協力:TBSホールディングス

 

 どうぞ軽はずみにご予約いただいて、遊びに来てください。

この度は、リュズタンの物語にご参加くださり本当にありがとうございました。


また会いましょう。


どうかあなたが、素敵な想像力とともにいつまでも幸せでありますように。そう想像するだけで、幸せです。


ありがとうございた。

また会いましょう。