おぼんろ第25回本公演
『ジョバズナ鼠の二枚舌』
駆け抜けた。
終演後のまとめは昔から苦手。1週間経って、たくさん新たな仕事の現場にも赴いたりしているものの、まだ放心状態というか、ふわふわしてる。よく、自分が死んだことに気付いていないオバケみたいなの場面あるけど、あんな感じ。終わる前と終わった後の違いがあんまりなくてヘンテコで、でもこれは、続いているからなのかも知れないな、物語が。
物語は続く
ーー鼓動が止むまで
っていうキャッチコピーを世に放ったけど、本当は鼓動が止んだあとでも物語が続くことくらいはわかってる。でも、続かなくてもいいぞと言ってのけられるくらい、今を生きたい、そんな心持ちを世界に鳴り響かせてやろうよって物語でした。
原点回帰のその先を覗き見したくてやった公演。
でも特別なことは何もなくて、一番普通に、ありのままにやろう、てだけな感じ。「もうあの頃には戻れない自分たちに気付いた」みたいな悲劇は一切なくて、超ふつうに元の自分たちで、かつ、そうでありながら進化してる自分たちでもあって、何年もかけてやってきたあらゆるすべての時間がここに繋がったんだと心から思えて幸せだった。
「おぼんろ」という旅の道中で出会ったたくさんの仲間たちとの再会。参加者と顔を合わせ言葉を交わしながら、なんだか言い方は失礼だけど人生をかけて集めた特別なコレクションをみているような気持ちにもなった。この劇団を通して創り上げている最大の作品は「おぼんろ」そのもので、その構成物は、参加者のみんなと語り部と、物語と想像に根ざすたくさんの思い出。
魚に墨塗って紙にべたーってやるのを魚拓っていうけどさ、なんか、自分にペンキぶっかけて空気に押し付けたらこの物語ができた、という感じなの。ドキュメンタリーと言うと違うのかもだけど、自分たちの命が原材料な気がする。
♫ふいうちで歌い出すオープニングソング
まだわけがわからなくても大丈夫
終わりが怖いがはじめるぞ
別れが怖いが愛し合うぞ
オープニングソングの歌詞。
ーー何度も何度でも、「よし、ここから始めるぞ」と宣言し直していきたい。2025年までのおぼんろは序章に過ぎなかったんだね、なんて笑い合う未来も小気味がいいや。
本番中、物語の中に埋没して我を忘れる方でもあるんだけど、同時にしっかり末原拓馬である部分もあって、それが「俳優」と「語り部」の違いかもなんて思ったりもする。何を語るか以上に「誰が誰に語るか」が大切なことは人間には多くて、さらに自分には「誰と語るか」も大切なことみたい。
「この一瞬のために私たちは生まれてきたんだ」
なんて台詞をマヤカシとして聞きながら、場内にパンパンに詰め込まれた参加者のみんなを見下ろし、隣に座る仲間たちの顔を見て、「あー、死ぬ時思い出しそー」なんて感じたりもした。幸せだと怖くなったり寂しくなることが小さい頃から治らない自分だけど、涙が出るほど幸せな瞬間に心臓打ち鳴らすことができるなんてラッキーな命を授かったものだと思う。
不老不死に憧れたことはない。家族だけはそうでありますようにと考えたことが小学生の頃なんかあったけど、そこに、自分も生きていたい気持ちは含まれてなくて、そうである以上、そんな残酷な願いをするほどもうトンチンカンでもない。
限りがあっていい。「これ以上は想像できないや」ってくらいの幸せをこれまで何度も感じて生きてきて、それでもまたしばらくすると、そう言う幸せに出会う。そんな自分を悲しいと思ったりしつつ、自分のことはさておき、そうやって生きている間に誰かを笑わせたりできたことは幸せに思う。
またすぐに再演したいね、海外にも持っていきたいね、なんて話しながら、次が9月で、次の次が26年2月の本多劇場、これはどちらも新作だからまた鼠になる日はいつだろう。常設小屋を持って次から次にいくつもの演目を繰り返すという夢があるにはあるけど、とりあえずはカラクリもカケヒキもデッチアゲもマヤカシも、たくさんの鼠たちも、ドクトル・マーサも研究員たちも、カッテディーモジーロもダツキューピンも、みんなお疲れ様。
今後ともどうか、おぼんろをよろしくお願いします。次はもっとすごいおぼんろになれるべく、またいろんな世界で修行です。
キンキラキンのラブをあなたに。








































