誰かの歳上である、すべてのあなたよ。いい?しっかりなんかしなくていいんだからね。あなたはいつまでもひとに甘えて、これまでの経験を活かさない向こうみずな挑戦をして失敗して周りに迷惑をかけるような、まだまだ未完成なひとでいい。あなたこそが、世界で一番ワクワクしている人間でいて。

おはよう。もしかしたらきょうがさいごかも、ということをぜんていに、わらって、すごそう。「ごめんなさい」よりも、「ありがとう」を。「だいじょうぶかなあ?」よりも、「たのしみだなあ」を。「きらわれるのこわい」よりも「あいしてるってしあわせ」を。かがやけ、きょう。たのしめ、あなた。

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稽古三昧の日々。一応出演者ではあるのだけど、脚本、演出家でもあるから、なんか、イェーイ!みたいな写真など撮る感じにもならず。


ライオンと呼ばれる、肉を食う人々と、食われるための生き物であるスゼジュ・ドロームという生き物の物語を描いた。


プロデューサーの意向やキャストとの出会いもありながら、こんなことがなかったら描かなかっただろうなあ、という作品を描けて、そして、自分なりに、相当、良いと思ってる。


この作品を描かないで死んでいく人生を想像したときに、いやぁぁぁ、創れてよかった!とおもうし、あわよくば、これからも長く長く大切にしたいな、と思う。


主演の橋本真一、いい。座長、主演と演出家はタッグを組むことになるのが演劇現場なのだけれど、相方としてものすごく信頼ができていて、救われているし、冒険心をくすぐられる。


岩佐プロデューサーとの話し合いを経て、そこから物語の草案を創っている頃に真一と出会い、数時間2人で散歩し語り合い、そしてこの物語ができた。誇らしい。


劇団員さひがしジュンペイもいるのだけど、とても、いい。流石に、まあ、信頼できる。


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今日は、愛する姉の誕生日だった。愚弟、愚弟と言いつつ、ずっと大切に育ててくれた、ねね。誕生日、うれしい。みんなで祝福してとツイートしたら、ほんとにみんなが一緒に祝福してくれた。嬉しかった。


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おやすみなさい。

性懲りも無く祈ります。


あなたが、幸せでありますように。

おやすみなさい。

おやすみなさい。


またね。


深夜と明け方のはざまで、眠るのがもう面倒になる。眠らないで、目覚める方法はないか、と思ったりもする。目覚めた瞬間は、好きだから。でも、眠るのは得意じゃない。

 

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千羽鶴を折って贈るのはほんとにバカなことなんだろうか。「そんなことよりも具体的に相手のためになることをやれ」というけど、ほんとう?手も足も出ないときに、祈る、それは、なんのエネルギーも生み出さないのかしら。


「同情するより金をやれ」という思考は、同情だけして人を見殺しにするひとばかりの世界には有効だけど、あまりに突き詰めすぎると、わけがわからなくなる。その結果が、現代のこの世界なんじゃないのかな。

 

僕は、いつまでも祈りを大切にしていたい。呪術的な力が存在して、それで世界を変えるかどうか、そんなのはわからないけれど、これからの世界を作っていく手がかりとして、祈ることの大切さをあんまり、極端に馬鹿にしすぎると、ソドムがゴモラしてベスビオスが火の山になってくよ。

 

とりあえず、千羽鶴を折ろうとした人たちのことをこきおろした発言を聞いて、僕の心は幸せにならなかった。それって、重大なことのように思う。

 

祈りを形にして届けることが、先方の迷惑になることはありえる。それは、そう言うことがあるんだなあ、と知って、じゃあ何をどうしたらいいか、と考えたらいいかもしれないね。

 

でも、「あなたのことを祈ってますよ」と伝えられることが、弱っている人にとって救いになることもあるってことも真実だ。人知れず祈られても、気付かずに、孤独を感じて信じてしまう人もいる。口喧しい「心配してるよ」の声が、うざったくても時に、面倒臭過ぎて生きなくちゃと思わせてくれることもある。

 

たしょう不器用でも、愛や祈りや思いやりは、なるべく耳に聞こえ目に見えるように相手に伝えていったほうがいい。そうすることが批判され過ぎて、祈り人が恥じらって、もう祈らなくなるような世界、本当に正解なのかな。

 

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リュズタン再演に向けてたくさん、あの物語について考えたり、語ったりと、向き合うのだけど、まだ実は、少し難しくて、危うく崩壊しそうになり、とっさに、心の扉を閉める癖がある。ドラマなどでは、「思いのままに泣いていいのだよ」と、誰かが言う場面がよくある。でも、はっきり言って、今は全然、そんなことしたくない。できそうにないし、そんなことしてしまうより、忘れたフリして前に突き進む方が、親孝行であると思うので、安心できる。僕は僕の悲しさを、気持ちいドラマとして消費したくない。ロックミュージシャンの息子は、そう思う。

 

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連日連夜、こりっち舞台芸術「劇トクッ!」と言う配信番組で特集してもらっている。収録したのは、先週。

 

どうでもいいけど、自分が頻繁に胸をドンと叩いたりしながら喋っているのを許せない。こら!って思う。だって、胸にマイクついてるんだもん。音声さん、ごめんなさい。すごいノイズ、あと、なんか知らないけど、胸の前で拳をゴツンとぶつけたりも頻繁にする。て言うか、客観的に見ると、謎に動きすぎだし、あと、しゃべりも、動詞や名詞の数がたりてないし、主語を言わないでどんどん話していて非常に分かりにくい。

 

自分のインタビュー記事がよく何言ってるかわからないのはこのせいか、と合点がいく。会話の4割くらいを目配せとか、身振り手振りとか、声色で説明しているから、文字起こしするとめちゃくちゃなのだと思う。

 

反省しているし今後気をつけるので、みんな・・・許してください。

 

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しばらく不眠不休な様子で頑張っていたのだけれど、昨日の夕方、外出先にも関わらず意識が飛んで座っていることも難しくなった。睡魔に襲われ続け、ほうほうのていで帰宅するも、気絶。爆睡。よくない。

 

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表現は自由だけど、人を傷つけるのは自由じゃない。バットの素振りは自由だけど、うっかり誰かの頭を叩き割っちゃダメなのと同じ。


傷つく人の想像もつかない人間が、自由を謳歌したがるのは果たしてどうなんだ。他人の不幸は蜜の味?そういう思考の下卑たひとは、けっしていい人のフリはしない方がよくて、でもだからといって、「どうせ最低な自分、許してね。人間臭くて魅力的でしょ?」というのも解せぬ。


少なくとも恵まれているであろう僕たちは、不幸に憧れて、不幸の刺激に興奮してはいけない。そんな気がする。


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まぶしいものからにげだしてひかげでなきたいときもあるのでしょ、いいの、いいの、それでいいの、むりはしないで、すこしやすも


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おやすみなさい。あなたがしあわせでありますように。さちあれ、さちあれ


あなたのこんやに

あなたのあしたに

きょうに

いまからに

いつまでもに


さちあれ

さちあれ


ねがいます

4月24日

花が綺麗。そう言う季節になってきた。目を見張る。


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公演終了後のブログというのはいつもなんだかうまく書き損ねる。脚本提供した『グレートフルグレープフルーツ』と、出演していた『おしり筋肉痛』が同じ日に千穐楽を迎え、あー、もう1週間かぁぁぁ。


って、のんびり思い返したいところなんだけど、千穐楽の翌日から迫り来る締切や打ち合わせや配信や締切や収録や締切なんかとがっぷり四つ、絶望的に忙しかったもんで、そしてまだまだ危機は去っておらず、いろんなものにちゃんとバイバイしていないことによる、なんか不思議な気持ち。


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お誕生日会に向かってる。いわさゆうきの。喋り、そして、即興劇をやるらしい。「それを誕生日プレゼントにしてください❤️」って。大丈夫だろうか、拓馬さん。


寄り道しようと早めにでたのに、電車が止まって、閉じ込められている。なんてこと。間に合うのか。タイトスケジュールなのでくれぐれも時間に気をつけてください!と釘を刺されている。


「ごめんごめん、早く出たんだけど電車が遅れて」がオオカミ少年的な意味合いで通用しないくらいに普段から遅刻癖がありすぎる。


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電車のなかで幼稚園児くらいの女の子と、お母さんが笑い転げてた。思い出し笑いだ。2人が何を思い出したかというと、おばあちゃんが「ランチョンマット」のことを「ランチョンマッチョ」と言い間違えた件についてだ。


「ら、ら、らんちょ、ん、、ま、まっ、、ちょ!!!らんちょん、ま、まっちょ!!!!wwwww」


と笑い転げるふたり。混ざりたかった。でも、混ざらない。金髪は人を威嚇するから、注意。


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大人の麦茶には前説があって、そこで、しょうごくんが「なぞかけ」というのを毎ステージ披露してた。と言っても、しょうごくんが考えるわけじゃなくて、ネタの提供は共演者。男子楽屋で、開演前にみんなで頭をひねってた。拓馬は、けっこうたくさん採用してもらった。そうか、ラジオのハガキ職人になる人ってこんな気持ち?


で、なんとなく、謎かけを考える癖がついてしまった。


「素晴らしい演劇を体験したあなた」とかけまして「浜に戻るための燃料の量が十分でなかった船」とときます。その心は、どちらも「ものがたりぬまに、しずむ」


物語沼に沈む

物が足りぬ間に沈む


言う場所がなくなってしまったから、ネタ供養としてここに書くね。

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ジュロコロ基金をふたたび始めた。先日は大人の麦茶のみんなにも協力を仰いだ。ここのところ、いろんな舞台に客演しようとしてる理由のひとつに、カンボジアのことがある。いろんな人と出会い、協力してもらうことで、世界を変えていきたい。シリアスな活動に重要なのは、おもしろおかしくたのしくしあわせにやる、ということ。決して不謹慎にならない配慮が必要だけど、なにがあっても陽のエネルギーで成し遂げるんだ、という強い意志は必要。エンタメの力を発揮したい。


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自分の描いた物語に、前よりもたくさんのひとが参加するようになった。責任をしっかりと持ちたい。


物語は人を傷つける。100人観客がいて、その中に、もしかしたらこの物語で傷つく人がいるんじゃないか?と作家は常に考えなくちゃいけない。ここに存在する暴力は本当に凶悪で、残酷だ。日本において、いち俳優の作品に対する発言権はほぼ皆無が基本とされてる。僕は俳優として、そういうものに加担してしまったことがある。僕は、言う。俳優のお行儀よりも、当たり前だけど観客の無事の方を優先したい。でも、1人の人間として、作家や演出家にどれほど抗議をしようとも、越権行為に限界はある。そして、さまざまなバランスを考えて、折衷案ということで妥協してしまうのだ。しかし、やっぱりものすごく、しばらくして後悔する。


そんな生き方はもうやめたいと、心底思う。止められなかった暴力に対して僕は、これから永遠に償わねばならないと思ったりする。たかが物語だけど、そこだけが、自分の生きられる場所。


で、作家としては、全ての人を共犯にしてしまう可能性を常に想像して、丁寧に物語を描きたいし、小さな言葉にも耳を傾ける柔軟さを持っていたい。


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イベントは大成功。即興劇も完璧だった。僕は、一芸のように即興劇をやりたくないと思っていて、即興の中にも、いや、即興の中だからこそ、そこに祈りが存在したりもする。笑ってくれたり、泣いてくれたりしたみなさんありがとう。よんでくれた、ゆうきもありがとう。いよいよ稽古開始が近い。がんばる。


4月25日

平和のつくり方を話し合う場所でさえも、喧嘩が起こる。でも、あきらめたくない。あきらめたくないのです。


さまざまな事情によって、つながることができないひとがいる。でも、本当は、夢に見るほど心底繋がりたいと思っていたりもする。その小さな心の、あったかくて痛いこころの揺らぎは、なかったことにしたくない。

缶詰状態。複数の締切があると、混乱してどっちも手がつかないということがよくある。よくない。


夜は『埋葬は三日月の朝をくちずさむ』のリモート会議二本立てだった。そして、明け方まで、作業。朝、ホトトギスがたくさん鳴いていた。まだ鳴くのがうまくない子とかもいて、ほほえましい。


さあ、今日もがんばるぞ。

あなたが何をしているのか、想像します。天気もよくなかったり、いろいろあるかと思うけど、どうかなるべくニコニコ笑って。くれぐれも、ハッピーになろうとすることあきらめないで。あなたの幸せ願ってます。


久しぶりのブログになっちゃった。

またね。