脚本演出をしている舞台の幕が上がり、脚本4本の執筆に追われながら打ち合わせを繰り返したりな日々。例によって、日々の中でだらしなく書き溜めた文章を放出です。

7月28日

「霊柩車を見たら親指を隠さないと父親が死ぬ」

 

そんな迷信を小学校の時に聞いて以来、すこぶる気をつけて生きてきた。

 

今日、仕事の帰り道で霊柩車を見かけた。最近はあのお神輿みたいな車ではなくて、かっこよくて黒い外国車だったりする。慌ててサッと親指を隠したものの、もう気にしなくていいんやないかーい、と、お笑い芸人よろしくなるべくひょうきんな感じで自分にツッコミを入れる。

 

7月29日

舞台Clubドーシャ劇場入り。スタッフたちのクリエイティブが一堂に会する特別な時間。「裏方さん」という言葉はあまりしっくりこない。裏からみればこちらが表で、それはそれはクリエイティブな喜びと熱い闘いが渦巻いてる。表裏一体だ。

 

幾度となく重ねられるワクワクとした打ち合わせは、それはそれは楽しい。演劇愛と情熱で繋がるスタッフとの新たな出会いと再会を楽しみにして生きている。今回のチームも抜群に素敵。

 

。。。。

 

炎天下の下、とてつもない数のミミズがひからびて死んでいた。昨晩が大雨だったからだろう。

 

おとなしく土の中にいればよかったのに何してるんだ?バカなのか?と、亡骸を目にした自分のショックに任せてズケズケとおもう。そして、その後で、やめとけばいいのに、命をかけてでも外に出たかった彼らのロマンもを想像してしまう。

 

あー、自分たちも偉そうに言えないじゃんな、と思う。生命活動を続けることが目標ならば安全な家の中に立て籠もって生きるのがベストか?ミミズは、そして人間は、何のために生きてるんだ?

 

命を危険に晒してまでやる意味のあること、を僕らは繰り返してる。どのくらい晒すかは匙加減、晒しすぎた者がたまにうっかり死ぬ。死ぬほど生きたかった命を、そこまで堂々と馬鹿にはできない僕ら。

 

 

8月2日

アンタ本番中に関係者席でスマホ観てたの!?とマネージャーに言われる。「脚本家が関係者席で本番中に携帯を見ていた」的なことがネットで話題になり拡散されてるぞ、と。

 

ひょへ!?と声が出た。当たり前だけど、そんなことするわけがないのだが、魔女狩りを彷彿とさせる根も葉もない濡れ衣を着せられて風邪を引きそうである。火のないところにも煙がたつのか.....


今回は、かが屋さんとの共同で脚本を描いたので脚本家と言えば2人いるのだが、賀屋さんが来たのは翌日なので、この場合、容疑者は僕だ。

 

やって、おりませなんだ・・・

 

まず、初日からしばらくの本番中は、終演後にキャストとスタッフに作品改善点を伝えるため、紙とペンを握り締め、命懸けで作品のチェックをしている。それが演出家の仕事だし、僕は日頃から、劇場に入ってからもしつこく作品を磨きたいたちだ。

 

それに、そもそも関係者席に座ってない。本番中に演出家が隣でメモを取っていたらお客さんの迷惑になるだろうからと、僕はメモを取りたいとかは制作さんに言って特別な席を用意してもらうことにしてる。やむを得ずお客さんの隣に座ったことも過去にはあるが、そんな時は気を散らせないように細心の注意を払う。シーンの最中に突然演出家が隣でカリカリカリカリとメモを始めたら「あ、ここのシーン、問題あるんだ!」とか思っちゃうだろうなあ、と思うのである。気にしすぎかもだが、僕は本番の場内で起きることについて病的に完璧主義なところがあるのだ。

 

何よりも、我々演劇人にとって、客席の観劇マナー向上は悲願。昨今はみなさまのおかげで良い観劇マナーが浸透してきてありがたい限りだが、世界の様々な演劇大国を参考にすれば、もっともっと素敵になる気もしている。堅苦しくなりすぎず、だけど、他人の自由を踏み躙らないようにみんなが自由でいられる空間創りをこれからも目指し続けます。

 

と、まあ、自分の身の潔白をここでひっそりと晴らしておきます。Twitterに書こうかと思ったけど、万が一にも勘違いなさったご本人を傷つけたいわけでもないし、なんなら、僕らの作品を愛して守るために怒ってくれた人が何百人もいるのは嬉しいことだと思うので、ここで、ひっそりこっそり、弁明。なので、どなたか、「末原は観劇マナーがひどいし自分の作品への愛がない奴だ」みたいな噂にでくわした時には、「その話は誤解らしいよ!」と優しくお伝えくださいまし。

 

それにしても、僕に間違われたマナーの悪いドッペルゲンガーはどこの誰なのだろうか。その彼が犯した殺人の罪である日僕が逮捕されるなんて物語は面白いぞ、とすぐに妄想をし始めてしまう。そして最後は、濡れ衣を着せられたフリをして僕が罪を犯すというどんでん返しだ。そして、本当は、ドッペルゲンガーは僕の方だったのだ...なんつって。

 

ちなみに、マネージャーからは満面の笑みで「もっと顔と名前を売らなきゃってことだね!(だからもっと働け)」と力づくで丸く収められた。

 

東京ドームシティを訪れるとすこし感傷的になる。父とライブを観に来たことなどが思い出されるからだ。

 

小学生の時、初めて東京ドームでライブを観にいった。父はロックギタリストだったので、僕はとてつもなく幼い頃から父の演奏する様々なライブやコンサートに連れて行かれていたものだけれど、父と二人で「楽しむために」ライブに行ったのはこの時が最初だ。小学生にしてロックの魅力に目覚めた息子を父は喜んでくれていたのだと思う。父なりのロック史をエピソードまじりに語ってくれながら、次から次にレコードやCDを聴かせてくれた。今にして思えば、父が喜んでくれるのが嬉しくて音楽を聴きまくったところもある気がする。

 

最初に東京ドームに行ったのはエアロスミス

続いてローリングストーンズ

中学校のときには、ジェフベック。

大人になってからはヴァンヘイレンだ。ヴァンヘイレンのチケットは、誕生日かクリスマスの父からのプレゼントだった(つっても他のものも父がチケット代を出しているのだけど)。

 

今日、劇場に向かう時に車の中で聴いていたラジオで、ヴァンヘイレンが流れた。ジャンプ。父と行ったライブのクライマックスで演奏された曲だ。東京ドームシティに向かう途中でこの曲が流れるだなんて!と、こんな些細なことを、偶然以上の素敵な奇跡として無理やり感じとる力がある僕らは幸運なように思う。

 

また、エアロスミスがツアーから引退するというニュースを目にする。時間の移ろいに思いを馳せる。

 

感傷的になるもうひとつの理由は、ドームシティ内にあるGロッソと言う劇場に出演していた千穐楽の日に、父が亡くなったのだ。


かつて胸をときめかせて遊びに来た場所で、いまは仕事をしているぞ、と父に胸を張る。

 

・・・・・・

 

アイスクリームって、イベントぽい気持ちになれる。小さい頃、アイスを売りに来る車があった。水曜日の夜だ。音楽と放送が鳴り響くと胸が高まったのを覚えてる。母は「アイスい曜日。夫は妻を愛すクリーム?」というダジャレを毎回言うのだった。

今日、31のロゴの意味を初めて理解した。バスキンロビンスの頭文字BRの内側だけ色がついていて「31」と読めるだなんて!みんな気付いてるのか。31という文字を成立させるためにバスキンロビンスと言う名前にしたのか、それとも、バスキンロビンスのロゴを作ろうとして31の数字を見つけ、「サーティーワン」と名乗ることになったのか、それとも、バスキンロビンスと言う名前も31という名前もあらかじめ存在していて、偶然、このロゴになったと言う奇跡があるのか。

 

調べればわかるけど、今日のところは調べないことにする。

「再会」と「出会い」がやたらと多い日々。すべての出会いが再会のための伏線と思うようになってから、あらゆる出会いがとにかく嬉しい。


スマホのカメラにひびが入った。


暑い日々が続いているし、地震も台風も、ゲリラ豪雨もあるし、コロナもあるけれど、毎日ちゃんと笑える人類の図太さを愛してます。


今日もあなたが幸せでありますように。


震えながら演出家をやってる。


恐怖のせいではない

稽古場が、寒いのだ


俳優は動き回るから暑いもんで、稽古場では彼らに合わせてクーラーをガンガンにする。しかし、こちとらは座りっぱなしだ。凍える。ほんとに凍える。


そうでなくても1年中長袖でいる寒がりの自分だ。長袖の上に長袖を重ねてる。


7月19日

じゅーくりーむの日。

シュークリームをたべる。

しょーこりーもなく、たべる。


7月20日

髪を切る。

けっこう切った。


いつもお願いしているひとがどうしても都合つかなく、それはそれは適当に決めたお店の初めましての方に切ってもらったのだが、「どうしますか?」と聞かれて、やっぱり答えられず、任せてしまった。


「自分で自分のことを決めるのが大人なんだ」と叱られたことがある。


そうありたいと思ったのに、自分の髪の毛のことさえ、どうでもいいなんて。食べ物にこだわりもないし、滅多なことでは「いやだ!」という気持ちにならない。なれない。


さすがに大人に見られないとかっこ悪いフェイズに突入しているもので、がんばって、何事も自分で決めたいフリをしてみたこともあるけれど、大人ごっこをしてるみたいで逆に幼い奴な気分になる。自分のことは自分で決めるべき、なんてことを他人に決められているようじゃまだまだである。


こだわらないことには胸を張って、こだわらない勇ましさを手に入れたい。


7月21日

また脚本を描いて提出してしまった。このひと月で3本目だ。どうしたんだ、こんなに締切を守れるだなんて。


基本的に、提出しました!みたいなことは公に言うこともない。脚本の進行てのはどうにもはやくて、まだ制作発表もされてないことが多いのだ。秘密裏に進めている。人知れず、独り、部屋にこもって。


7月23日

稽古前に、9月に出演する『パニックピッカー』のヴィジュアル撮影に行く。Clubドーシャとは打って変わって、この座組では下っ端でとても心地よい。いわゆるバイプレーヤーのお兄さんたちが手を組んでつくりだした劇団。


艶漢という何年もやっていたシリーズでの戦友、三上俊ちゃんとも久しぶりの共演。たまたま撮影の時間が被ったおかげでの再会できてうれしかった。

こういう誰かとの再会のときに、相手より喜びすぎてしまう癖が自分にはあることを最近では自覚していて、気を付けてる。


撮影のヘアメイクさんが「覚えていないと思いますけど、私、実は前にご一緒したんですよ」と話してくれた。マスクで最初は気付かなかったけど、言われて、あー!と思い出したので「あ、覚えてる!」と言ったのに、「いえいえ、そんなわけありません」となぜかそのまま押し切られ、その日に初めて会ったという設定になってしまった。本当に覚えてるのに!


なんなら、終演後にウィッグを外すのが遅くて怒られたことさえ思い出した。


あっちは、「袖水にリンゴジュースとカルピス置いてましたよね!?」と言っていた。人それぞれ、記憶している部分が違うっておもしろい。


7月25日

毎日、脚本演出をしているClubドーシャの稽古だ。昨年と同じメンバー。昨年は、初めましてから互いを知り、知ってもらい、好きになり信頼していくという「付き合いたて」のような心拍数でもって挑んでいたけれど、一年経ってみると、熟年夫婦みたいな関係になってておもしろい。遠距離恋愛に倦怠期はないと聞いたことがあると言うけどそんな感じで、1年たったら幼馴染劇団みたいな感じになってた。1年に1ヶ月だけ共同生活するみたいなこの感じ、今後も続いたらたのしいのにな、と思ったりする。



昨日の稽古後になぜかやたらと調子がでて、悩み続けていた脚本が一気に進んだ。締切の4日前に提出できてしまった。


難しいお題に思えて、解決案がないのではと頭を抱え悶え苦しんでいたのだが、突破口を見つけるや、筆が泳ぐように進んだ。依頼してくれた相手への贈り物、一生宝物にできる一本になりますようにと願うと自然、力が湧いてくる。だからこそ緊張すると言うのもあるけれど。


しっかし、脚本と言うのはふつうのひとには読むのが難しい。自分だってビルの設計図わコンピュータのプログラミングの数式を見せられたってちんぷんかんぷんなので何も言えないが、脚本を描いたところでにわかに内容を分かち合える人がまわりにもっといたらいいのになと思う。つくづく孤独な仕事だ。


。。。。


大事な時に連絡くれたのに、大事なときだったから返事できなかった人、というのがたくさんいる。


後悔に塗れて生きるのは苦しいので、いつか、きっと、いつか、と思い続ける。

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演出助手が3人もいて楽しい。まさき、あきひろ、みゆきという3人が華麗なトリオ体制で現場を回してくれている。贅沢だ。たのしい。

猫をみつけると嬉しいのはなんでだろう。

もっともっと、野良の動物が練り歩きまくっている世界ならいいのにな。もちろん、都市衛生と安全には感謝しているけれど。


今日もあなたがしあわせでありますように。

暑かったり雨が降ったり雷が鳴ったらするのだから、僕らも笑ったり泣いたり飛んだら跳ねたり寝転んだらして良いと言うことです。


えいえいおう







おしもおされぬ、パパの命日。決してアニバーサリーだイェーイて感じの日ではもちろんなくて、なんなら忘れたい日だよなと言う気持ちもありつつ、でも、誕生日と命日、年に2回パパ祭がある方が豊かな気がして、いちいち、大事にしてみる。なんなら父の日もこっそり父を讃えているので、パパは年に3日も記念日があって羨ましい。


3年目である。もう?て気持ちと、まだ?て気持ちが入り混じる。父の不在に慣れたわけではないのだけれど、喪失感とはほどよい関係を築けてきた気はする。フと夢で当たり前に会話してたりもするのはおもしろい。「パパ!?パパなんだね!会いたかったよ!」みたいなドラマチックな感じは特になく、なんならほのかに叱られてムッとする夢をみたりもする。ちなみに母は、父を夢に呼び出すために寝る直前に線香あげるという技を編み出したらしい。無理矢理に魔法のアイテムに仕立て上げられて線香も迷惑してると思う。


それにしても、亡くなって2年目が3回忌という抜群の紛らわしさをどうにかして欲しい。そして3年目の今日は特にスルーと言うのも不思議だ。いいんだけどね。


母と何か特別なことをしようかとも考えたけど、別にわざわざどこかに行ったり誰かに何かを頼んでお祈りするのも妙だよな、と言う結論。毎日父のために祈ってるし、やはりあまりに親しいのだ。オフィシャル感を出してしまうとちょっと他人行儀で不自然な気がする。

 

命日。命の日。死ぬのと生まれるのは似たようなものだよなと最近は思えるようになった。どうも僕ら、命にあんまり緊張するのは良くない。死ぬのに緊張するよりは生きるのに緊張して毎日過ごした方がよっぽど費用対効果がいいよと思うのだ。


おぼんろ最新作公演の聖ダジュメリ曲芸団と言う作品ではテーマの一つとして命のことがあった。圧倒的なる命の軽さ。みんな、最後の最後でものすごく何かを成し遂げられたりしないし、夢半ばで、あまりにあっけなく命は終わるし、周りの人も、一番伝えたかったことを最後に伝えられたりもしない。でも、いいのである。どうやら、いいのだと思ったのである。命なんてあまりにあっけなく消える、そこに問題なんてあるか?ないと思う。さらに、その死というものがドラマチックでロマンティックでないといけないわけでもない。


「あの頃はよかったよなあ、良かったよなあ。あの頃で良かったんだよなあ」


あの頃があったいいのよ、それでもう、全部いいの


物語の中で人間と猫が交わす会話だ。


父の息子として、最高だった「あの頃」がありすぎる自分は、いくら父の死で泣いたにせよ、あまりに儲けもんな人生を送っている。


そう、ようやく音楽を聴けるようになった。父がいなくなって以来、音楽というものが自分にとって恐ろしいものに変わってしまった。音楽を聞くたびに


音楽をきく→テンションあがる→よし、次のサントラはこんな感じにしようとパパと話そう!


ということが成し遂げられないことを思い出してしまうのであった。もちろん、この3年の間にもライブをやったりだとか公演をやったりだとかはしたのだが、父がいないのに父とやっていたことをやる自分、という、なんならレクイエム方面の色に染まった時間だったりしたのだ。


だけれど、ようやくだ、ようやく、ダジュメリで父の仲間と共に自分主導の音楽を創ったことにより、なんか、パパとは融合したからもう寂しくないもんねー、ていう気持ちだ。本当に、文字通り生まれた時から音楽に囲まれていた自分にとって、人生に音楽が舞い戻ってきてくれたことは大きい。


3年前のこの時期のブログなんかを読み返すと、思えば元気になったのだなと思う。同時に、もう昔の自分には戻らないんだな、と思う。


まあ、良いのだ。私は生きるのだ。


ロックギターリストのパパの息子であることをこれからもことあるごとに自慢し続け、いつまでも超えられない父という壁に挑み続けながら、生きてやる。そう言えば「こんな大人になれ」みたいなことは明確に言われたことがないように思うので、しっかり者のようでめちゃくちゃだったパパのようにがんばります。


父の音楽がいまでもあちこちで愛され続けていることを誇りに思います。サブスクなんかでも聴けるようになってるので、yasushi sueharaなり末原康志なりで探してみてくださいな。


これからも末原康志とその音楽をよろしくです。