朗読劇『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』が終わりました。千穐楽から少し配信もやっていたから少しだけホッとしていたのに、配信も終わってしまいました。

 

「ま、終わらない夏休みなんてあるわけないもんね」とキヨのセリフが物語の中にもあるけれど、終わらないものってこの世界にほとんどないから仕方なく、それに向き合うしかない。

 

どうせ終わるなら、最高の終わり方にしたい、誰もに自慢できる、かっこいい時間だったと胸を張りたい。

 

これは、演出の時にみんなに話したことでもありました。夏休みの自由研究を、クラスの前で、めちゃくちゃかっこよく発表する、それが5人のワクワクしてたまらない夢でした。5人とも、めちゃくちゃ仲間外れなんですよね、校内で。だから、「キモい5人」が集まって発表なんて黒板の前に並んだ瞬間、クラスメイトはくすくすと意地悪な笑いをぶつけてくるだろうと5人はわかってるんです。それでも、海を盗んできたんだ!最高の冒険を経てな!と、そう叫んでやるのは、想像するだけでうっとりする時間だったのです。50年も経ってしまったんですけどね。50年も終わらなかったヴィンテージものの夏休み、それを自分の意思で今更終わらせないといけないのは、頭おかしくなるくらい悲しい。選ぶはめになったトノキヨもかわいそうです、ほんと。

『僕たちはその鉄橋を』

というタイトルの絵です。

 

50年もの間、ポセイドン号は橋の上に居続けて待ち侘びた。

 

渡り切れなかった鉄橋を、5人は渡り切る、想像の力で。

 

彼らは世界の現実にさえ頼らないで、自分たちの力で橋を渡りきり、砂浜を駆け巡り、波と戯れ、キャンプファイヤーをやり、そしてついには朝日まで昇らせてしまう。勇者なんです。どんなかっこいい戦隊モノのヒーローたちも、彼らには勝てない。

 

僕らは稽古場でそんなことを語らって本番に挑みました。

2021年、舞台初演。

 

必死で作り上げたのでした。

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2022年、小説化、出版。

時を同じくして、舞台再演。

ダブルキャストにし、ダンサーたちも入れて演出も派手にした。

朗読劇、一度目。

実力派の声優たちを集めて挑んだ。

初めて、自分は出演をしないリュズタンだった。

不思議な気持ちだったけれど、出演者も来場者も物語を愛してくれた。

物語が独り立ちした気持ちになった。

 

そして今年、朗読劇2度目。

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実に5回も姿を変えて、贈り直してきた。

こんな作品は人生でも初めてです。

 

向き合うたびに心がどうにかなってしまいそうになる作品です。

 

て言うのは、いろんなところで語っているので、毎年言うのもどうかと思いつつ何ですが、この作品は僕の父が他界したことににまつわって描いたものです。詳しくは2021年7〜8月あたりのブログを読んでもらえたりするとこの作品が生まれた経緯がよくわかるとは思うんですが、リュズタンは、僕にとってとてつもなく私的な意味合いも持っている物語です。

 

死の直前まで父はこのリュズタンのサウンドトラックを創っていました。筆の遅い息子より先に音楽を創ってしまうというタイプの創作はこれまでも何度かありましたが、その後でこんなに遠くに行ってしまうのは初めて。父の遺した音楽を使って物語を創る、歯を食いしばりながら挑んだのもいまや懐かしい記憶です。

 

だからこそ、この物語をみんなのものにしたいと言う強い気持ちがあります。それは、世界が父と、父の音楽を忘れないで欲しいと言う思いです。父は肉体を捨てて音楽になってしまったのですが、それはそれで、父なので。世界から忘れ去られ無い限りは、父は消えてなくなったりはしないな、と。

 

なんで、父とリュズタン、そしてその音楽を知る人が次から次に現れてくれますようにと願いながら物語を続けるし、そんな仲間が、リュズタンに触れる度に末原康志という存在を思い出してもらえれば嬉しいです。

 

この物語が、いつか古典と呼ばれるようになるのを願っています。生まれて経緯なんていつしか忘れ去られても良くて、僕自身もいなくなって、忘れられてもいいから、リュズタンみんなのものであってほしい。みんなの御守り出会ってほしい。どうかこの物語があなたの物語でありますように。

キヨは、実は4人の仲間といない時間はいつも暗い家の中で一人ぼっちなんです。母親は昼間も夜中も仕事に出かけていて、滅多に話すこともできない。借金取りが来ることも多いので明かりを消している。そんな中でキヨはリュズタンと過ごし、想像の力で無理矢理に毎日を美しい物語に変えていった。キヨは学校でも「それ、リュズタンに言おうかな」とか突然口走るので、当然周りからは浮いている。

 

物語中盤で想像力の練習をする場面は、あれは屋根裏部屋なんですが、キヨなりに調べた海にまつわる絵とか資料とかが吊り下げられてたり、ノリムネからもらった魚の骨とか貝とかがあちこちに飾られています。

 

4人の存在はキヨにとってはすべて。奇跡のような仲間。生まれ変わっても永遠に繋がり続けたいというのは、切実な、夢のような願いなのでした。

フナノはとにかく父親を全面的に尊敬しています。尊敬していい父親ではほんとうはないんですけどね・・・言うまでもなく、周りからは浮きまくり。別に彼自身のフィジカルが強いわけでもないし、やさぐれたメンタルがあるわけでもない。父を、父という理由だけで尊敬し、そしていつか自分もそうなりたいと願っています。古典文学が得意なのは、年老いた祖父と共に暮らしているからだったりします。父から受け継いだポセイドン号をどれほど大切にしていたか、なんてこともよく話しました。毎晩みがいてたんだろうなあ

クラスではほとんど誰とも喋らないミナ。劇中では語られていないけれど、ミナはトノキヨと出会ってから、トノキヨの前で何度も歌と踊りを披露するようになるんです。ミナは、トノキヨだけのアイドルになれればいいと思ったのですね。トノキヨはもちろん、あんなですからね、べた褒めし続けます。

ノリムネは幼い頃から店番を任されていたし、商店街に買い物に来るおとなたちと対等に会話をし続けていて、小学生の頃から性格的にはちょっと嫌な老け方をしています。舞台版では、彼は「生臭坊主」という悪口でクラスのレン中から仲間外れにされていたという設定もありました。そんなある日、キヨが店を訪ねてきて、彼の人生はガラリと変わるんです。

トノキヨの50年間をたくさん想像します。屋根裏部屋で想像力を手に入れたトノキヨ。あの日のあの出来事は、5人全員にとって大事件だった。富める家に生まれ、どんなものでも持っていたトノキヨは、想像力だけを持っていなかった。5人それぞれとの関係性なんかも演者とよく話したものでした。


この物語のおかげで出会えた人がたくさんいて、それが幸せ。

(かずき、ひろくん、かおり、こうたろうくん)


今年なんかは常に大爆笑しながらワイワイと稽古を楽しみました。夏休みの自由研究をやっている気分だった。今年で2年目になる下野紘くん、佐藤拓也くん、西山宏太朗くん、みんな作品をとても大切に思っていてくれて、それ自体がとっても嬉しかった。新しい出演者に、「この冒険は楽しいんだよ!」みたいに語ってくれて共犯者的にみんなを巻き込んでくれて、劇団ぽくて楽しい。


新たな仲間も随分と増えて、誰もが本当に素敵だった。ほんと、ほんとうに仲間になったなあ、と思えてる。絶対に再会しようよ、またやろうよ、と約束して別れた。声優は舞台俳優と比べても圧倒的に出会ってきている物語の数が多いんですよね。その経験値、物語の読解能力、技術と、並々ならぬ感情の瞬発力、それらぶつけ合って、一度きりの物語セッションライブをする、刹那的で、永遠的な時間は、ゾクッとする刺激に溢れていました。そして、同じ物語の中を生きたということが、切りようのない大切な絆になってしまう。

 



同じ役なのにひとによってぜんぜん違う味わいがあったのは御覧頂いたとおり。演出家にとって、演者と役の内部や、台本に描かれていない部分について話し合う時間てのは本当に幸福です。ひとそれぞれ、質問してくるところとか気になるところが違って、話しながら想像して道を見つけていく時間には宝探しめいた楽しさがある。自分で描いた物語だし、何度もやっているのに、まだ新しい宝物が見つかるのかって驚く。

 



(さき、ゆうと、たくやくん、りょうた)


現実世界の中で本を開いて、呼んでいくうちにどんどん物語の中に潜り込んで、気が付いたら現実との見境がつかなくなっていく、この感じは演劇以上に没入感があるとも思っています。

 

ぜひみなさんも仲間を5人集めて、声に出して朗読会をやってみてほしい。5人集まらなかったら、自分の中に5人分の人格を召喚して一人でやってみるのもいいです。なあに、別に誰に見せるわけでもないんだから、うまくできる必要なんてなんにもない。

 

今回、運命のいたずら的に自分も一緒に語り部の一人として物語のなかに入ることになりました。稽古場で素晴らしい演技をしてくれたしょうへいとたすくの芝居を世の中に贈ることができなかったのは悔しかったけれど、未来に持ち越しの約束があるというのは、生きなくちゃいけない理由にもなるし、いい。いいと思うことにします。


僕は舞台版ではずっとキヨをやっていたけれど、今回は、ラッコとワカメ。全員がそもそも自分の分身みたいなところもあるから抵抗はなかったけれど、違う角度から物語や他の登場人物を見つめるのは楽しいことでした。物語の中のほうが現実よりも生きている感じがする僕としては、物語の中で仲間と遊べたのは最高の時間でした。

 

 

とりとめもなく文字を書き連ねてしまってごめんなさい。まだまだ言いたいことがあるし、なにより、書き終えたら公演がちゃんと締めくくれてしまう感じに戸惑って、冗長になっています。ま、でも、ね。

 

どうかみなさん、また会いましょう。

そのために、長生きをしてください。

 

リュズタンのご観劇、ずいぶん難しいことだったと思うんです。想像力と、物語に没入する才能が必要ですから、実は人を選びます。もしもお楽しみいただけたと言うなら、あなたは僕のとっても貴重な仲間である気がするのです。僕は生涯こうやって物語を創り続けるし、それこそが世界を変えるための、僕に持ち得る唯一の手段と思っています。

 

想像力至上主義、物語愛好家のあなた、どうか、これからも、僕の物語の中に遊びに来てほしいと強く願います。

また会えるぞ、と、またあったとき嬉しいぞ、と想像するだけで、いまこの瞬間が輝く思いです。

 

。。


僕は次は10月27日にひとり芝居をやる予定があります。

路上で独り芝居をやっていたというのがそもそも僕の居演劇キャリアの始まりです。

この日は赤坂に張られたテントの中で公演をするんですが、客入れから客出しまでずっと場内をうろついていると思いますので、もしよかったらいらっしゃって、気安く話しかけてください。あなたという物語仲間の顔を覚えたいし、物語を贈りたい気持ちです。

末原拓馬ひとり芝居

『カスタネット』


10月27日13時開演

@赤坂サカス広場 特設紫テント


僕が生涯をかけて世界中に広めていきたいと願っている物語です。


受付開始 12:00 

  開場 12:30 

  開演 13:00


【あらすじ】

世界に復讐を誓う盗人ドブロクは、花瓶に言葉を吹き込み兵器とする作戦を王に持ちかけ死罪を免れようとする。国中に66の花瓶を配り歩く中で最後に出会ったのは、孤児の少女カスタネットだった... ーー憎しみから生まれた兵器、愛から生まれた奇跡。戦火の中で生まれた愛と祈りの物語。


【チケットについて】

〇お金持ち 時価 ~78万

〇ふつうの人 6000円

〇貧乏な人 2500円


https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/025rqjxksi041.html#detail


主催:赤坂舞台芸術祭

協力:TBSホールディングス

 

 どうぞ軽はずみにご予約いただいて、遊びに来てください。

この度は、リュズタンの物語にご参加くださり本当にありがとうございました。


また会いましょう。


どうかあなたが、素敵な想像力とともにいつまでも幸せでありますように。そう想像するだけで、幸せです。


ありがとうございた。

また会いましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 脚本演出をしている舞台の幕が上がり、脚本4本の執筆に追われながら打ち合わせを繰り返したりな日々。例によって、日々の中でだらしなく書き溜めた文章を放出です。

7月28日

「霊柩車を見たら親指を隠さないと父親が死ぬ」

 

そんな迷信を小学校の時に聞いて以来、すこぶる気をつけて生きてきた。

 

今日、仕事の帰り道で霊柩車を見かけた。最近はあのお神輿みたいな車ではなくて、かっこよくて黒い外国車だったりする。慌ててサッと親指を隠したものの、もう気にしなくていいんやないかーい、と、お笑い芸人よろしくなるべくひょうきんな感じで自分にツッコミを入れる。

 

7月29日

舞台Clubドーシャ劇場入り。スタッフたちのクリエイティブが一堂に会する特別な時間。「裏方さん」という言葉はあまりしっくりこない。裏からみればこちらが表で、それはそれはクリエイティブな喜びと熱い闘いが渦巻いてる。表裏一体だ。

 

幾度となく重ねられるワクワクとした打ち合わせは、それはそれは楽しい。演劇愛と情熱で繋がるスタッフとの新たな出会いと再会を楽しみにして生きている。今回のチームも抜群に素敵。

 

。。。。

 

炎天下の下、とてつもない数のミミズがひからびて死んでいた。昨晩が大雨だったからだろう。

 

おとなしく土の中にいればよかったのに何してるんだ?バカなのか?と、亡骸を目にした自分のショックに任せてズケズケとおもう。そして、その後で、やめとけばいいのに、命をかけてでも外に出たかった彼らのロマンもを想像してしまう。

 

あー、自分たちも偉そうに言えないじゃんな、と思う。生命活動を続けることが目標ならば安全な家の中に立て籠もって生きるのがベストか?ミミズは、そして人間は、何のために生きてるんだ?

 

命を危険に晒してまでやる意味のあること、を僕らは繰り返してる。どのくらい晒すかは匙加減、晒しすぎた者がたまにうっかり死ぬ。死ぬほど生きたかった命を、そこまで堂々と馬鹿にはできない僕ら。

 

 

8月2日

アンタ本番中に関係者席でスマホ観てたの!?とマネージャーに言われる。「脚本家が関係者席で本番中に携帯を見ていた」的なことがネットで話題になり拡散されてるぞ、と。

 

ひょへ!?と声が出た。当たり前だけど、そんなことするわけがないのだが、魔女狩りを彷彿とさせる根も葉もない濡れ衣を着せられて風邪を引きそうである。火のないところにも煙がたつのか.....


今回は、かが屋さんとの共同で脚本を描いたので脚本家と言えば2人いるのだが、賀屋さんが来たのは翌日なので、この場合、容疑者は僕だ。

 

やって、おりませなんだ・・・

 

まず、初日からしばらくの本番中は、終演後にキャストとスタッフに作品改善点を伝えるため、紙とペンを握り締め、命懸けで作品のチェックをしている。それが演出家の仕事だし、僕は日頃から、劇場に入ってからもしつこく作品を磨きたいたちだ。

 

それに、そもそも関係者席に座ってない。本番中に演出家が隣でメモを取っていたらお客さんの迷惑になるだろうからと、僕はメモを取りたいとかは制作さんに言って特別な席を用意してもらうことにしてる。やむを得ずお客さんの隣に座ったことも過去にはあるが、そんな時は気を散らせないように細心の注意を払う。シーンの最中に突然演出家が隣でカリカリカリカリとメモを始めたら「あ、ここのシーン、問題あるんだ!」とか思っちゃうだろうなあ、と思うのである。気にしすぎかもだが、僕は本番の場内で起きることについて病的に完璧主義なところがあるのだ。

 

何よりも、我々演劇人にとって、客席の観劇マナー向上は悲願。昨今はみなさまのおかげで良い観劇マナーが浸透してきてありがたい限りだが、世界の様々な演劇大国を参考にすれば、もっともっと素敵になる気もしている。堅苦しくなりすぎず、だけど、他人の自由を踏み躙らないようにみんなが自由でいられる空間創りをこれからも目指し続けます。

 

と、まあ、自分の身の潔白をここでひっそりと晴らしておきます。Twitterに書こうかと思ったけど、万が一にも勘違いなさったご本人を傷つけたいわけでもないし、なんなら、僕らの作品を愛して守るために怒ってくれた人が何百人もいるのは嬉しいことだと思うので、ここで、ひっそりこっそり、弁明。なので、どなたか、「末原は観劇マナーがひどいし自分の作品への愛がない奴だ」みたいな噂にでくわした時には、「その話は誤解らしいよ!」と優しくお伝えくださいまし。

 

それにしても、僕に間違われたマナーの悪いドッペルゲンガーはどこの誰なのだろうか。その彼が犯した殺人の罪である日僕が逮捕されるなんて物語は面白いぞ、とすぐに妄想をし始めてしまう。そして最後は、濡れ衣を着せられたフリをして僕が罪を犯すというどんでん返しだ。そして、本当は、ドッペルゲンガーは僕の方だったのだ...なんつって。

 

ちなみに、マネージャーからは満面の笑みで「もっと顔と名前を売らなきゃってことだね!(だからもっと働け)」と力づくで丸く収められた。

 

東京ドームシティを訪れるとすこし感傷的になる。父とライブを観に来たことなどが思い出されるからだ。

 

小学生の時、初めて東京ドームでライブを観にいった。父はロックギタリストだったので、僕はとてつもなく幼い頃から父の演奏する様々なライブやコンサートに連れて行かれていたものだけれど、父と二人で「楽しむために」ライブに行ったのはこの時が最初だ。小学生にしてロックの魅力に目覚めた息子を父は喜んでくれていたのだと思う。父なりのロック史をエピソードまじりに語ってくれながら、次から次にレコードやCDを聴かせてくれた。今にして思えば、父が喜んでくれるのが嬉しくて音楽を聴きまくったところもある気がする。

 

最初に東京ドームに行ったのはエアロスミス

続いてローリングストーンズ

中学校のときには、ジェフベック。

大人になってからはヴァンヘイレンだ。ヴァンヘイレンのチケットは、誕生日かクリスマスの父からのプレゼントだった(つっても他のものも父がチケット代を出しているのだけど)。

 

今日、劇場に向かう時に車の中で聴いていたラジオで、ヴァンヘイレンが流れた。ジャンプ。父と行ったライブのクライマックスで演奏された曲だ。東京ドームシティに向かう途中でこの曲が流れるだなんて!と、こんな些細なことを、偶然以上の素敵な奇跡として無理やり感じとる力がある僕らは幸運なように思う。

 

また、エアロスミスがツアーから引退するというニュースを目にする。時間の移ろいに思いを馳せる。

 

感傷的になるもうひとつの理由は、ドームシティ内にあるGロッソと言う劇場に出演していた千穐楽の日に、父が亡くなったのだ。


かつて胸をときめかせて遊びに来た場所で、いまは仕事をしているぞ、と父に胸を張る。

 

・・・・・・

 

アイスクリームって、イベントぽい気持ちになれる。小さい頃、アイスを売りに来る車があった。水曜日の夜だ。音楽と放送が鳴り響くと胸が高まったのを覚えてる。母は「アイスい曜日。夫は妻を愛すクリーム?」というダジャレを毎回言うのだった。

今日、31のロゴの意味を初めて理解した。バスキンロビンスの頭文字BRの内側だけ色がついていて「31」と読めるだなんて!みんな気付いてるのか。31という文字を成立させるためにバスキンロビンスと言う名前にしたのか、それとも、バスキンロビンスのロゴを作ろうとして31の数字を見つけ、「サーティーワン」と名乗ることになったのか、それとも、バスキンロビンスと言う名前も31という名前もあらかじめ存在していて、偶然、このロゴになったと言う奇跡があるのか。

 

調べればわかるけど、今日のところは調べないことにする。

「再会」と「出会い」がやたらと多い日々。すべての出会いが再会のための伏線と思うようになってから、あらゆる出会いがとにかく嬉しい。


スマホのカメラにひびが入った。


暑い日々が続いているし、地震も台風も、ゲリラ豪雨もあるし、コロナもあるけれど、毎日ちゃんと笑える人類の図太さを愛してます。


今日もあなたが幸せでありますように。


震えながら演出家をやってる。


恐怖のせいではない

稽古場が、寒いのだ


俳優は動き回るから暑いもんで、稽古場では彼らに合わせてクーラーをガンガンにする。しかし、こちとらは座りっぱなしだ。凍える。ほんとに凍える。


そうでなくても1年中長袖でいる寒がりの自分だ。長袖の上に長袖を重ねてる。


7月19日

じゅーくりーむの日。

シュークリームをたべる。

しょーこりーもなく、たべる。


7月20日

髪を切る。

けっこう切った。


いつもお願いしているひとがどうしても都合つかなく、それはそれは適当に決めたお店の初めましての方に切ってもらったのだが、「どうしますか?」と聞かれて、やっぱり答えられず、任せてしまった。


「自分で自分のことを決めるのが大人なんだ」と叱られたことがある。


そうありたいと思ったのに、自分の髪の毛のことさえ、どうでもいいなんて。食べ物にこだわりもないし、滅多なことでは「いやだ!」という気持ちにならない。なれない。


さすがに大人に見られないとかっこ悪いフェイズに突入しているもので、がんばって、何事も自分で決めたいフリをしてみたこともあるけれど、大人ごっこをしてるみたいで逆に幼い奴な気分になる。自分のことは自分で決めるべき、なんてことを他人に決められているようじゃまだまだである。


こだわらないことには胸を張って、こだわらない勇ましさを手に入れたい。


7月21日

また脚本を描いて提出してしまった。このひと月で3本目だ。どうしたんだ、こんなに締切を守れるだなんて。


基本的に、提出しました!みたいなことは公に言うこともない。脚本の進行てのはどうにもはやくて、まだ制作発表もされてないことが多いのだ。秘密裏に進めている。人知れず、独り、部屋にこもって。


7月23日

稽古前に、9月に出演する『パニックピッカー』のヴィジュアル撮影に行く。Clubドーシャとは打って変わって、この座組では下っ端でとても心地よい。いわゆるバイプレーヤーのお兄さんたちが手を組んでつくりだした劇団。


艶漢という何年もやっていたシリーズでの戦友、三上俊ちゃんとも久しぶりの共演。たまたま撮影の時間が被ったおかげでの再会できてうれしかった。

こういう誰かとの再会のときに、相手より喜びすぎてしまう癖が自分にはあることを最近では自覚していて、気を付けてる。


撮影のヘアメイクさんが「覚えていないと思いますけど、私、実は前にご一緒したんですよ」と話してくれた。マスクで最初は気付かなかったけど、言われて、あー!と思い出したので「あ、覚えてる!」と言ったのに、「いえいえ、そんなわけありません」となぜかそのまま押し切られ、その日に初めて会ったという設定になってしまった。本当に覚えてるのに!


なんなら、終演後にウィッグを外すのが遅くて怒られたことさえ思い出した。


あっちは、「袖水にリンゴジュースとカルピス置いてましたよね!?」と言っていた。人それぞれ、記憶している部分が違うっておもしろい。


7月25日

毎日、脚本演出をしているClubドーシャの稽古だ。昨年と同じメンバー。昨年は、初めましてから互いを知り、知ってもらい、好きになり信頼していくという「付き合いたて」のような心拍数でもって挑んでいたけれど、一年経ってみると、熟年夫婦みたいな関係になってておもしろい。遠距離恋愛に倦怠期はないと聞いたことがあると言うけどそんな感じで、1年たったら幼馴染劇団みたいな感じになってた。1年に1ヶ月だけ共同生活するみたいなこの感じ、今後も続いたらたのしいのにな、と思ったりする。



昨日の稽古後になぜかやたらと調子がでて、悩み続けていた脚本が一気に進んだ。締切の4日前に提出できてしまった。


難しいお題に思えて、解決案がないのではと頭を抱え悶え苦しんでいたのだが、突破口を見つけるや、筆が泳ぐように進んだ。依頼してくれた相手への贈り物、一生宝物にできる一本になりますようにと願うと自然、力が湧いてくる。だからこそ緊張すると言うのもあるけれど。


しっかし、脚本と言うのはふつうのひとには読むのが難しい。自分だってビルの設計図わコンピュータのプログラミングの数式を見せられたってちんぷんかんぷんなので何も言えないが、脚本を描いたところでにわかに内容を分かち合える人がまわりにもっといたらいいのになと思う。つくづく孤独な仕事だ。


。。。。


大事な時に連絡くれたのに、大事なときだったから返事できなかった人、というのがたくさんいる。


後悔に塗れて生きるのは苦しいので、いつか、きっと、いつか、と思い続ける。

。。。。


演出助手が3人もいて楽しい。まさき、あきひろ、みゆきという3人が華麗なトリオ体制で現場を回してくれている。贅沢だ。たのしい。

猫をみつけると嬉しいのはなんでだろう。

もっともっと、野良の動物が練り歩きまくっている世界ならいいのにな。もちろん、都市衛生と安全には感謝しているけれど。


今日もあなたがしあわせでありますように。

暑かったり雨が降ったり雷が鳴ったらするのだから、僕らも笑ったり泣いたり飛んだら跳ねたり寝転んだらして良いと言うことです。


えいえいおう